第33話 再び、出会う

 眼下には月明かりに照らされた生い茂る森の木々が見える。城塞から飛び出した直後は随分遠くに見えたそれが、ぐんと近づいてくると共に、バキバキと音を立てて木々の枝や葉っぱを散らしながら、派手な音を立てて俺は着地した。衝撃に少し足が痺れるが、土を蹴り出してすぐに走り出す。


 俺の家や泉の方向は分かる。この地は俺のよく知る――俺の故郷だ。文字通り一直線に駈けながら、懐かしい草木や土の匂いを感じていた。俺は過去を思い出すまで、こんな感覚すら忘れてしまっていたのか。


「少しの間我慢してくれ、ラクス――――ラクス? おいっ、ラクス、大丈夫かっ!」


 森の土を蹴って走りながらラクスに声をかけるが、返事がない。焦って視線を落とすと、俺の腕の中で白目を剥きながらだらしなく口を開け、真っ青になった顔が見えた。


「くそっ――やべえな……もう力が限界なのか……?」


 ラクスが今どういう状態なのか分からないが、足を止めて意識が戻るまで待っているワケにもいかない。さっきまで会話が出来ていたのに、城塞を出た・・途端にまた意識を失ったラクスの状態を見て焦りがどんどん湧いてくる。もう一刻も許さない状況なんだろう。すぐにでもラクスをいつもの――俺達の泉のもとに連れて行かなければならない。


 枝や茂みなど、進路を塞ぐものの全てをかき分けるようにして進み、坂という坂を駆け上り、崖という崖を飛び降り、前に前にと走っていく。


「はっ……! あ、ああ――よかった……生きてる…………」

「ラクスっ、目が覚めたのかっ!?」

「目が覚めたのか、ってバドラックさん――あんな目に会えば誰だって……」

「もう泉もすぐだ。この崖を降りればもう、目の前だぞっ!」


 山の中を猛進してきたので、思ったよりも早くたどり着くことができた。ラクスを安心させようとそう口にするが、一刻も早く泉にたどり着かなければ――ラクスを泉の水に触れさせてやらければまずい。


「ひっ――また崖ですかっ!? いや、ホント、もう意外と体の方も大丈夫かな〜〜って感じがしてきて……その、バドラックさんも危ないですから――普通の道を行きましょうよ、ねっ?」

「ラクス……強がって俺を安心させようとしてるのか……くそっ、また俺はお前に心配をかけさせちまって――――情けねえ……だが、俺なら大丈夫だっ! そんなヤワな鍛え方はしてねぇっ!」

「いやバドラックさんの心配というか――自分の……」

「もうあと少しだ、頑張れっ! ちょっと高さのある崖だが、そこを飛び降りればもうそこは俺の家――泉があるぞっ!」


 目を白黒させながら、たどたどしい言葉をラクスがかけてくる。意識も絶え絶えで表情も暗いラクスの体がどんなに辛い状態なのか、俺には分かる・・・・・・。そんな状態なのに俺の身を案じるラクスに俺も覚悟を決めた。泉までは、本当に一直線・・・最短・・を行く。


「いや、いやいやいや……崖って普通は飛び降りるもんじゃないですから――ってホントに飛び降りるんですか……ああ、やだやだやだやだ……もう駄目、今度こそ死ぬわこれ」

「ラクスっ! 死ぬな――気を確かに持てっ! くそっ、もうなり振り構ってる場合じゃねえ……! 翔ぶぞ・・・っ……!」

「もう十分なり振り構ってない――――んぎゃああああああ、またあああああああ!!」


 城塞から飛び出した時とは違い、今度は全力の跳躍で崖から飛び出した。放物線を描く前に、宙に放り出された状態の俺は、覚悟を決めてラクスに声をかける。


「ラクス……お前を救うためだ、こんな無力な俺を許せ……俺には腕力・・しかねえからよ……」

「えっ、何なになになにににににに――――ぶはぁっ! 何ですかぁっ!?」


 飛び出した勢いが徐々に失われ、宙に静止したような短い時間の中、俺は腕に抱いていたラクスを持ち直し・・・・、両の手でその細い腰をしっかりと持つ。眼下には俺の家、そしてその横にある泉が見えている。


「ちょっともしかして――嘘でしょ……嘘ですよねっ!? 流石にそれ・・は死にますって! ちょっと考えれば分かりますよねっ!? ああ……聞いてないわこの人……本格的に死んだこれ……もうダメ…………」

「くっっそおぉぉぉおおおおおおおっ!! 死ぬなラクス――――生きろっ!!」

「いやだから、バドラックさんが――」

「――――歯を食いしばれっ!!」


 生死の境をさまようようなラクスの言葉が耳に入り、両手に持ったラクスを構える・・・。重力に引き寄せられ下降する勢いに加え、渾身の力――そして慎重に狙いを定め、遠くに見える泉目掛けてラクスを投げた・・・


「やめっ――――うぎゃああああああああああああっっっ!!!!」


 叫び声を上げるラクスは、斜め下に向かって、一直線・・・の軌道で泉に向かって飛んで行った。数秒後に着水の音が聞こえたので、俺も緊張から額に浮き出ていた汗を拭い、また轟音を立てながら地面に着地する。

 急いで俺もラクスを投げ入れた泉の方に向かうと、おそらくラクスが泉に飛び込んだ時に跳ねた水で、周囲がびちゃびちゃになっているのが見える。


「おい、ラクスっ! 無事かっ!?」


 ラクスは確かにこの泉に沈んだようだが、浮かび上がってくる気配もなく、俺も急いで泉に飛び込んだ。岸の辺りでは深さはそうないようで、腰のあたりまで泉の水に浸かった状態でざばざばと音を立てながら泉の中心の方に向かって進んでいく。


