第34話 向かう先に

 仇敵との戦いを終え、ラクスとの再会を果たしたその日、家に戻った俺とラクスは濡れた体を拭い、疲れからか泥のように眠った。不思議と――不思議ではないのかも知れないが、その晩は夢を見ず、気付くと気持ちのいい朝の光を感じて目を覚ました。


 ほとんど同じタイミングで起き出した俺とラクスは、山道を二人で歩き、再び城塞へと戻り俺の旧友――ソルの亡骸を抱え、またいつもの泉へと戻っていた。泉のほとりに立つ大きな木の横の土を掘り返し、そこにソルの亡骸を近くで摘んだ少しの花と一緒に置くと、土をかけて埋め直し、墓標代わりの岩をそこに置いた。


「――こんなもんかな」


 家にあった小刀で岩をがりがりと削り、そこにソルの名前を刻むと小刀を放り投げ、墓標の前に一本の酒瓶を置いた。そうした時に、生前のアイツが一滴も酒が飲めない下戸げこだったことを思い出し、自然と少し笑ってしまった。


「どうかしましたか?」

「いや――なんでもねえ」


 ソルを土に埋める間、黙って俺がそうするのを後ろから眺めていたラクスは、俺の笑みに気付いて声をかけてきた。別に隠すようなことでもないが、今は亡き友との秘密を持ったような気がして、ラクスの言葉には曖昧な返事を返した。

 まだ昼にもなっていない時間、気持ちのいい日の光を体に浴び、ソルが最後に見せた表情を思い出していた。もうとうに死んでいたはずのあいつが俺に言葉をかけた時、少し微笑んでいたような気がする。土に埋めている時にはその名残はなかったので、その記憶が現実のものだったのか、もう俺が知ることはできない。


「あいつ……最後に俺に『ありがとう』って言ったんだ」

「えっと……ソルさんのことですよね?」

「そうだ。その意味が――俺には分からねえ。俺があいつに謝んなきゃいけないことなんて幾らでもあるし、あいつも俺にかける恨み言なんて腐るほどあるだろう。だが、礼を言われるってのは、どうにも分からねえんだ……」


 旧友の死を思い出し、それを口にした時に目が潤むようだったが、鼻からゆっくりと息を吸ってそれを堪えた。ラクスは俺に気遣ってか、それを見ない振りをしながら言葉を返してくる。


「……私には本当の所は分からないですけど、ちょっとだけ――ソルさんの気持ちが分かる気がします。ソルさんにとってバドラックさんは、きっと友達でもあり、憧れの人――英雄・・でもあったんですよ」

「憧れ……?」

「そうです。お二人の間に何があったのか、私も知ってしまいましたけど、ソルさんはきっと……その憧れていた人――バドラックさんがまた立ち上がってくれたこと、その力で悪と戦うと決めてくれたことが、嬉しかったんです……きっと」


 ラクスの話を聞きながら、ソルが最後に俺に向かって『待っていた』と言ったことも思い出す。あいつを死に追いやった俺がそう思うのもおこがましいが、そうだったのかなとラクスの言葉に少し納得していた。


「そういうもん、か……」

「そういうもん、ですっ!」


 俺の言葉を真似て、こっちに微笑むラクスの顔は、昨日の泉での出来事からずっと血色が良く、その姿が透けることもない。こうして見ると、ラクスが悪魔だなんて事実すら忘れてしまいそうだ。


「そういやラクス……お前、記憶が戻ったって言ってたか?」

「はい。バドラックさんのちっちゃい時のことも思い出しましたよっ! 可愛かったですよね〜〜〜っ!」

「よしてくれ……それより、あの砦で戦ってる時、お前――と言っていいのか分からないんだが、いつものお前じゃない奴と話していたような気がするんだが」


 ラクスがその口から告げた話、この地で俺と再び再会した時に別の自分・・・・を作り出したという話を思い出してそう言った。瀕死のラクスを何とか救おうとして、俺とラクスの精神が混ざりあった後から、口調の違うラクスが顔を見せることがほとんどなかった。それが、何だか昔の俺を知っているラクスが消えてしまったように思えて不安だったのだが、ラクスの方は少し思案した後ぱっと明るい顔を作った。


