第21話 決意の時

 麓の村はすぐに見えてきた。肩には重量のある斧を担いでいるものの、以前に子供を背負いながら駆け降りた時とは違い何も気にする必要がなかったので、崖という崖を飛び降りながら山を降っていった。眼下に見える村は、前に訪れた時と何も違いはなく、また魔物が出た様子もない。


「おやっさん……頼むぞ……」


 村に入る道に出た所で、フェルムのおやっさんの店はすぐに目に入ったが、その場で足踏みをしてしまいそうな気持ちになる。戦うことを辞めた今となっては唯一信頼できる人間がおやっさんだった。そのおやっさんに裏切られるようなことがあったら俺自身どう思うのか分からず、こんな繊細な気持ちがまだ自分に残っていたのかと驚く気持ちすらある。


 おやっさんの店の前まで駆けていくが周囲は静まり返っており、安心する気持ちが半分、何か妙な胸騒ぎがするのが半分という心持ちだった。胸騒ぎの正体は分からないが、とにかくすぐにおやっさんの顔を見ようと、勢いよく店の扉を開ける。


「――おやっさん、居るか!?」


 扉を開き見えた店の中は薄暗く、室内で何かが動く気配も音もない。おやっさんが建物の中にいないのを見て、村の中を探してみるかと思った時、店の奥――作業場がある奥の方から何か物音が聞こえた。


「居るのか? ――――おい、おやっさん!!」

「バ――バド……ラック……か……」


 急いで奥の間に駆け込み、そして絶句した。鍛冶場のある薄暗い部屋の中、床にうつ伏せに倒れたおやっさんの姿が見えた。暗がりでよく見えないが、おやっさんの周囲には赤黒い液体が流れ出ている。そこにうずくまるおやっさんから声が返ってくるのを聞いて、少しの安堵と共に怒りがこみ上げてきた。


「これは――――おやっさん、無事か!? 何があった!? あの野郎――メフィルの野郎がやったのか!?」

「馬鹿野郎が……これが無事に見えるかよ……くっ……俺も焼きが回ったもんだ……」


 床に伏せるおやっさんの姿を見て、過去の記憶――夢で見たソルの姿が重なる。俺を知る誰かがまたいなくなってしまうのかという考えが脳裏に浮かび、頭から血の気が引くのを感じた。


「軽口叩いてる場合かよ!! すぐに人を呼んでくる――」

「待て、バドラック……後でいい」

「後でいいことがあるかよっ!!」

「待てと言っとるだろうが……おいちちち……」


 物々しい様子を見て、人を呼ぶために踵を返して店を出ようとする俺をおやっさんが呼び止めた。倒れていたおやっさんはゆっくりと起き上がり、よろよろと床に座る。


「お、おい……起き上がって大丈夫なのかよ……? 怪我が……」

「あ? 大丈夫に決まってるだろうが。俺を誰だと思ってやがる」

「誰って……ただのジジイだろうが……そんなことより、傷は――血が……物凄え出てるが……」

「血? 何を言ってるんだお前は。これは葡萄酒ワインだ」

「は…………? 葡萄酒……?」


 おやっさんの言葉に、暗がりでよく見えなかった室内を見てみると、床に流れる赤い液体は確かに血液とは違い、もっと鮮やかな色をしていることに気付いた。考えてみれば、血の匂いなんてしなかったなと今になって思う。


「葡萄酒って………………はぁーーーー……勘弁してくれよ、マジで……」

「勘違いしたのはお前の方だろうが。おいちちちち……」

「大丈夫かよ。酔っ払ってひっくり返ったのか? 全く焼きが回ったジジイになったってのはホントだな……」


 おやっさんの無事な姿を見て、ひとまず一息つくような気持ちと、ビビらせやがってという苛立ちが芽生えた。俺の気持ちなど知らずに、おやっさんの方は呑気に葡萄酒まみれになった胸のあたりを撫でている。


「ひっくり返るもんかよ……ったくバドラック、お前。何かしでかしたのか? 領主の兵とか言う奴が急におしかけて来やがって、このザマだ」

「領主の兵……?」

「ああ、全身鎧のデカい奴がお前のことを聞いてきよった。知らんと言ったら急に斬りかかってきやがって、おお痛え……ふざけやがってあの野郎、俺が若い時だったら――」

「おいおい、ちょっと待て。んなこと言ってる場合か。斬られたのか? 大丈夫なのかよ、傷は?」

「幸い傷はない。これのお陰でな」


 斜めに引き裂かれた服をはだけたおやっさんは、ニッと笑いながらその中身を見せてきた。服の中には銀色に光る鎖帷子くさりかたびらのようなものを着込んでいるようで、ズタズタの服の下は傷一つ付いていない。


