第14話 水に包まれて

「はい!! この手ぬぐい洗っておいたので、汗拭うのに使って下さい!! 綺麗なやつを使うと気持ちいいですよ〜〜!!」

「あ、ああ……」


「お昼できましたよ〜〜!! お仕事、区切りがいいところでご飯にしましょう!!」

「お、おお……」


「お酒も程々にして寝ましょう!! 明日もお仕事ですよね? ここのところ見回りにもよく行ってるみたいですし、夜ふかしすると疲れが取れませんよ!!」

「そ、そうだな……」


 日々の仕事の合間に、山や村周辺の様子を調べて回っていたが、特に変わったこともなく日々が過ぎていた。あれから魔物が出現するような変化は見つけられなかったが、それとは関係なく俺の身近で変化が起きていた。ラクスとの会話、ここ最近これがどうにも噛み合わない。


「おい、ラクス。なんかお前、ここんとこ変じゃねえか?」

「はい? いきなり何です? 寝る前の挨拶にしては変わってますねえ、さてはいつもの冗談ですか!?」

「いや、なんつーか……何か話してると違和感があんだよな」

「違和感? あ、真面目な話でしたか? ちょっと分かりませんね……私はいつもと変わらないと思いますが。強いて言えば――バドさんの方が最近少し様子がおかしいですよ? 元気がないと言いますか」

「元気……がない……?」


 空返事の夜の挨拶だけを交わして床につこうと思ったのだが、最近ずっと感じていた違和感をラクスに伝えてしまった。返ってきた言葉は、ラクス自身は何も変わらず、変なのは俺の方だと言う。予想もしていなかった言葉にたじろいでしまうが、言われてみると妙に納得もしてしまった。元気がないなどと言われても、俺からすればこの土地に来てから元気があったことなど逆にない。ただただ毎日を何も考えずに過ごしていただけだ。ラクスが知っているのはその俺の状態だから、それに輪をかけて様子が変だということだろう。


「まあいい、もう寝るわ……」

「えっ? あっ、はい、おやすみなさい!!」


 何となくそれ以上の会話をする気がおきず、一人になりたかったので寝ることにした――というより一言で言うと、単純に気まずかったのでこの場を離れたかった。


「なんだっつーんだ、全くよお……」


 不貞腐れるように毛布をかぶり、ベッドに横になった。ちゃんとした時間にちゃんと床に入るようになったのもここ最近のことだとも思ったが、気にしないようにして目を閉じた。


 本当は薄々と気付いていた。

 変わったのはラクスとのやり取りの感じだけではない。いつものように横になり、毎晩のように見る夢も、また少しずつその様相を変えていた。


 毎度毎度炎に巻かれ、過去の古傷に刃物を突き立てえぐり出されるような記憶の反芻はんすうを繰り返していた。周囲の全てが崩れ落ちた後に一人そこに残った俺がじりじりと火に焦がされる時、地面から湧き出した水が足元に広がり、全身にまとわりついた炎が剥がれ落ちていくような感覚を得る――そんな変化があった。熱に侵された俺の体を、足元から伝ってくるような水が冷やし、心地よく広がっていくその感覚が、たまらなく嫌・・・・・・だ。


「はっ、はぁっ……!!」


 全身が水に満たされる感覚から逃げるように、俺は夢から覚め、ようやく水面に顔を出した時のように空気を体内に取り入れる。水に包まれる夢の中で溺れると錯覚をした訳ではない。心地良さに包まれた自分が別の何者かに変わってしまうようで、それが堪らなかった。


「はぁ……これは……何だ」

「あっ、バドさん目が覚めましたか!? いや〜〜、心配しましたよ」

「ラクス……?」


 体を起こしはしなかったのは、額に何か冷やっとする何かがあるのを感じたからだ。手にとってみると、それが濡らした布だとすぐに気付く。


「朝起きたらバドさんがすごいうなされてたんです。おでこを触ってみたら凄い熱だったので、つい……ご迷惑だったでしょうか?」

「いや――――お前のせいなのか?」

「えっ? 何のことですか?」

「……なんでもない」


 確かに熱が少し出ているのか、頭が朦朧もうろうとして妙なことを口走ってしまった。俺の言葉にラクスは首を傾げるだけなので、俺が何を考えているかなんて見当もつかないのだろう。


