第28話 捨てた名

「なんだと?」

「ですから私、正真正銘の悪魔・・なんです」


 一瞬ぞくりとするような視線で見据えてきたと思えば、すぐににやりと不敵な笑いをメフィルが浮かべる。メフィルの視線に一瞬怯んだものの、自分のことを悪魔だと言うメフィルを見ても、湧いてくるのは恐怖より怒りの方が強かった。


「んなこと――知ったことあああああああああ!! おらぁっ!! テメエだけは絶対ぜってえぶっ殺してやる!!」

「おっとっと……参りましたね、目の前に悪魔がいるというのに意に介さないその反応――さすがはバドラック様といった所でしょうか……」


 すでに使い慣れた得物――俺の戦斧はメフィルの手によってちりと化してしまったが、素手喧嘩ステゴロでもやってやるという思いから拳を固めて腕を振るうが、ひらりひらりと躱される。素手での攻撃は空を切るばかりだ。俺の振るう幾つかの拳は当たったかと思うのに、まるでメフィルをすり抜けるかのように当たらない・・・・・


「ふふ――全く最高ですよアナタは。素手でかかってくる人間など、今まで一人もいませんでした。よっぽど私が憎いんでしょうか――」

「うるせえええええええ!! テメエは黙って死ねやああああああ――――がっ!!」


 すんでで攻撃を躱したメフィルの蹴りをもらってしまった。貧相な見た目に反した強い一撃にふっ飛ばされ、硬い床を転がる。そのメフィルと入れ替わるようにして、ソルともう一人の敵が襲いかかってくるのですぐに身を起こすが、もはや手には武器もないので、敵の剣を躱すので精一杯だ。


「テメエっ!! 後ろに引っ込んでないでかかってきやがれっ!! 俺はテメエを殺すまで――手足がもがれようが、首だけになろうが、絶対にテメエはぶち殺す!!」


 目の前の敵――元はここの領主の息子だった男を拳を振り切って殴りつけ、そのまま床に叩きつけるようにして敵の頭部を砕く。動かなくなった敵を見て、さすがに頭を潰されては死ぬのか、なんてことを思いながら唾を飛ばす勢いでメフィルに向かって叫んだ。


「おお……お見事。やはり魔力を込めても元が駄目だと話になりませんねえ。ですが――アナタのお友達とは戦えるんでしょうか?」

「くっ――おい、ソル!! 頼むっ!! もうやめてくれっ!! 俺はあの野郎を倒さなきゃなんねえんだ!!」

「あーーーっはっは……健気ですねえ。でも残念ですが、お友達にアナタの声は届きませんよ。だって――もう死んでるんですから」

「テメエはぁぁああああ、黙ってろ!! テメエだけは絶対に殺すっ!! おい、ソルっ――ぐうぅっ……!!」


 メフィルへの怒りで、目の前のソルとの望んでもいない出会いから受けた悲しみは消し飛んだが、必死に声をかけても俺に向けて剣を振るい続けるソルは止まらない。相手の攻撃をただ避けることしかできない俺に対して、その鋭い剣さばきは俺の身体に段々と傷を刻んでいく。


「……ソル……くそっ、もうお前に声は届かねえのかよ……くそっ――こんな野郎にただ殺されてたまるかよ……」

「ああ、ああ、ああ……そんなに傷だらけでお可哀そうに……殺したくて殺したくてたまらない相手がここにいるのに、何もできずに朽ちていく最強の戦士……ああ、本当にたまりません――――が、もうここらが幕引きでしょうか」

「……テメエなんぞに……やられるかよ」


 顔面を手の平で覆い、泣く真似なんかをして見せるメフィルの動きに連鎖するかのように、ソルの動きも止まる。重い身体を無理やり前に突き出し、この機を逃すまいとメフィルに向かって殴りかかった。余裕を見せているのかこちらを見ていないメフィルの顔面目掛けて思いっきり突き出した拳は、その顔を貫いた・・・――かのように見えたが、手応えはなく、俺の腕が突き刺さったその顔が笑み・・を浮かべた。


「なっ――――」


 気味の悪さを感じて後方に飛び退くと、笑い顔のメフィルには傷一つ付いていないのが見てとれる。


「ああ、そうそう……言い忘れていたんですが、私のような悪魔――感情アストラル体の存在に、物理的な干渉はできません。前にも言ったような気もしますが、忘れていましたかあ?」

「そんなフザケた話が――」

「あるんですよお、それが。でもこれでようやくご理解いただけましたかね。アナタが私に勝つ可能性が――万に一つもない、ということに」


 メフィルの言葉、表情に、きっとさっきはわざと・・・俺の拳を受けたのだと気付いた。俺の拳が奴に届かないことを分からせるために。俺の心を折るために。その事に気付いた時、胸の中に溢れかえる怒りの感情が、さっと灰色の暗く重い感情に変わるのを感じた。