「ラクスっ! いないのかっ!? おい、ラクスっ――――」

「――ぶはっ! ……ふっかぁ〜〜つ!!」

「お、おおおお……」


 ラクスの名を呼びながら泉の中を探していると、ちょうど泉の中心という場所からざばんと波を立てながらラクスが水面に飛び出すようにその姿を見せた。その声に安心し少し足を止めて感嘆の声が漏れ出すが、泉の中心からこっちに向かって泳ぎ、そして足が着くようになったのか、俺と同じように上半身だけを水面に出しながらざぶざぶと歩くラクスが近づいてくる。


「――って、馬鹿っ!! 『おおおお……』じゃないですよっ!! 何してくれてるんですかっ!? 本当に死ぬ所でしたよっ!! というか恐怖で消滅しかけましたよっ!!」

「お、おおおおおお……」


 目の前に立つなり、俺の胸元に指を突きつけながらもの凄い剣幕で迫ってくるが、そのいつも通りの元気な声に思わず笑ってしまった。


「ぶっ――はははははは……」

「ちょっと、何笑ってるんですかっ!? こっちは笑い事じゃないですよっ!!」

「ああ。すまなかった……だが、その様子だともう大丈夫そうだな……」

「呑気なこと言わないで下さいっ!! でも……確かに、もう大丈夫そうですね……」

「良かった、本当に……良かった……」

「全くもう――ダメな人なんですから……ぷっ、ふふふふ……」

「ああ、悪い――くっ、はっはっはっは……」


 お互いの無事、そしてまたいつもの場所に戻ってきた安心からか、二人して声を上げて笑ってしまった。ラクスは指を突きつけていた俺の胸元に、両の手の平を置きながらひとしきり笑った後、顔を下に向けて動かない。


「……どうした?」

「バドラックさんの体温――暖かいです……本当に、生きててくれて良かった……」

「すまねえ、随分と心配かけちまったな。だが、俺の方こそ……ラクス、お前が無事で良かったよ……」

「……最後に殺されかけましたけどね」

「だから、すまんって……」

「くっ――ふふふ、冗談です……」


 何がツボに入ったのか、ラクスは俺の顔を見て笑っている。その表情を見て、俺も自然と顔がほころんでしまう。


「バドラックさんの笑ってる顔――何だか別の人みたいです」

「なんだそりゃ……おかしいことがありゃ笑うだろ」

「全然笑ってなかったですよ……でも、その顔の方が――好きです」

「そっ、そうか? こんな傷だらけな汚え顔、笑ってようが怒ってようが大差ねえだろ……」

「違いますよ……全然」


 含み笑いのような顔で俺の目を見ながら話すラクスがからかってくるので、思わず目を背けてしまった。そんな俺に、ラクスは俺の胸に添えていた手の平を離し、俺の目の前に出して何かをねだるような格好をする。


「……何だ?」

「手、握ってもらってもいいですか……?」

「おっ、おお……」

「ありがとうございます……ああ、ルクス・・・の手、暖かい……昔を思い出します……」

「お前、その名前……」

「すいません、何だかさっきから――随分と昔のことを思い出していて……ちょっと頭が混乱してしまってるのかも知れません……嫌でしたか?」

「嫌――じゃねえ」


 腰のあたりまで泉の水に浸かった状態のまま、俺達は少しの間そうして手を取り合っていた。まだ肌寒いはずなのに、泉の水は不思議と冷たいとは感じず、夢の中で水に包み込まれた時の感覚のように心地よい。


「……私……悪魔なんです」

「ああ。それはさっきも聞いた」

「バドラックさんは、私のこと……怖くないんですか?」

「お前のことが怖いもんかよ」

「そう……ですか」


 目の前の年若い女の見た目をしたラクス。自分で言うように悪魔だということが本当だとして、俺には全く怖さやその存在を疑うような気持ちは湧いてこない。掛け替えのない、大切な人間・・としか思えない。


「私……バドラックさんのうちに戻ってもいいんですかね……?」

「戻っていいも何も――あそこはもうお前の家だ。勝手にいなくなるなんて……もうしてくれるなよ」

「えっ? それじゃ、またいっぱいお話もできますか……?」

「ああ……ああ。勿論だ。ずっと――俺がジジイになるまでずっと……話そう」

「えっ、それって――」

「べっ、別に深い意味はねえよっ……!」


 気まずさに少し目を逸らした俺を、目をぱちくりとさせながら見てくるラクスは、何度かの瞬きをした後に穏やかに笑い、静かに瞳を閉じた。


「嬉しい…………なんだか私のお願い、全部叶っちゃったみたいです……」

「願い……? 何だ、それは――」

「ふふ、内緒です…………」


 ラクスがそう言うと、俺の手の先、ラクスの指先、腕、全身に浸透していくように、青白い光がラクスの全身を包んでいった。

 目の前のまた何だか分からない現象にも、俺には驚くような感情は湧いてこず、月明かりの下で起こったその光景を静かに見ていた。目を閉じたままのラクスの方も、それに気付いているのかいないのか分からないが、静かにそれを受け入れているようだ。


 何だか妙な出来事が多い日だったが、今この時に目の前で起きているのは、奇跡と呼んでもいいものなのかも知れない。静かな光は、まるで月の明かりが俺達の再会・・を祝福してくれているようにも思えた。


 徐々に発散していく光、その全てが取れて目を開いた時、ラクスの顔は初めて血が通ったように血色のよい顔で、それに更にべにを差したように顔を赤らめ、俺の目を見ながら穏やかに微笑んだ。

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