第13話 変化

 クソみたいな感覚だ。

 ここ最近、朝起きる度にそんな気になる。


 理由はうすうす分かっている。恐らくついこの間、ラクスに自分の過去をうっかり話してしまったからだろう。その日以来、いつも見ている夢ががらっと様子を変えた。今日のやつは特に、酷い。


 いつもは目の前の光景が赤に包まれていくくらいの感覚しかないが、記憶にモヤをかけていたようなその夢がより鮮明に、しっかりとした輪郭を描く。もう赤みを帯びただけの景色じゃない。これは炎だとはっきり分かる。ぱちぱちとはぜる火ではなく、まるで嵐のような音と共に全てを包むような、炎だ。俺の全身を焦がすようなその炎――熱に包まれ、足元から頭の先までただれていくようだ。

 熱い――熱い――――熱くてたまらねえ。


 だが俺は――この記憶が偽りだと知っている。ラクスにした話、俺が言ったことは嘘ではないが、無意識か意識的にか全てを語らなかった。全てを語らなかったが故に、それは嘘になっている。

 燃えていたのは俺なんかじゃなく、俺の知らない村、館だ。もはや自分を誤魔化すように嘘をつく気も起こらない。俺が手で、戦斧せんぷで指し示す先が、まるで俺が操っているかのように炎に包まれていく。馬を降り、身の丈ほどある斧を肩に担ぎながらかちで奥へ奥へと進んでいく自分の姿が見える。


「待て――――こんなことは許されないぞ! 命じられたのは領主の捕縛だけだ! これじゃまるで……殲滅戦じゃないか!」


 奥に待っている領主がいる館に向かってずんずんと進んでいく俺に、後ろから声がかかる。懐かしい声だ。新兵の時から、思えばずっと傍で聞いていたように思える。俺の足を止めようと必死に声を張り上げるが、それでも俺の足が止まることはない。

 止まれ――足を止めて、そいつと向き合え。俺は切にそう思うが、体の自由が効かない。今見ているのが記憶の中の光景で、その過去は変えられるわけがないからだ。まるで今この時、見ているようなリアルなものなのに、俺の名を――俺がとうに捨てた名を呼ぶ時だけ音が濁って聞こえない。


「黙ってついてこい、ソル。それに……俺のことは隊長と呼べ。お前は副官だ。命じられたのは確かに領主の捕縛だが、状況は変わった。この街には領主の命で大量の民兵が潜んでいる。全てを敵と見なし、これを殲滅することに、俺達の任務は変わった」

「だから何を言っているんだ――――! 民兵なんてどこにもいないじゃないか! 僕の目には逃げまとう民の姿しか映っていないぞ!」

「…………黙っていろ」

「――――!!」


 ソル。そうだ、それがあいつの名前だ。

 思い出したのは本当に久しぶりだ。俺が記憶の奥底に沈めてしまった奴――全てを失った俺の唯一無二と思えた友の名だ。いつも共に戦場を駆け、平和を勝ち取るために戦い続けることをきらきらとした笑顔でいつも俺に語りかけてきた友の名だ。


「隊長、前に出すぎです!! まだ館には兵が――――」

「うるせえっっ!!」

「おい――――、兵達の言う通りだ! お前ここで死ぬ気か!」


 周囲からの声を無視して単身で領主の待つ館へと突入していく俺の姿。全てが他人事のようだ。ソルの声も、俺をとがめるものではなく、無鉄砲に突き進む俺をどうにか止めようとするトーンに変わっている。行くな、止まれ――止まるんだ。そのまま進んだら、俺は今度こそ本当に全てを失う・・・・・ことになる。止まってくれ――――



「止まってくれよ……頼むから……」


 まただ。

 俺の薄汚い傷だらけの顔面を、すうっと一筋流れるものがある。


「くそっ、最悪だ……何だってんだ、これは。齢を取ると涙もろくなるとかいうレベルじゃねえぞ…………クソが」


 気がつくといつものベッドに横たわっている自分をすぐに認識した。自然と誰に向けてでもなく毒を吐くが、目から溢れ出るものが止められない。戦いの日々から足を洗い、退屈な日々を送っているからか、人間はこんなにも弱くなるのかと驚く気持ちの方が強い。忘れようと蓋をした記憶が絡みついてくるようなこの状況が、たまらない。


