第2話 理事長はかく語りき II


 すぱーっ。


 という擬音がぴったりなくらいに。

 彼は、口に咥えたたばこを思いっきり吸うと。


「…あぁあああぁぁあ〜」


 まるで地獄の底から聞こえてくるような唸り声と共に。

 口から、煙を吐いた。


「………疲れた」


 そう呟きながら、革で誂えた豪華な椅子にドカッと座る彼は。

 先ほど壇上で見せたキラキラ美少年オーラはどこへやら。額に影が入って見えるくらいに、どんよりとした表情を浮かべている。


「お疲れさまです、クロさん」


 コップに入れたお水を差し出しながら、あたしは彼の名を呼ぶ。



 クローディア・クローネル。

 それが、この人の名前だ。


 先の戦争に勝利し、強国としてますます名を轟かせているこのロガンス帝国において、魔法の研究および戦術の中枢を担う存在。

 肩書きはいくつかあるが、代表的なものの一つはロガンス帝国軍・間諜指揮官。所謂、スパイ活動のトップ。

 そして、もう一つが。

 ここ、王立エストレイア魔法学院の、理事長にして終身名誉教授。


 ……なーんて大層な役職に就いていることを知ったのは、つい一週間ほど前のことなのだけれど。

 この傍若無人でわがまま放題、自分のルールと自分のペースでしか生きられないような人が、『先生』…?

 などと思っていたのだが、


「素晴らしかったです、さっきの入学式の挨拶。私、感動しちゃいました。学生さんたちもみんな、いい表情して聞いていましたよ」


 そう。そうなのだ。あたしとしては、一体どんな言葉で厳かな式典の雰囲気をぶち壊すのかと気が気ではなかったのだが。

 ちゃんと、『理事長先生』然とした、素晴らしい演説だったのだ。

 入学式を終え戻ってきたこの理事長室も、最初は過度な豪華さに嫌味を感じたくらいだが、あれだけの振る舞いができるのなら分相応かな、とすら思えてくる。


 しかし彼は、広々とした執務机に肘をつき、私の賞賛の言葉を鼻で笑い飛ばす。


「人間、思ってもいないことほど淀みなくスラスラ言えるもんだからね。そんなことより」


 あたしから受け取った水を、たばこの合間に一口飲んでから、


「一割。いや、それ未満かな」

「何がですか?」

「使えそうな生徒だよ。ざっと全員分、どんな精霊飼ってんのか見てみたけど……戦力になりそうなのは、ほんのひと握りだったなぁ。がっかり」

「……………」


 こ、この人は……

 やはりあの"闇のかたまり"は、新入生たちの持つ魔法の能力を探るために放っていたのか。

 腹の内では有能な人材にしか興味がないくせに、よくもまぁあんな演説ができたもんである。あたしの感動を返せ。




 ──この世界において、魔法は誰にでも宿る力。しかし、使えるようになるのは十四歳になってからだ。


 十四歳の誕生日を迎えると、その者を守る精霊が現れる。そして、契約を結ぶ。

 その者の命が尽きるまで、生を共にし、力を貸すという契約を。


 自らの血を以って署名をし、契約文を唱えることが、十四歳の誕生日に必ずおこなわれる儀式である。

 契約が成立すると、魔法が発動する。精霊が、魔法となって具現化するのだ。そこで初めて、自分にはどのような精霊がついて、どんな魔法の能力を授かったのかを知ることとなる。


 精霊は、二つとして同じものは存在しない。だから、魔法の能力はその者の≪個性≫とも言うことができる。

 契約以降は自らの名を宙に記し、精霊に呼びかける呪文を唱えればいつでも魔法を使えるようになる。


 しかしこの魔法、ちゃんとした訓練を受け経験を積まなければほとんど実用性がない。そのため、魔法は誰もが持つ力ではあるが、それを用いて戦闘や仕事に活かすことができる人間は、ごくごく限られているのだ。


 そして、この王立エストレイア魔法学院こそが、魔法の実用化を目指す教育・訓練施設なのである。




「一定以上の身分・階級がある者から受け入れちゃうのが良くないよね。出自に関係なく、能力の高い精霊を持つ者から入学させたらいいのに。無能なお坊っちゃまお嬢さまの相手ばかりで、退屈。嫌んなっちゃう」


 ふぅー、と天を仰ぎながら煙を吐くクロさん。

 言いたいことはもっともだが、理事長が煙と共に吐くべき言葉ではないと思うのですが。


 しかし、彼の言う通り。魔法はお金と身分がなければ学べないものなのだ。

 なにせ、王立学校だ。貴族の皆々様方にとっては、ご子息・ご息女の有能さを国にアピールできる絶好の場である。ここでの功績が認められれば、軍部や政府に引き抜かれ、いいかんじの階級がもらえるかもしれない。

 お家の発展のために、なんとしてでもここへ入学をさせたい。そう考えた貴族様たちが大金を振りかざし、こぞって入学を希望した結果…

 毎年毎年、お坊っちゃまお嬢ちゃまばかりが集まる学校になってしまった。


 と、これも先日聞いたばかりの話なのだが。



「前理事長をハメて、自ら退任するように仕向けたはいいけど……この収益第一主義な伝統は、なかなか変えるのに時間がかかりそうだなぁ」


 ……ん?今なにか怖いことをブツブツと呟きませんでしたか?


