第31話 告白

 全ての敵を退け、俺とラクスの二人だけが残された城塞の薄暗い一室。

 床にうずくまるラクスを抱き起こしその姿を見ると、やはり意識はないようでその全身も今まで見たことないほどに薄く透けており、ラクスを抱える俺の腕や石の床が透けて見える。ラクスがどういう存在なのか未だ俺には分からないが、様子を見るからにかなり弱っているのが分かる。


 床に描かれた紋様はメフィルが消滅した後、鼓動のような明滅を止めているが、それでラクスが元に戻るワケではないらしいことは分かった。部屋に入った時、敵と対峙している時には気付かなかったが、傍にある小さな石の祭壇の上に、何か結晶らしきものが置いてあるのが見えた。それを手に取るが、俺が手にしてもそれは何の反応も示さない。魔法やそれに準じた儀式などの知識はないが、戦っている時にメフィルが言っていた『ラクスの力を利用する』という言葉を思い出し、それがラクスの力を奪うための装置のように見えた。


「おい、ラクスっ!! ラクスっ、目を覚ませっ!!」


 体を揺さぶりながら声をかけても目を覚まさないラクスだが、かすかに肩を上下させてまだ息があることが分かる。反応のない相手を抱える感覚に、さっきも俺がその死を見届けたソルの姿が重なり焦る気持ちに拍車がかかる。敵はもう全て倒したんだ。これ以上、俺のせいで人が死ぬなんてことは考えたくない。


「ラクスっ!! お願いだ、目を覚ましてくれ――」

「バドラック……さん……」

「――ラクス、よかった……気がついて……」

「あの悪魔――は倒したんですね……よかった……本当に――――」


 何度か声をかけた所で、ラクスからようやく返答があった。弱々しい声は今にも消え入りそうだが、自分の状態など気にしないように俺の顔を見て笑い顔を一緒に返してくる。


「ああ、敵はもういねえ。勝ったんだ――俺達・・の勝ちだ……! そんなことより、お前の方がボロボロじゃねえか。あの野郎に何をされた……? 俺は一体どうすれば、お前を救けられる……」

「ルクス……それは、もういいの……きっとこれはずっと――――バドラックさんにずっと嘘をついていた私への罰なんです……」


 虚ろな目をしているラクスは何か混乱しているのか、俺の過去の名前と今の名前を混同しているようで、口調も定まっていない。


「もういい、なんてことがあるかっ!! 教えてくれ、お前を救ける方法を――俺は何だってやる……!」

「それより、お願いルクス……聞いて」


 焦る俺の口を塞ぐように、ラクスは手を伸ばし俺の唇に指を置いた。そんなラクスの行動に驚き、固まってしまう。


「ごめんなさい――――ごめんなさい、バドラックさん……最後に伝言メッセージを部屋に残してきましたけど、本当は全てを話していなかったんです。私はバドラックさんと、短い時間だったけど一緒に過ごせて本当に嬉しかったんです……けど、まだ言っていないことが……言えなかったことが――――ルクス、あなたに隠していたことがあるの……」

「のんびり話してる場合かよっ!! 俺は別にお前が何を隠していたって――」

「本当は私、悪魔・・なの。ルクス、あなたと出会うためにこの世界に生まれたその時からずっと……私のことを友達と言ってくれた遠いあの日も――――この地でバドラックさんと会った時、精霊の真似をして現れたのも私が悪魔だってことを隠すためだったんです」


 ラクスの瞳からは、すうっと一筋の涙が流れ、それを追うように両の目からぽろぽろと綺麗な雫が落ちていく。話を続けるラクスは、まるで人格がころころ入れ替わるような妙な話し方をする。そして、先刻メフィルに告げられた『ラクスが悪魔だ』という事実を、その口から語ってきた。


「ああ、ああ……分かってる、最初から分かってたさ。こんな妙ちくりん・・・・・な精霊がいるもんかよ……俺はお前が悪魔だろうが魔物だろうが、何だって構わねえ。だから早く――」

「ごめんなさい、私は醜い存在なんです……あの邪悪な悪魔・・・・・・・と一緒。欲を満たすために生まれた存在。あの泉の傍に……バドラックさんをこの地に留めるために精霊だなんて嘘を――――あなたが初めてあの泉にやってきて、水の底を覗き込んだ時……私は深い水の中で、まるでその水底にまで眩しい光が差し込んでくるように感じたわ。そんな暖かい光のようなあなたを、綺麗な泉だと言ってくれたあなたと、『お話がしたい』『もっと私のことを知ってもらいたい』、そう思った。そう望んでしまった……そんな欲と共に私は、悪魔として生まれた……」


 俺の言葉を無視して話を続けるが、普段とは異なるラクスの口調も、どこか懐かしいものを感じる。その感情は一体何なんだと俺の方も混乱してしまい、その話に聞き入ってしまう。


「あなたと過ごした遠い昔の日々……泉のほとりに座って、村の子供達と遊んだことをあなたが楽しそうに話してくれたこと。あなたが夜こっそり家を抜け出して来てくれて、一緒に星空や泉に映るまんまるの月を見たこと……今でも昨日のことのように覚えている……」

