第60話 あかいくちづけ I


 クロさんに手を引かれ、再び舞い戻った舞踏会の会場は……

 阿鼻叫喚のちまたと化していた。


 天井のシャンデリアは落下し、皿やグラスは割れ、それらが乗っていたテーブルまでもが床に散乱している。

 物だけではない。そこにいた人たちも怪我をしているようで、床に座ったり横になったりしたまま、動ける人間から介抱を受けていた。

 さらに、向かって右手に続く大きな窓の一部が割れているのが見える。外からの風を受けたカーテンが、他人事のようにヒラヒラとたなびいていた。


「一体、何が……」


 突然の事態に驚愕し、あたしは立ち尽くす。

 しかしクロさんは、落ち着いた様子で会場を見回し、状況を確認していた。


 先ほどの、クロさんの口ぶり…

 こういった事態が起こることを、彼は予期していたのだろうか?

 それとも、これは……

 彼自身が、仕掛けたこと……?



「理事長!何処へ行かれていたのですか!!」


 そんな声と共に、足を少し引きずるようにして近付いてきたのは、フォスカー副学長だった。

 クロさんもそちらに向き直り、尋ねる。


「何があったのですか?」

「女生徒の一人が突然、魔法を暴走させたのですよ!それで、あの窓を破ってバルコニーへ飛び出して行って…」

「…え……?」


 暴走した生徒が、バルコニーに…?

 あたしの背中を、冷たいものが伝う。


「それで、その女生徒はまだバルコニーにいるのですか?」

「おそらく…外に出たっきり、こちらへ戻ってこないので……軍部の方々と、こちらの教授たちとで、今から様子を見に行こうとしていたところです」


 それを聞いたクロさんは。

 一瞬、にやりと笑って、


「僕が、その子と話をつけましょう。みなさんは、怪我人の手当てを最優先してください」


 そう、高らかに言ってから。

 割れた窓の方へ一直線に向かい、バルコニーへ出て行こうとするので。

 あたしは慌てて、後ろから彼の手を引く。


「待って、クロさん!そっちには……バルコニーには、隊長とルナさんもいるの!」


 ただ暴れた生徒の説得をするだけでは、事はすまされないかもしれない。ルナさんの身に、もしものことがあったら……

 彼に秘密にしていたその事実を伝えると、



「……え。ルナもいるの?」

「は…はい」

「…………それはまずい」



 彼は、急に焦った様子でバルコニーへと飛び出す。

 それに続いて、あたしも割れた窓を跨いで外へと出る。


 すると、そこには。



「……ベアトリーチェさん!」


 床に倒れ込んだベアトリーチェさんがいた。見れば、両手と両足を氷漬けにされ、身動きが取れないようだ。


 氷……?では、これをやった生徒というのは……


「申し訳ありません…わたくしとしたことが……」


 凍らされている手足は赤く、顔は青白くなっている。このままだと、ベアトリーチェさんの身体が危険だ。しかし、今は……


「ルナさんは…?」

「あそこに…ルイス中将が応戦中です」


 あたしは振り返り、彼女の視線の先を見る。



 バルコニーの奥。

 怯えた表情で小さくなっているルナさんと。

 それを背に隠すようにして立ち、肩から血を流しているルイス隊長と。


 二人に向き合う形で、氷のつるぎを構える……

 アリーシャ・スティリアムさんの姿があった。



 やはり、魔法を暴走させた生徒というのは、彼女……?

 いや、むしろあれは…暴走と言うより……

 自身で生み出したと思われる、冷たく光る剣を手にしたまま。

 彼女は刺すような視線で、ルイス隊長を睨んでいた。


 暴走……ではなく、明らかな意志を持って剣を構えているように見える。



「どうして…」


 あたしの呟きに、重なるように。


「…どうして…お前がここにいるんだ……」


 ルイス隊長が、血の滴る肩を押さえながら言う。

 その口が、



「………アリス」



 アリーシャさんの目を見て。

 はっきりと、そう言った。

 呼ばれたアリーシャさんが、ぴくりと反応する。


 え……?

 何故、彼女の名を…それも、愛称で……

 隊長は……アリーシャさんと、面識がある…?



「……決まっている」


 ぎりっ、と氷の剣を握り直し。

 アリーシャさんは、暗い声音でぼそりと呟いてから、


「あなたと、この国に……復讐するためだ!!」


 叫んで、剣を振りかざし、隊長たちの元へと一直線に駆け出した。

 まずい!このままでは、隊長が…ルナさんが……!!


 あたしが「だめ!!」と叫んだ──その時。



 二人を庇うように、アリーシャさんの前に飛び出し、手を広げ。

 その身体で、剣を受け止めたのは……



 クロさん、だった。

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