第1章 ロガンス城

第3話 在りし日のシンデレラ I

 



 ──あれは、そう。

 つい、一週間前の。


 月夜の、晩のこと。





「……っ、ん」



 車輪の廻るゴトゴトという音の合間に隠れるように。

 湿った音と、悩ましげな吐息が、馬車の中に満ちる。



『一ヶ月分のロス、城に着くまでに取り戻すから……覚悟しておいてね?』



 その言葉通り、一ヶ月間会えなかった分の空白を埋めるように。

 彼はあたしを、馬車の座席に押し倒し。

 キスの雨を降らせたのだ。




「……っは……も、やめ……」


 息継ぎもできないほどの口づけに、堪らず顔を逸らすが、


「…ダメ。まだ足りない」


 顎を掴まれ、また唇を塞がれる。

 絡まる舌の感覚に、くちゅくちゅと響くいやらしい音に。

 脳みそが溶かされていく。


 ふいにリップ音を鳴らして、彼が一度離れたかと思えば、


「舌…出して?」


 そう、囁いた。


 ああ、だめだ。その瞳で見つめられては。

 窓の外に広がる、夜の空より深くて暗いその瞳で命じられては。

 もう何も、抵抗ができない。


 あたしは荒い息のまま、犬みたいにみっともなく舌を突き出す。

 触れる空気が、ひんやりと冷たい。

 なんてぼんやり感じていると、それはすぐに生温かいものに包まれた。

 彼に、食べられたのだ。

 アイスキャンディのようにねっとりと舐められ、咥えられ。

 味わうように、弄ぶように、蹂躙される。



 どうしよう。

 彼にあちこち、とろとろに溶かされてしまった。

 あたしばっかり、あたしばっかり蕩けて。

 ずるい。



 そっと、彼の頬に両手を添えてから。


「…………っ」


 半ば無意識に。

 彼の舌の根を探るように、深く深く。

 自ら舌を、絡ませていた。



「…………は」


 しばらくの後。

 舌と舌の間に糸を引きながら離れ。

 彼が、ニヤリと笑う。


「……やるじゃん」


 熱の上がったその表情に。

 もう限界だったはずの鼓動が、また跳ね上がる。


 彼は、瞳を逸らさぬまま。

 あたしの脇腹から腰へと、身体のラインを確かめるように、右手を這わす。

 くすぐったいような感覚に、少しだけ身をよじるが。

 その手はそのまま…

 スカートの下の、太ももへと……





 ………というところで。



「ゥオッホン!!」



 外で馬を操る御者さんが、大きく咳払いをした。

 それに、あたしとクロさんはビクッと身体を震わせて、


『………………………』


 静かに離れ、座り直した。



 あああ……やってしまった。

 こんな、こんな……人がすぐ近くにいるところで、あたしときたら何をやっているのだろうか。



 と、恥ずかしさに顔を手で覆いつつ。

 ちら、と指の隙間からクロさんを覗き見ると、


「………………」


 彼もまた、珍しく……気まずそうに足を組み、窓の外に目を向けていた。

 そして、あたしの視線に気がつくと。


『………………………』


 暫し見つめ合ってから。

 二人同時に、吹き出した。

 声を出さぬよう、くすくすと肩を震わせる。


 それから彼は、口の横に手を当て目を細めると、


「……えっち♡」


 小声で、そう言った。


「なっ!えっちなのはクロさんの方で……!!」

「しっ、声が大きい」


 思わず立ち上がり抗議しようとするが。


「…………」


 車輪の廻るガタガタという音に、御者さんの無言の圧力みたいなものを感じて。

 おとなしく、腰を下ろした。


 悶々としながら座ったあたしの手に。

 クロさんが、自分のをそっと重ねた。

 少し驚いて、彼を見れば。

 その眼差しは、吸い込まれそうなほど優しくて。


「…………………」


 ちょっとだけ、甘えてもいいかな。

 だって一ヶ月も会っていなかったんだし、いいでしょ?


 なんて、頭の中で言い訳をして。

 あたしは、彼の肩に頭を預けてみた。

 彼は、何も言わずにそれを受け入れてくれた。


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