第25話 城塞

「今、何が起きたんだ……?」

「何がって……アグロス様がふっ飛ばされた、だろ……」

「あり得ねえ……たったの一撃で……」


 地に伏すアグロスは俺の一振りでぶっ飛んだ後、ぴくりとも動かない。相手の持っていた武器のせいもあるが、敵と交錯する時に妙な手応えを覚えた。巨漢だとは思っていたが、想像を越す重量を手に感じていた。

 俺がそんなことを考えているのをよそに、満を持して登場した隠し玉があっさりと沈んだのを見て、兵達がひそひそと話す声で周囲はざわめく。


「おいテメエ、散々調子に乗っといてこれで終わりってこたあねえよな?」


 フェルムのおやっさんの返し・・としてボコボコにしてやりたかったが、アグロスが思ったよりあっさりとやられてしまったので意識があるのかどうか分からないそれ・・の肩を掴んで引き起こす。意識が飛んでいるのか、相手の反応はない。


「聞いてんのか、この野郎――――」


 いっそ叩き起こしてやろうかとアグロスが被るヘルムを剥ぎ取った時、その中から出てきた思わぬ顔に少し驚き、肩を掴んだその手を離してしまった。ゴツい男を想像していたが、そこにあったのは狼のような顔だ。それも犬面いぬづらというものではなく、顔中を黒い毛に覆われ、口から牙が覗くその顔は狼以外の何者でもない。


「コイツ……魔物? テメエら、魔物なんかとつるんでやがるのか?」

「ひっ――ま、魔物っ!?」

「アグロス様が魔物……? どういうことだ……?」


 見るからに魔物――狼という風貌のアグロスだったが、こいつはたどたどしいながらも人の言葉を口にしていた。ここから遠く離れた山や森に生息する二本足の魔物――狼の獣人ワーウルフの存在は勿論知っている。しかしそれらは独自の言語で仲間内での意思疎通をするくらいで、人語を解する奴がいるなんてことは知らない。しかし、思い当たる部分もあった。以前どこかで聞いたことがある――魔力によって人から作られた魔物が存在するということを。禁呪きんじゅと呼ばれる怪しげな魔法で作られたそれが、魔物よりも強大な力を持ち、人語を操るということも。


 一瞬の間、そんなことを思いふけるが、目の前に敵の一群がいることには変わりない。本当かどうかは知らないが、領主の兵達も、その将もアグロスが魔物であることは知らなかったような反応を示していた。地面に仰向けに倒れ、だらしなくその犬みたいな口から長い舌を出しながらノビ・・ている姿を見て、皆一様に目の前の存在は一体何なんだ、というような顔をしている。


「おい」

「――ひぃっ!!」

「……こいつが魔物かどうかなんてこたあ、こっちにはどうだっていいんだ。俺は奥の奴・・・に用がある。どかねえんだったら、力尽くで――押し通るぞ」


 戦いが一時中断していたが、砦の中に突入するために邪魔な連中に声をかけた。敵が目の前にいるというのに、だれも持った武器をこっちに向けることもせず、倒れているアグロスと俺とを呑気に見比べたりしている。


「我等を……殲滅するのではないのか?」


 部下の兵達を自分の盾にするかのように、その後ろに隠れていた隊を率いる将らしき男が、おずおずと声をかけてきた。


「別に、お前らなんかに興味はねえ」

「興味がない……? 貴様――貴方アナタは砦と砦を守る我等を殲滅しに来たのではないのか……?」

「だから興味ねえっつってるだろうが」

「では、逃げ出した者を……地の果まで追ってくる、という話は?」

「……テメエ、人のことを何だと思ってやがるんだ」

「人の皮を被った悪魔――――ひぃっ!! すいませんすいません、何も言っていません!! しかしこれは……うぅん……」


 緊張感のない言葉ばかりを投げてくる男は、俺の返答を聞き、唸っている。暫しの間、顎に手をあてて何か考えを巡らせていた様子の男が、ゆっくりと口を開く。


「――となるとここは………………退却っ!! 退却だあぁぁーーー!! 付いてこれない奴は捨て置くぞっ!!」


 俺とのやり取りに何か納得したような表情になった男は、指令を投げ捨てるように出しながら俺の脇をすり抜け砦の外の方向に向かって一目散に走っていった。残された兵達の全てはぽかんという顔をしている。


「たっ――――――隊長が逃げたあああ!!」

「隊長!! 敵前逃亡は死罪ではっ!?」

「うるさいわ!! 私ははなからこんな戦場に来る気はなかったのだ!! グライスの奴に無理やり――そんなことはどうでもいいっ!! とにかく退却だっ!!」

「そ、そんなああああ!! お……俺達も逃げるぞおおおおおっ!!」


 既に後方の距離のある所にいる隊長は後ろも振り向かずに駆けていく。そんな男の言葉に、部下の兵達も槍や盾を投げ捨て、俺を迂回するようにその全てが走り去っていく。隊を率いる男の言葉からすると、恐らくこの砦を建造した領主の直属の将兵ではなく、協力関係にある人間なんだろうが、こんな酷い退却は見たことがなかった。