「ちょ、ちょっちょっちょっと、起きて大丈夫なんですか!? バドさん熱が――」

「大丈夫だ、世話を掛けたな」

「い、いやいやいやだってさっきすごい熱――あ、あれ……?」


 ラクスがベッドから起き上がった俺に駆け寄ってくるが、俺の額に触れると目を見開いた。体の感覚で分かるが、すでに熱は引いているのだろう。


「大丈夫っつってんだろ」

「いや〜〜、驚きました。さっきまで凄い熱だったのに、何でですかねえ」

「適当な生活してたから気が緩んでたんだろうな。油断してるから、変な夢も見る」

「え、何のことです? ちょっと全然意味が分からないですけど……気を引き締めたら熱って引くもんでしたっけ……? いやあ、相変わらず化け物じみてますねえ、バドさんは」

「何とでも言え」

「ちょっとちょっと、冗談ですよ!?」

「分かってるわ、んなこと」


 顔をぺたぺたと触ってくるラクスの手を払い、寝室を出た。いつもの朝のようにちゃんと朝食が用意しているようだったので、椅子にどかっと座る。後ろからぱたぱたとついてきたラクスが椅子に座るのを待ち、食卓の上にあるパンにかぶり付いた。少々気まずいやり取りをした後なので、言葉数も少なく二人で食事を始めたが、やはり何を喋ればいいのか思いつかない――というよりは、本当のところはラクスを警戒しているのだろう。


 警戒という大層なものじゃないが、ここの所調子が狂っているのは何となくラクスのせい、のように思う。この土地に来てから長い時間が経っているわけじゃないが、ラクスが俺の前に現れたのはついこの間で、調子が狂うようなことが起き始めたのも、その時からだ。以前の俺だったら、村の周りに魔物が出たとしても何か行動を起こそうなんて思わなかっただろう。夢見のことだって、そうだ。


「あの、今日は――」


 会話がないことに耐えかねたのか、ラクスが口を開いた時、目の前に座っていたはずのラクスがふっと姿を消した。いつもと違うタイミング――こんな朝の食事の時の急なことに唖然としてしまった。


「またか、なんだ……?」


 もう何度目かもよく分からなくなってきたが、再びラクスが急に姿を消すので、家の外に出て村からの道の方に視線を向けた。誰か、俺以外の人間――フェルムのおやっさんなんかがこの家の近くに来たんだろうと思ったからだ。


「あいつは――」

「あのっ!! おじさんっ!!」


 見覚えのある子供がそこにいた。山道を駆け上がってきたかのように、肩を上げ下げして息をしている。一目見て様子がおかしいのと、その声の焦り具合に俺も思わずそちらに駆け寄った。


「何かあったのか」

「あのっ!! 化け物がいっぱいっ!! かじやのおじさんに言われてここにっ!! あのっ、おじさんに――」

「おい、落ち着け。全然分からねえ」

「村にっ――この前の化け物がっ!!」

「マジかよ……」


 女の子の言葉はたどたどしく、何が起こっているのか捉えるのが難しいが、恐らく村にこの前の魔物が出たのだろう。何故この子供が一人でここまで来たのか、と混乱する気持ちもあるが、事は急を要することだけは分かった。恐らく、フェルムのおやっさんがこの子供を逃がすことも含め、ここまで来るように言いつけたんだろう。それでも、村から逃げてきたのが子供一人だけ、というところに異常さを感じる。そこまでの非常事態なのか。


「分かった、落ち着け。俺はすぐに村に向かう。お前は俺の家の中で待ってろ、魔物がここまで来るかも知れねえ。戸はきっちり閉めて――」

「嫌っ!! 嫌、嫌っ!! 私も行くっ!! お父さんとお母さんが――」


 魔物が出現した場所に子供はついていけないと、ここに置いておこうとしたのだが、子供の方は俺の言葉を跳ね除けるように首を振る。


「ちっ……面倒だが、ゆっくり話してる暇もねえ。邪魔だけはするなよ」

「えっ!? うわっ――」


 暴れる子供をひょいと肩に担ぎ、すぐに山を下る道を駆け出した。魔物と戦う時に子供連れなんて普通に考えてあり得ないが、泣きわめく子供を説得するやり方なんて分からないし、そんな暇もない。村についたらどこか安全な建物にでもぶち込んでおこう。


「おやっさん……死んでんなよ」


 ぽつりと独り言を呟き、山道を飛ぶように駆け下りていった。

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