「ラクス、何を言ってるんだ……遠い昔って何のことだ……? 俺達はここで会ってからそう日は経っていないだろう……」

「心無い者の手によってあなたの大事な村、故郷が焼かれてしまったこと……一人生き残ったあなたが絶望の淵にいたことも知っていた……そして、綺麗な輝きを曇らせてしまったあなたが、泉を訪れずにこの地を離れてしまったこと……できることなら、そんなあなたの傍らに居てあげたかった……この世に生まれた醜い私に、色んなことを教えてくれて、明るく笑いかけてくれたあなたにできることがあるならば、何でもしてあげたかった……でも泉に縛られた私にはそれができなかった……それが心残りだった……」


 ラクスが続ける内容はまるで俺が遠い昔にラクスと一緒に過ごしていたような話だったが、俺を誰かと勘違いしているんじゃないかと思う程に何の話か分からない。しかし、この妙な口調で話すラクスは確かに俺の昔の名を呼んだし、その話を聞いていると妙に心がざわつく。涙を流しながら言葉を続けるラクスの神妙な表情に、思わず唾を飲んでまた黙ってしまった。


「そんなあなたが、変わらない光を持ったままこの地に戻ってきてくれた時は本当に嬉しかった……きっと、素晴らしい人に、閉ざしてしまった心を開いてくれる友達に出会えたんだって……でもあなたは、この地を離れた時に抱いていたものとはまた違う、深い闇のような悲しみや失意を抱えていた……本当は自分が悪魔だなんてことも忘れて、なりふり構わずにあなたの前に姿を現して、『おかえり』と言いたかった……でも、私がそうすることで……きっと私があなたの辛い過去を思い出させてしまう……それが怖かった……」


 俺がこの地を離れ、またこの地に戻って来たことは事実だ。ラクスが言っているのは、恐らくソルを失った後に軍から逃げ出し、この地に舞い戻った時のことだろう。


「だから私は、過去のほとんどを消し去った、全く新しい私を作り出した……またあなたと初めて出会った時みたいに話せるように……でもそれも駄目だった……あなたを――――バドラックさんを知っていくうちに、その悲しみに触れずにいることができなかったんです……そのせいで、バドラックさんの辛い過去を思い出させて、深く傷つけてしまいました……だから、私……何もできない私は、バドラックさんの傍にいる資格なんてない……また、何も考えない、何にも干渉しない、何者でもなかった時のように、泉の水に還ろうって…………泉の底で、バドラックさんの幸せを祈っているだけの……そんな存在に……」


 長く過去を語っていたラクスはまた口調を変え、そして最後には嗚咽のような泣き声で言葉を止めてしまった。もう話すことも辛い状態にも関わらず、謝罪の言葉を続けるラクスを見て、俺自身、何てちっぽけな人間だろうかと思う。


「ラクス……それは違う。違うんだ……俺は――お前に謝りたかった。過去に縛られて、復讐に身を焼かれて、それでも過去から逃げて、何もかもを敵だと思っていたのは俺自身の弱さだ。お前が俺にしてくれたことに、何も悪いことはなかった。そんなお前に、俺は何もしてやれなかった。報いてやれなかった。お前が俺に大事なことを思い出させてくれなかったら……きっと俺は復讐心に呑まれた絶望の中で、あの野郎にやられて無意味に死んでいっただろう」


 泣きじゃくるラクスの肩を空いた手でしっかりと掴み、言葉をかけているうちに、俺の目からも涙が流れ出てきた。


「ソルのことだってそうだ。唯一無二の友の――恩人の、首を跳ねるところだった。メフィルの野郎を倒すためだからとは言っても、そんなことが俺に許されるワケがない……最後に、あいつの言葉も聞けた……謝ることはできなかったけどよ……」

「……バドラックさん……」

「だから、そんなお前に、酷いことを言っちまって本当に悪かった……許してくれとは言えないが……お前は、悪魔と呼ばれていた俺を、また人間にしてくれた・・・・・・・・。本当に感謝してるんだ」

「そんな……私なんて何も――――でも、もしそう思ってくれるのなら、良かった……新しい私は、少しは上手くやれたのかな……私も、最後にあなたの声が聞けて嬉しかった……ルクス、私と出会ってくれて、ありがとう……」


 俺の昔の名を呼ぶラクスは、そう言って穏やかに笑った。その表情に懐かしさを感じるが、まるで最期の時のような言葉に、俺の頭にはまた焦りが戻ってくる。


「何言ってるんだ、最後なワケがないだろうが。許さねえぞ……そんなこと――」

「ねえ、ルクス……手を貸して……?」


 頬を流れる涙を拭い、弱々しく笑うラクスをなんとか救う方法はないかと周囲を見回していると、震える手を伸ばし、開いた手の平をラクスが見せてきた。


「何だ……? 手を握ればいいのか……?」

「ええ……とっても懐かしい。昔は私たち……あの時はルクスも私も、年の頃もそう変わらないみたいだったから、こうやって手の大きさの比べっこなんてこともしたのよ……」


 俺の目を見て、瞳から流れ続ける涙を払うかのようにラクスが笑う。ゴツい俺の手に比べると二回りくらい小さい、細い指を伸ばした手の平を俺に差し向けてくる。


「そんなことくらい……これから何度だってやってやるよ……」

「懐かしい感触……本当にあなたは、昔のまんま――――」


 消え入るような声をラクスが呟き、その瞼が落ちかける。

 その様子に慌ててラクスの名を呼ぼうとした時、合わせた手の平の中に熱を感じた。


 一瞬の間をおき、俺とラクスを中心にまばゆい光が溢れ出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る