「なんだったんだ、アイツ等。それにこの……アグロスとかいう野郎も」


 戦うことなく敵を散らすことができたのは幸いだったが、城塞の入り口の前で一人寂しく立っている絵面は、ここがさっきまで戦場だったとは思えない。意識を失って地に伏したままのアグロスの間抜け面を見ても、また緊張感がなくなりかける。


「人を魔物に変える魔法――まさかな」


 禁呪の存在に嫌な胸騒ぎを感じたが、頭を振って妙な考えを振り払う。今は無駄なことを考えている時ではない。視界内に敵はいなくなったが、ここは敵陣だ。それに、俺には倒すべき相手がいる。


 手に持った戦斧をぎゅっと握り直し、後方から敵兵が迫る気配もないのでゆっくりとした歩みで城塞の入り口に向かう。片手で重い扉を押し開けるが、ぎぃと軋むような音がするだけで、建物の中は薄暗く敵の気配もなかった。山の上に建てた砦にしては仰々しく長い廊下が前方に伸びており、灯りも壁にある松明くらいのもので中からは何者かが動くような気配もない。


「どうなってやがる……砦の中は空っぽなのか……?」


 前方に注意を向けながら石造りの暗い廊下を進むが、俺の靴底が床石を叩く音がするだけで建物の中は静寂に包まれている。その状況は明らかに妙だった。いかに敵である俺が一人であるとは言え、防衛拠点であるはずの砦の――城塞の中に兵が一人もいないなんてことは、よっぽど敵を見くびっていたとしてもあり得ない。それも、砦の外周や城塞の前に兵を敷き詰めるような警戒度合いである最中さなかに、だ。


 胸騒ぎが強くなってくるので、少し歩調を速めながら奥へと進む。しばらく歩くと、扉枠のような仕切りの向こうに少し明るい空間が見えてきた。

 そして、そこにいる――数人・・の人影も。


「おやおや、これはバドラック様。お早いお着きで」

「メフィル……この部屋は――」


 武装した兵の一群を連れるワケでもなく、俺の本命の敵であるメフィルがその姿を見せた。舐めた口調に苛立ちを感じたが、それもすぐに霧散する。部屋の奥にある、儀式を執り行うような妙な空間の前に立つメフィルと、その空間の中央にいるよく見知った人物・・・・・・・・を見て目を剥いた。


「ラクスっ!!」

「…………ば、バドラック……さん……」


 メフィルの横には呪術で使う陣のような紋様が描かれた床の上に、天井から伸びる鎖に両の腕を拘束されたラクスが足をぶらんと伸ばした状態で吊るされていた。俺の家にいる時に見た、薄い衣を纏っている姿に変わりはないが、俺に向けられたその目は意識を保つのがやっとのように見える。床の紋様が淡く光っているので何かをされていることは分かるが、そんなことよりも息絶え絶えな調子で俺の声に返してくるラクスは、後ろの壁がその姿の奥に見える程に透けて・・・いた。


「テメエ………………悪趣味とかそういう度合いじゃねえぞ……俺の――知り合いツレに何してやがる。死ぬ覚悟はとっくにできてんだろうな……」

「ふふ、感動の再会――というところでしょうか。いやあ私も心が震えます。嬉しいですよお、私に会いに来てくれるなんて……」

「笑えねえ冗談だが、確かに俺はテメエに会いに来た。捻り潰しに、な」

「ははあぁ、素敵です。その目――自分が負けることはないというその自負、それを裏付けるだけの全身から溢れ出るその力!! どれをとっても、素ん晴らしいっ!!」


 会話が噛み合わないなんてものじゃないメフィルとのやり取りの中、すぐにでも目の前の男に殴りかかりたい気持ちが湧き上がるが、俺をそうさせない理由が二つあった。

 一つは、今にも消えてなくなりそうなラクスの様子だ。メフィルの野郎に何かされているのであれば、目の前の敵を全て・・倒した所でラクスを救えないかも知れない。


 そしてもう一つは、メフィルとラクス――目の前にいる見知った者の他に、砦の外で出くわしたアグロスと同じような格好をした全身鎧の男が二人、ひっそりと立っていたからだ。


「全く、ここまでずっと――ずぅっっっと我慢強く待った・・・甲斐があるってものです……素晴らしい。本当に素晴らしい。今日は最良の日だ」

「テメエ、何ワケ分かんねえことを言ってやがる」

「いや何、こちらの話です。ふふ――――そんなことよりもっ!! 早速始めましょうっ!! アナタとのっ!! 歓迎の戦いウェルカム・パーティをっっっ!!」


 視界の奥のラクスはギリギリの意識の中で、こっちを弱々しく見るだけだったが、意味の分からない言葉を垂れ流すメフィルが感極まったように叫ぶ。それと同時に、周囲にいた鎧の男達が武器を手に、ゆっくりとこちらに向かってくる。


 ラクスの心配もあるが、メフィルを含めた目の前の敵をなんとかしないと助けることもできない――という考えが浮かぶほど、メフィルの異様さは増しており、顔も見えない全身鎧の男達にも物々しい雰囲気があった。

 無機質な動きでこちらに向かってくる二人の敵を警戒し、俺は戦斧の柄を強く握り構える。

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