「そうですね、私にも覚えがあります。でも今は――どっちも私、っていうのが答えになりますかねっ!」

「どっちも……?」

「はい、バドラックさんが可愛かった時を知ってる時の私も、今の私も、どっちも同じ私ですっ!」


 笑顔でそんなことを言うラクスの表情に嘘はない。


「じゃあ何だお前のその口調は……元の硬い喋り方のままじゃねえか」

「うーん、なんというか……今の私とバドラックさんとじゃ、少し歳の差があるように見えますからね! こっちの方が自然かと思いましてっ!」

「そういやお前は随分と若く見えるよな……昔は俺と同じくらいの齢に見えたのに……」

「詳しいことは分かりませんが、悪魔だと歳の取り方が違うんですかね? なんかちょっとだけ得した気分ですね!」


 ラクスのあっけらかんとした態度、発言に日常が戻ってきたように感じて俺も小さく笑う。これから俺はこいつと生きていくとして、同じ時の流れを過ごせるのだろうかという思いもあるが、今はそんな小さなことはどうでもいい。


「……そういうもん、か?」

「そういうもん、ですっ! ふふっ……」


 ソルの墓標の前で笑いながら、気持ちのいい風が頬を撫でるのを感じていた。


「そういえば、バドラックさん。これからどうするんですか?」

「うん? どうするも何も……特に何も考えてないが、まあいつも通り木こりの仕事でもするかな」

「そうですか……うん、それもいいですよねっ!」


 ラクスがその言葉と共に、俺がソルの墓標の横に突き立てていた薄く金色に光る戦斧をちらりと見たことで、何を言わんとしていたのかは分かる。仇敵を倒すために再び武器を手に取って戦ったが、別に戦士に戻ろうってワケではない。もう俺や――俺の大切な人間を脅かすものはいないはずだし、日常に戻れるならそれに越したことはない。


 俺のそんな表情を見てにこりと笑ったラクスは、特に言葉もなく視線を落とし、手の平を見ている。


「――昨日のアレは何だったんだろうな」

「ひゃっ……!? バドラックさん……そんな、急に……」


 ラクスが眺めていた手の平を思わず手に取ると、妙な声が返ってくる。驚いてその表情を見ると、頬を赤らめたラクスが視線を俺から反らして気まずそうにしているのが見えた。

 一瞬その表情の意味が分からなかったが、すぐにそれを察し、ぱっとラクスの手を離す。


「何だ……? あ――いや、これは……別にっ! 昨日泉でお前が急に光ったのは何だったんだろうなって思っただけだっ!」

「あっ――あはははは……そっ、そうですよねっ! 嫌ですねえ、私は別に何も気にしてないですよっ! 本当に――――」

「…………何をしとるんだ、お前さんらは」

「うおっ……!」

「ひっ……!?」


 そんな空々しいやり取りの中、後ろから急に声をかけられたので振り返るとフェルムのおやっさんがいた。その背には大きな荷をいくつも背負っており、行商にでも行くのかという様相だ。


「おやっさん……いや、これは――」

「おお、そっちの子がラクスか。バドラックの作り話かとも思ったが――なるほど、べっぴんさん・・・・・・だな」

「はっ……はじめましてっ! ラクスと言いますっ!」

「ははは、元気のいい娘さんだな……そうかそうか、女っ気のないバドラックが惚れるのも頷けるわ」


 急に現れては余計なことを言うおやっさんに、俺の方もどう反応していいのか分からない。


「ほっ――惚れる……?」

「あ、いや違う。ラクス、違うんだ。これはおやっさんの冗談で……」

「えっ、違うんですかぁ……?」

「いやっ、違わねえけど――って何を言わしやがる! おやっさんも変に勘ぐるのはよせっ!」

「バドラックがここまで焦るのも珍しい……こりゃいいもんを見せてもらったわい」

「ですねっ! ふふふ……」


 どうやらラクスの方も俺をからかっていたようで、初めて会ったはずのおやっさんと二人して笑っている。


「お前らなあ…………」

「はっ! そうだ――バドラック! こんな馬鹿話をしてる場合じゃあないっ! すぐにここを離れるんだっ!」

「今度はいきなり何だよ……」

「いきなりも何も、何をお前さんはのんびりしておるんだ!? 下の村に近隣の領主の兵や国軍が迫ってるぞっ!」


 急に緊張感のある表情になったおやっさんは、敵がこの土地に迫っていることを告げる。昨晩、決死の戦いを終えたばかりなのに一体何だと言うのだ。


「何でまた国軍が……?」

「昨日の戦いでお前さんが蹴散らした兵が大騒ぎで逃げ帰ったもんで、お前さんがこの土地に居ることはもう色んな所で騒ぎになっている。しかも領主の子息を殺した・・・とあっちゃあ……」

