第61話 あかいくちづけ II


 青く煌めく氷のつるぎが、彼の腹に深々と突き刺さり。

 白いタキシードを、赤く染めてゆく。


 「こほっ」と小さくむせると、口の端を血が伝った。



「………うそ…」



 うそだ。そんな……なんで?

 なんで、クロさんが、刺されて……


 なんとかしなきゃ。でも。

 どうすればいい?あたしに、何ができる?

 こんな時、どうすれば……




 そうだ。


 消してしまおう。


 全部、消してしまえばいいんだった。


 悲しみも、苦しみも、怒りも。


 全部全部、壊してしまえばいいんだから。





 消せ。壊せ。コロセ。

 そんな感情に、心が支配され。

 視界と意識が、ぼうっと白くなりかけた……その時。



「ぃ…いやぁぁあああっ!!」



 ルナさんの叫び声が聞こえ、ハッとなる。


 だめだ。この力を暴走させては。

 護りたい人がいる。助けたい人がいる。


 この力は、そのために使うんだ。



 あたしは、右手を振るい空中に『署名』をする。指先が光り、あたしの名が闇夜に浮かび上がる。

 そのまま指を、アリーシャさんに向け、


「その手を……離して!!」


 叫ぶ。

 すると、



「…え……あ、ああぁぁああぁぁぁあっ!!」



 剣から手を離し、アリーシャさんが絶叫する。

 身体を屈め、痛みに悶えるように足をふらつかせる彼女の両手は……

 全ての指が、おかしな方向へと曲がっていた。


 狙い通り。彼女の両手の細胞を、筋肉を、思いっきり分断して捻ってやったのだ。

 これで、魔法は使えない。

 ……戦い方を教えてくれたゲイリー先生に、感謝しなきゃ。


 アリーシャさんの集中が切れたせいか、クロさんを貫いたままだった剣と、ベアトリーチェさんを拘束していた氷が、光を放ちながら消えてゆく。


「クロさん!!」


 膝から崩れ落ちるクロさんに駆け寄る。

 そしてすぐに、刺された箇所に右手を当て、治癒の魔法を施す。


「クロさん……しっかりして!!」


 意識はあるようだが、返事がない。目を閉じ、浅い呼吸をしている。


 その間に、ベアトリーチェさんも動いていた。指を素早く振るい、魔法を発動させたかと思うと……

 アリーシャさんの両手と両足に黒いものが現れ、締め付けるようにして彼女の動きを封じた。

 ……あれは、鉄…?

 身動きを封じられ、倒れ込むアリーシャさんの前にヒールを鳴らして歩み寄り、


「お返し、ですよ」


 ベアトリーチェさんは、にこりと微笑んだ。



「クロ……大丈夫か!?」

「クロード!クロード!!」


 ルイス隊長とルナさんも、こちらへ駆け寄ってくる。

 隊長の怪我も心配だが……クロさんの方が、重症だ。

 剣が貫通した箇所の傷は、治せる。その自信はある。だが。


「血を……流しすぎている……」


 怪我は治せても、血液は与えられない。

 早く、早く傷を塞がなきゃ……


 あたしは震えそうになるのを堪えながら、治癒を施す手のひらに、全意識を集中させる。

 彼の細胞が、組織が。血管が、筋肉が。みるみる内に修復されていくのがわかる。

 と、


「これは……どういうことだ……」


 会場内からフォスカー副学長と数名の教授たちが現れ、困惑した様子でバルコニーを見回した。

 拘束されたアリーシャさん。重傷を負ったクロさん。そして、


「ルニアーナ王女…?!」


 そこにいるルナさんに気が付き、一堂はどよめく。


「なんと……うちの生徒が、王女さまを手にかけようとしたということか…?!」

「違う、違うんだ!こいつは……アリスは……」


 フォスカー副学長の言葉を遮り、彼女を弁護するような声をあげたのはルイス隊長だった。

 やはり……彼女のことを知っているかのような口ぶりだ。


 目を閉じたままのクロさんを見つめながら、考える。


 何故、こんなことになったの?

 アリーシャさんの動機は?

 狙いはルナさん?それとも、ルイス隊長…?

 そして、隊長とアリーシャさんは…どんな関係性なの…?


 クロさん、あなたは……

 何を……どこまで知っていたの?



 手元に集中しながらも、あたしの頭の中は疑問符で埋め尽くされていく。


「と、とにかく、この女を捕らえて……」

「──待ってください」


 再び、フォスカー副学長の言葉が遮られる。

 しかし、その声を発したのは……



「く…クロさん!大丈夫ですか?!」



 瞼を開け、ゆっくりと身体を起こしたクロさんだった。

 傷は、ほとんど塞がった。しかし、明らかに血が足りていないはずだ。


「まだ、動いちゃ…!」

「あ〜、思ったより痛かったなぁ。けど……」


 起き上がるのを止めようとするのを無視して。

 血のついた手のひらで、あたしの頬を包むと。



 ──ちゅ。



 静かに、優しく。

 あたしの唇に、キスを落とした。



「ありがとう。最高の仕事ぶりだったよ。……惚れ直した」



 固まるあたしに、優しく微笑みかけると。


「……ここからは、僕のシナリオだ」


 そう、呟き。

 少しふらつきながらも、なんとか立ち上がって、



「みなさん、会場へ戻りましょう。どうしてこんなことが起こったのか…説明してもらわなくちゃね。アリーシャ・スティリアム……いや」


 痛みと、悔しさに顔を歪め、転がっている彼女に目を向け。



「……アリーシャ・モーエンさん?」



 不敵に、笑った。

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