「ていうか、私腹肥やしていた前理事長と対照的な好青年キャラでやっちゃったのも失敗だった…今になってめっちゃ疲れる、愛想振りまくの……でもキャラ変えようにも、きっかけがなぁ」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って」

「ん?」


 聞き捨てならない独り言に、あたしは思わず左右の手のひらを広げてストップをかける。


「え?クロさんて、国お抱えの魔法研究者なんですよね?」

「そうだよ」

「では、理事長の座は、王から命じられて…」

「ああ、違う違う」


 そこで。

 彼は、組んだ手の上に顎を乗せて。

 猫のように愛らしいその顔を歪ませ、ニタリと笑う。


「元々この学校の研究所使わせてもらっていたんだけど…前の理事長が研究費用ケチって好きなようにやらしてくんなかったから、ムカついて辞めさせちゃった♡で、ついでに僕がなっちゃった♡」

「……………」


 こういう人、なのだ。

 排除したい人間がいれば、まずは周りから固め、精神的に追い込み、身動きを封じ、逃げ場を失ったところを。

 叩く。

 この世で最も敵に回してはいけないタイプの人である。

 加えて、彼の魔法もまた厄介で、良くも悪くも性格に合っているというか…



 一言で言えば、"闇"を自在に操る能力。

 いや、"影"と言うべきか。

 自身の"影"を相手の"影"に潜り込ませることによって、その者の魔法の能力を探ることができるのだ。

 戦闘においては、自身の姿を"影"の中に隠し、姿を暗ませたり。

 "影"を直接相手の体内に侵入させることで、幻を見せることができる、らしい。

 直接聞いたわけではなく、これまで見聞きした限りで知ったことだが。



「あのおじさん、裏でいろいろ黒いことやっていたから、強請ゆするのは簡単だったけどねー」


 見た目も中身も真っ黒な人が何を言うか。

 この人が前理事長を辞任に追い込んでまでここを手に入れたかったのには、理由がある。

 それは、


「はぁー。入学後のオリエンテーションとかすっ飛ばして、早く目ぼしい生徒の精霊研究したい…」


 短くなったたばこを灰皿に押し付け、物憂げにため息をつく。

 彼は、生粋の"精霊オタク"なのである。

 だからこそあたしも、今、ここにいるわけで。


「ところで、レン。僕は明日、何時に起きればいいんだっけ?」


 『レン』。彼はあたしを、そう呼ぶ。

 あたしの名は、フェレンティーナ・キャラメラート。『レン』は、いろいろあってオトナの店で働いていた時の源氏名で、この人は今だにその頃のまま呼んでいる。


 ……ていうか、そうよ。あたし、この人にあの店から連れ出されたのに。

 あたしも、嫁ぐくらいの気持ちで母国を離れたのに。


「ええと、九時から軍部の会議があるので、朝食のことも考えると七時には起きたほうがよろしいかと」

「じゃあ起こして」

「へ?」

「だから。七時に起こしに来て。僕の部屋まで」


 そう、彼は平然と言い放つ。


 …おかしい。あたし、何のためにここへ来たんだっけ?

 こんなはずじゃなかった。

 だって、あの店から連れ出された時は…

 あんなに……


「……わかりました。起こしに行きます。で、今日の夕食は…」

「いらない」

「はい?」

「僕ここに残って新入生のプロフィールもう一回見直すから、先帰ってて。おつかれー」


 と、こちらに目線もくれず、引き出しの中から取り出した大量の書類を眺め始める。


「……………」


 おかしい。思っていたのと違う。

 彼に連れ出されて、この国へやって来たのが一週間前。

 そこから、今日の入学式に向けてバタバタと準備に追われ。

 また、戦争を終えたばかりの軍部にも顔を出し、連日会議だ調査だと走り回り。

 あたしはそんな彼の秘書よろしく、ついて回っていたのだが。


 気が付いたら、この国へ来てから、一度も。


 彼に、触れていない。



「………………失礼します」


 理事長室を、静かに出る。

 彼は最後まで、こちらに目を向けなかった。



 おかしい。こんなはずじゃなかった。

 だって、だって。

 あたしとクロさんは。


 恋人同士の、はずなんだ。





 そのままあたしは、一週間前の夜、彼に連れ出された日のことを思い出す。


 だから。

 まさかこの時、クロさんが。

 一人の女生徒のプロフィールを、じっと見つめていようとは……



 夢にも、思わなかったのだ。

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