第27話 悪魔の笑み

 土気つちけ色の顔の男が目の前に立つ。

 正確にはもう、それは人ではないのだろう。しかし俺の目に映るそれは、過去の日々を共に過ごした時の姿とそう変わりのない、とても懐かしい顔だ。記憶の中の姿と違うのは、いつも朗らかに笑っていたその笑みは消え去り、焦点の合っていない視線。その口から俺の名前が出てくることもないし、俺の姿を捉えられているのかも定かではない。


「ソル……やめてくれ…………」


 嗚咽のような声が漏れてしまった。

 そんな腰の引けた俺の様子などには関心もないのだろう。後ろで嫌らしい笑みを浮かべるメフィルの指示に従うだけのソルは、俺に向けて何度も何度も剣を振るう。もう武器など手にしたくもない気持ちなのに、その感情に反して俺の体は戦斧を繰り回し、反射でソルの剣を受け止めてしまう。


 重い。こんな重い剣だったのか、という驚きすらあるほどに。

 思えばソルと剣を交えることはほとんどなかった。若い新兵の時分に、共に訓練に励んだ時くらいだ。よほど懐かしいその感覚の中には、正義を貫かんとしていたソルの真摯な想いや勢いは失われており、ただただ俺の命を摘み取ろうとする無駄のない、淡々とした金属の重みしかない。


「どうですぅ? 懐かしい強さでしょう? バドラック様のために大事に取っておいたんですよぉ……本当に、あの時に殺しておいて良かった・・・・・・・・・・

「う……ソル……頼む、頼むから……俺のせいだ…………俺が悪かった……」


 喉から絞り出すような声はいつしか懇願のような響きに変わり、視界はどんどんと滲んでいく。戦いの最中、眼に涙を滲ませるなんて初めてのことだ。一体何故こんなことになっているのか理解ができず、目が回るような混乱に息もできない。何で俺はソルと戦っているのだ。一体何故、俺はこんなところにいる。


 目の前にいる存在が俺のよく知る旧友でないことは分かっている。志半ばで死して尚、外道の手によって操り人形となってしまっている――正義のために戦うことを誰よりも愛した男。その攻撃の鋭さ、重さ、また友と再会できたかのような懐かしさに、少し嬉しさを感じてしまっている自分もいる。この男が、こんな悪の手によって意味のない剣を振るうことを心底嫌悪するだろうと知っていても。


「あれえ、バドラック様――アナタ、泣いてらっしゃるんですかあ? 感激の涙、素晴らしいです。私が手塩にかけた贈り物――そんなに喜んでもらえて嬉しいです…………ああぁぁあ、いい。そんな顔もいいですねえ……何と言えばいいんでしょうか――絶望? そんな言葉が陳腐に感じるような深い感情です……」

「やめて――くれ……」


 吐き気のするようなメフィルの声が頭に響き渡る。


「――ぐぅっ……!」


 ソルの無機質な攻撃を受け続けている横から、いつの間にか俺に迫ってきていたのか、もう一人の敵の剣を受け、後方に投げ出された。辛うじて戦斧の柄で受けていたので傷はないが、石の床に転がった体は、立ち上がることを拒んでいるように動かない。


「もう…………もういい、殺せ……」

「え? ――――はぁぁあああ、何ですバドラック様。その様は。それは良くない。良くないですよお。面白くありません。お前たち――控えなさい」


 何のつもりか、急に態度を変えたメフィルが開いた手を上げると、ソルともう一人の敵の動きが止まった。戦斧の柄を杖のようにして立ち上がろうと膝立ちになっている俺を、冷たい目で見据えてくる。


「見たことのないバドラック様の情けない様子に思わず興奮してしまいましたが……駄目ですよお、それじゃあ。全然駄目です。戦友との再会――そして激闘の末、ご友人を再びその手で殺し、勝利したバドラック様を――私が殺す。そういう台本シナリオなんですから」

「テメエは……一体何を……」

「少し刺激が強すぎましたかね? それじゃあ一つ……バドラック様がもう一度戦う気になるような話をしましょうか――――そうですね、昔話でも」


 冷たい視線のまま口角を上げただけという表情で、人差し指を上に向け、今思いついたというようにメフィルは語り始める。


「私はですねえ、この土地が好きなんですよ。昔から――そう、バドラック様がまだ小さな子供だった・・・・・頃くらいですかね? 私がこの地にやってきた時から、随分好き勝手やらせてもらいましたから。馬鹿な領主――その時私の玩具おもちゃになってもらっていた男は死んでしまいましたが、その男を使って近隣の領主と殺し合いをさせたり、そのどさくさに領内の住民を殺したり村を焼いたり・・・・・・もしましたねえ。いや、懐かしい」

「何を言っている……?」

「ですが、どうにも飽きてしまいましてね。愚劣な人間共が泣き叫んだり命乞いをするのを見るのは楽しかったんですが……同じ事ばかりを繰り返しても、ねえ? ですから――とっても嬉しかったんです。生まれ故郷を焼かれ・・・・・・、一人その復讐のために兵士となり、大軍の先頭に立つ英雄となった少年が、私に会いに戻ってきてくれたのには」