「おいおい、待て待て。俺はそんな奴殺してなんていねえぞ。ありゃあメフィルの野郎が……」

「んなこと向こうさんが知る訳がないだろう! 各所の奴等がお前さんを討とうとここにぞろぞろ集まってくるぞ……!」


 おやっさんの話では俺が領主の軍を壊滅させ、その子息すらも討ったという話になっているらしい。身に覚えのない――軍を壊滅させたのは事実だが、その誤解を解きたい気持ちもあるが、確かに話が通用するワケもないだろう。


「それじゃあ私達……逃げなきゃいけないんですか……?」

「……面倒だが、そうみたいだな。だがラクス、お前は無関係なんだ。別に俺と一緒に逃げなくても――」

嫌です・・・っ!」


 また単身で遠くの地に行くかと口にすると、ラクスからは強い拒絶が返ってきた。


「ラクス……」

「ずっと一緒だって言ったじゃないですかっ! そんな昨日の今日で約束を破るなんて、そんなの駄目ですっ……!」

「お前なあ……状況ってもんが――」

「あーあーあー、聞こえませーん!!」


 ラクスだけでもこの地で平穏に過ごして欲しいと思った俺の言葉は、ラクスが両手で耳を塞ぐので届かない。


「はぁーっはっは! 最高だな、バドラック。お前さん、絶対に尻に敷かれるぞっ!」

「おやっさん……勘弁してくれよ……」


 どうしたもんかと頭を抱えるが、急に笑いだしたおやっさんにも頭が痛くなってきた。


「決まりだな。すぐにここを発つぞ、バドラック。荷物はまとめてある」

「……ああ、分かったよ。わざわざすまねえな、おやっさん。助かるぜ――」

「おい、待て待てバドラック。それは俺の荷物だ」

「は……?」


 おやっさんが背負っていた荷を有り難く受け取ろうとすると、一部の荷を渡すのをおやっさんが遮った。


「おやっさんの荷物って……」

「何を今更。バドラック、お前さんが行くところに俺が付いて行かない訳がなかろうが」

「ちょっと待て……お前ら本気で――」

「まあまあ、いいじゃないですか! 大勢の方が旅行も楽しいですよっ!」

「ぶははっ! 確かになっ!」


 切迫した状況の中でお気楽な二人の顔を見て、俺一人だけが疲れていた。しかし、おやっさんが俺に付いてくるのも確かに今更の話だ。説得しても話を聞かないであろう相手だし、もう諦めることにした。


「仕方ねえなあ……どうなっても知らねえぞ、俺は」

「またそんなこと言って〜! ピンチになったらまた守って下さいねっ! 頼りにしてるんですから!」

「はっ! お熱いねえ、お二人さん」

「うるせえっ! ――さっさと行くぞっ!」


 ここで話していてもからかわれるだけだと思い、ソルの墓標の横に立つ戦斧を引き抜き手に持つ。身支度もなしにおやっさんから渡された荷物を背負うと、一人先に山を降りる道に向かってスタスタと歩いていく。


「あ……こら、待たんか! バドラック!」

「バドラックさ〜〜ん、待ってくださいよ〜!」

「モタモタしてっと、置いてくぞっ!」


 俺の後を小走りで二人が追ってくる。


 再び訪れたはずの平穏はものの半日で終わってしまったが、俺は先を急いで歩き、二人にそれを見せないように小さく笑った。

 進む先に何が待っているかは分からないが、何だか生まれて初めて前に向かって歩いているような気がして、それがたまらなく嬉しかった。


 気持ちの良い風でざわめく森の木々が、俺と一緒になって笑ってくれているような、そんな気がした。



(了)

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