「それは……」

「――白銀鋼ミスリルだ。ふふふ、驚いたか。ウチの家宝だ」

「いや、んなことはどうでもいいけどよ……ちょっと待ってくれ、頭が混乱してきた」


 領主の兵にやられて傷を負ったと言うおやっさんが、その話をそっちのけで家宝ミスリル自慢をしてくるので、意味が分からなくなってきた。


「この前魔物が出たもんでな。用心のために常に着込むようにしていたのよ。正直、命を助けられたな……あの男――化け物じみた力を持っていやがった。俺が致命傷を負っていないことに気付かなかった馬鹿だったからなんとか助かったが、あんなもんとマトモにやり合ったら命がいくつあっても足りんわ」

「――そうだ、その話だ。領主の兵――全身鎧の男と言ったか?」

「そう言ったが……知っとるのか?」

「知ってるも何も――」


 全身を鎧で固めた男と聞いて、すぐにその相手が分かった。先刻俺の前に現れたメフィルと――名前は忘れたが領主のバカ息子と一緒に、前に俺の家の近くでうろうろしていた奴らの内の一人だ。


「あの野郎……何だっておやっさんを……」

「バドラック、お前の知り合いか。全く、お前さんとつるんでるとロクなことがねえな」

「それは……すまねえ」

「冗談だ、真に受けるな。しかしバドラック、奴はお前のことを探っていやがった。どうもお前の過去を知っていたようで、それを確かめるために俺のとこに来たように見える。いきなり斬りかかってくるようなぶっ飛んだ野郎だったが、あれは――強えぞ」

「俺を探る……? あのフード野郎がけしかけたのか……? 直接俺の所に来ればいいものを……クソ野郎共が」


 改めておやっさんと落ち着いて話をしてみると、やはり俺が予想した通りの相手だろうと思った。おやっさんが話すような頭の回らない相手だとして、俺を狙っているのだとしたら、その行動にも疑問が残る。メフィルが俺の家に急に現れたように、直接鎧の男を俺の所に来させればいいはずだ。何の理由があって散々俺に突っかかるのかは分からないが、ラクスをさらったりおやっさんを狙ったりと、一連の行動が俺へのタチの悪い当てつけのようにしか思えない。それら全ての奥に、怪しいフードの男が薄ら笑いを浮かべている絵が浮かぶ。


「挑発してやがんのか、あの野郎。舐めやがって」

「何のことだ、バドラック――うっ……ああ痛え……」

「大丈夫なのか? さっき傷はないって」

「あの馬鹿力だ――幸い刃は届いていないが……肋骨が何本かやられてるなこりゃ……」

「おいおい大丈夫なのかよ? 先に言えよ、そういうことは」

「無傷なワケなかろうが。俺の様子を見れば、普通は気付くだろうに……お前を基準に考えるなっての」


 変わらず軽口を叩くおやっさんだったが、自分で言うように傷は浅くないようで顔を歪めている。命に支障はなさそうなのが幸いだが、メフィルの挑発にはらわたが煮えくりかえるような思いがこみ上げてくる。おやっさんの元に駆け寄った時、脇に置いておいた戦斧の柄をぎゅっと握り、倒すべき相手の顔を思い浮かべる。そんな俺の仕草を見て、おやっさんが俺の持つ戦斧に気付いた。


「バドラック……お前さん、それは……」

「これか? ああ…………まあな」

「その斧を持っているということは……覚悟を決めたのか?」

「……まあ、そんなとこだ」


 直接的な物言いをしないおやっさんの言葉だったが、言おうとしていることは分かった。俺が長年、戦友のように共に時を過ごしてきた斧――かつて、おやっさんが打ってくれた戦斧を捨てたことについて、俺は何も言わなかった。おやっさんも深くは聞いてこなかったが、おやっさんともそれこそ長い付き合いだ。俺が何を思ってそうしたかは分かっていたんだろう。故に、俺がまたこの斧を持っている理由も、言葉はなくとも理解している。


「俺を襲った――あの鎧の男と関係があるのか?」

「ああ、そうだな。これから俺は――俺のために戦いに行く」

「いいのか? お前さんが何もかも捨てて、忘れようとした昔のお前さんに戻ってしまうかも知れんぞ?」

「もう決めたんだ。ある――面倒臭めんどくせえ奴のおかげで、俺は色々と思い出した。思い出させてもらった。きっと俺はずっと、この斧を持つ理由を間違えていたんだろう――――だが、今は違う。そんな気がするんだ」


 家を出る時に、あの薄笑いを浮かべたいけ好かない野郎をぶちのめすために砦に乗り込むことは心に決めていたが、おやっさんにだけはきちんと話しておこうと思った。俺たちはそうして、少しだけ長い話を始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る