 メフィルの話に、俺がいつも夢に見る――建物や木々、生まれ育った村が焼かれていく光景がありありと浮かんできて、何も言葉を返すことができない。口を開けたまま何も発しない俺の姿を見て、満足そうな顔でメフィルは話を続ける。


「その時ですよ、今日というこの日、この場所で! アナタと再び相まみえることに決めたのは。とても素敵なアイデアだと思いませんか、バドラック様も? アナタから全てを奪った憎き相手と戦うんですから。盛り上がるに決まっているじゃないですかあああああああ!! あの時、隙だらけだったアナタを殺さないで、副官だったこの男・・・を殺したのも、今となっては大正解でした。バドラック様のあんな表情を見られるとは思いもしませんでしたので…………さっ、私の話はここまでです。何か質問は?」


 目の前で楽しげに語り続けたメフィルの話が終わり、人を小馬鹿にするような態度で俺からの問いを求めてくる。その不快極まりない話は、一言で言えば腑に落ちた・・・・・


「ソルを殺した――あの領主と一緒にいたのが、テメエだってのか」

「はい、正解!」

「俺の……故郷の村を焼いて皆を殺したのも、テメエの仕業か」

「はいっ! それも正解ですっ!」


 メフィルの言葉に、今までの全ての出来事が繋がった気がした。幼い頃だったからよく分からなかったが、後になって聞けば俺の故郷の領主が村々を思いつきのように荒らしていると言う噂を聞いた。その乱心とも言える行動が徐々に強まっていき、ついには中央に目をつけられて俺に領主の討伐の下知が下ったのも、目の前の男が意図的に起こしたことなんだろう。その命令を受けた時、生まれ故郷を壊された復讐のため、全てを捨てる覚悟で――そして怒りに任せるがままに領主の持つ全てを破壊するべく戦いに赴いたことも、同時に思い出した。


「おやっさんは――フェルムのおやっさんを狙ったのは何でだ?」

「フェルムさん……はて――ああ、鍛冶屋のお爺さんのことですか! あれは別に特別な理由はないですが……バドラック様を焚き付けられるかと思いまして」

「ラクスを攫ったのは?」

「それも同じですねえ。まあ、珍しい悪魔なので、役に立ってもらおうと思ったのは事実ですが。ほら、大きな魔力を持った存在というのは、色々と使えます・・・・から」

「そうか……」


 あっけらかんとした調子で話し続けるメフィルに、もう問うことはなかった。俺のことをいつも気にかけてくれるフェルムのおやっさんが、視界の奥で意識を失ったように項垂れるラクスが、こんなクソみたいな野郎の思いつきで傷付けられたという事実も。目の前の存在が、ただ純粋な悪――敵だという事実も、最早変わりはない。もう足がふらつくこともなく、立ち上がった。


「全てテメエがやったことか……」

「ええ、ご理解いただけて何よりです」

「クソったれが……本物の悪魔かテメエは」

「悪魔――そんな、国中の兵から戦場の悪魔と恐れられるバドラック様にそんなことを

言われるなんて――嬉しいですねえ」

「ふぅ……そうか……テメエか――――」


 胸の中からどんどんと溢れてくる感情が、まだ悲しみや怒りという色を帯びないでいる間、深い呼吸をしながらその事実を受け入れた。再び、大きく息を吸い込み、そして柄が折れるのではないかという渾身の力で戦斧を両手に握りしめる。


「テメエかあああああああああああああああああああああ!!」


 全ての感情を口から絞り出すかのように咆哮を上げ、床を蹴り前に飛び出した。

 俺が駆け出した時、強く蹴った石の床がひび割れる音と同時に、メフィルの周囲に控えていた男達――ソルともう一人の敵が武器を構えるのが見えたが、構えを取る動きが終わる前にその間をすり抜け、奥に立つメフィルを目掛けて矢のように一直線に迫った。


 一瞬の間に目の前に迫る俺の動きを見て、メフィルの顔に張り付いた笑みは消え、目を見開く。


「くたばれやあああああああああああああああああああ!!」


 思い切り後ろに引いた戦斧をメフィルの脳天目掛けて振り下ろした時、メフィルの表情がニヤリと歪むのが見えた。俺の渾身の一撃は石の床を粉砕する。


 俺が叩き潰したはずの敵、戦斧の軌道は不自然にすり抜けた・・・・・かのようにそれを捉えることはなく、何事かと顔を上げると一歩引いた所に立つ、全く傷を追っていないメフィルの姿が見えた。慌てて床を砕きめり込んだ戦斧を引き上げ、再び構えを取ろうとした時、その斧頭がぐっと強い力で抑えられるような手応えを感じた。


 見ると、俺の戦斧の先――刃の部分にはメフィルの細い腕が伸び、刃を素手で握ったメフィルの力が異常に強いのか、押しても引いても動かない。


「先程――私のことを悪魔と仰いましたが」


 ぽつりと喋りだしたメフィルの表情と、目の前の光景に息を飲む。硬質な金属でできた俺の戦斧が、まるで風化していくかのように、先端から徐々に崩れて・・・いく。


「仰る通り、悪魔なんです。私。文字通り・・・・


 形を失った戦斧から手を離し、今度は俺がメフィルから一歩距離を取る。そんな俺の姿を見て、薄気味悪く恍惚こうこつの表情を浮かべたメフィルが放った言葉に、身が凍るかのような感覚を得た。

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