「いいですよお、その表情。知っていますか? それは絶望・・と言うんです」

「ナメやがって……そんなワケが――」


 目の前の仇敵にどうやっても手が届かないことが悔しくて悔しくて震えるほどだが、相手の言うことに納得してしまいそうになる。ふと足元を見ると、メフィルに破壊された俺の戦斧の柄が転がっている。長い年月、共に戦ってきた得物が朽ちている姿を見て、その姿に俺自身を重ねてしまいそうにもなる。そんな思いを頭に巡らせながら、小剣ほどの長さのその柄を拾った。


「……ちっ、どうやら認めなきゃなんねえようだな……」

「おや、諦めてしまうのですか? そんなゴミ・・を拾って……まさかそれを武器に戦うおつもりなんですか? ああ、こんなにも惨めなバドラック様……それも感慨深いです」

「言ってろ。認めるってのは俺がここで死ぬことを、だ。だがテメエだけは――――許すワケねえだろうがああああああ!!」


 手に持った戦斧の柄を、メフィルの方を目掛けて全力で投げた。その軌道の先に立つメフィルは、それを見ても微動だにしない。


「……残念です。今更そんな無駄なあがきを――」


 俺が投げた金属片はメフィルの手前の石の床を粉砕した。その衝撃で石片が飛び散り、もうもうと土煙が舞う。その光景を見届けることもせず、俺は後方に向かって走り出す。


 メフィルが嫌がらせのように長々と戦闘を続ける中、俺は意識的にラクスを背にして戦うようにしていた。メフィルの方も興味は俺にしかないようで、ラクスを気にすることもなかったので自然とそういう位置取りになったとも言える。土煙でメフィルとソルの視界を奪っている間、鎖に繋がれたラクスの元に駆け、天井から伸びている鉄の鎖を掴んで引きちぎ・・・・った。それに体重を預けていたラクスが俺にもたれてくる。


「おい、ラクス!! ラクス、目を覚ませ!!」

「バドラック……さん……?」

「ああ、俺だ。話したいことも――あるが、今はゆっくりお喋りしてる場合じゃねえ」

「バド……ラックさん……あの男――あの悪魔は……?」

「そうだ、そいつのことだ。お前を助けに来たつもりだったが、どうにも勝てる気がしねえ。俺はここで暴れるだけ暴れる。あの野郎に、どうしても一矢報いたいんだ……その間にお前は一人で逃げろ。お前は――生きろ」


 辛うじて俺の言葉を認識できているくらいの弱々しい様子のラクスは、消え入りそうな視線で俺の目を見返してくる。


「そんな、駄目です……バドラックさん……なんで助けになんか……」

「ラクス、お前には何かとつっかかったり嫌な思いをさせちまったからな。せめてもの罪滅ぼしだ。ここにはソルもいる。俺の死地に選ぶには――悪くない」

「待って……バドラックさん……お願い――」

「いいか、すぐに逃げろ。分かったな――」


 メフィルのいた方を見ると、土煙の向こうに薄っすらとその影が見え、俺の行動もすぐにバレてしまうだろう。身体を動かすことができないラクスの身体を床に降ろし、最後の戦いのために敵のいる方に向き直した。死を覚悟した俺を引き留めようとするラクスに背を向け、構えを取る。


 ラクスが動ける状態なのかは分からないが、這ってでも逃げてくれと願うばかりだった。俺はこの場を――ソルをあのままにして逃げるワケにはいかない。あの憎き悪魔を倒せるかは分からないが、この場で共に死ぬことが俺にできるせめてもの、ソルへの報いだろう。段々と晴れてくる土煙を見ていると、最後にラクスの身の安全だけは確保できたので、死を覚悟した戦いに挑もうとした気持ちが戻ってくる。それと共に身を焼くような怒りが再び湧き出してくる。


 死んでいった俺の家族、故郷の同胞達、そして共に戦場を駈けた友を思い描き、その全てを奪った敵――全身の血が沸騰するようなメフィルに向けた怒りに身を包む。固めた拳から血が出るかのように握りしめ、床を蹴った。


「――うおおおおおおおおおっっ!!」


 煙の奥に見えたメフィルの影に向かって駆け出した――その瞬間、俺の身体の動きが止まる。正確には動きが止まったワケではない。時間の流れが静止したかのように、重い水の中を進むような感覚。


 驚く間もないその一瞬の中に、後ろから両の腕で優しく包まれるような感触を、同時に感じた。


「待って――ルクス・・・。それでは駄目」


 耳の中に、懐かしい声――そして、懐かしい名前が響く。

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