「バドさ〜〜ん、もう朝ですよ〜〜!!」


 隣の部屋からラクスの気楽な声が飛んでくる。アイツはいつだってタイミングが悪い。こっちの都合なんかはお構いなし――いや、俺の事情なんて知る由もないのだから当たり前だが、俺の気持ちがざわつくような干渉をしてくる。


「あ、ああ。もう起きてる」

「ご飯できてますよ〜〜!!」

「……分かってる」


 声をかけられたことで、水をせき止めるための土砂が崩れたかのように流れ出ていた涙が止まった。全力で走った後のような顔をごしごしと拭い、ベッドから降り、立ち上がる。


「あっ、バドさん。やっと起きましたね〜〜!! もう日が昇って随分しますよ――って、何か凄い顔してますけど……」

「あ? 何だよ」

「なんだかまぶたが腫れてますし、悪魔みたいな形相になってますよ!!」

「悪魔はてめえのことだろうが」

「あっ、ひどいっ!!」


 朝食が用意されているテーブルの横、いつもの椅子に座りながら、ラクスと下らない会話を交わす。そこらの奴だったらぶん殴ってやろうかという舐めた口を利かれるもんだと思ったが、不思議とそんなに不快にはならなかった。


「食っていいのか? コレ」

「あったり前じゃないですか!! さ〜〜、食べましょう!!」


 例の如く工夫も味気もない食事だが、温かいスープを飲むことで起きてからずっとざわついていた心が落ち着くようだった。


「なんか今朝は様子が変ですね、バドさん。魔物の探索を私がお願いしちゃったからですかね……お疲れですか?」

「別に疲れてなんかいねえよ」

「でも〜〜……」


 目の前で俺を心配するようなラクスの顔を見て、毎日夢でうなされているなんてことは口が裂けても言えないなと思う。ラクスが心配するだろうから、とかそういうワケじゃない。こいつとの会話に影響されてか、俺の心情に少しでも変化が出たのかもしれない、ということを悟らせるのはしゃくだからだ。


「美味しいですか?」

「ああ」

「この前バドさんが村で貰ってきた調味料? ってのを入れてみたんですよ」

「ああ」

「私的には少し良くなったかな〜って思うんですけど、どうですかね?」

「ああ」

「前のほうが良かったですかね?」

「ああ」


 朝からどうにも五月蝿い奴だ。何でか知らないが今日に限っていつもより口数も多い。


「あの〜〜〜〜〜〜」

「ああ」

「ちょっと!! バドさん、さっきから『ああ』しか言ってないじゃないですか!! 私の話聞いてます!? いいですか、会話っていうのは人と人のコミュニケーションなんですよ!! もっと『美味しい!!』とか『マズイ!!』とか『ほどほど!!』とか、色々言うことはあるでしょうに!!」


 耳がキーンと響き、思わず顔を上げた。

 急にまくしたてるラクスを見て、普通に驚いてしまった。朝見た夢のせいかどうにも面と向き合って会話をする気にもなれず、俺が生返事ばかり返していたからだろう。しっかりと両の目で俺を見据えてくるので、ふと視線を横に逸してしまう。


「あ、ああ」

「あっ、また!! でも今回のは大目に見ましょう!!」

「そ、そうか。すまねえな」

「いいってことですよ!!」


 そんな気はなかったのに何故か謝ってしまった。勢いに押し切られる感じに少し引っ掛かりもしたが、何となくそれも受け入れてしまう。


「……きっと、バドさんにも色々あるんですよね!! 私には分かりませんけど……もう赤の他人って訳でもないんですから、私にも何かできるかも知れませんし何でも言ってくださいね!! これでもお世話になってる自覚はあるんです!!」

「お、おう……」

「さっ、冷めないうちに食べて下さい!!」


 促されるままに食事に戻る。急に大きな声を出されて面を食らってしまったが、今更ながら考えてみると、もしかしたらコイツなりの気遣いだったのかな、とも思う。精霊を自称する奴に『人と人のコミュニケーション』を説かれるという点にツッコみたかったが、そんな気持ちも失せる。


「今日はいつものお仕事ですか?」

「ああ、テキトーに仕事して、周辺を少し見回ってくるかな」

「今日も行くんですね!! 最初は乗り気じゃなかったのに、さっすがバドさんです!!」

「何か流石なんだよ……」


 食事を続ける俺をニコニコしながら見てくるラクスに、俺はまた視線を逸しながら目の前の朝飯を片付けるしかなかった。

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