第11話 過去

 家からそう離れていない場所で、斧で木を打ちながら俺はいつものように汗を流していた。無心で斧を振るこの時間が、ここ最近の妙な出来事をかき消し、いつものように日常が過ぎていることを伝えてくるようだ。


「バドさ〜〜ん、ご飯できましたよ〜〜〜」

「おお」


 泉の方からラクスの間延びした声が聞こえてきた。

 砦の建造をしていると言っていた領主のバカ息子一同がここを訪れてから、もう結構経っているように思うが、あれ以来特に変わったこともない。あの日は何かを隠しているような反応を見せたラクスだったが、気になることと言えばそれくらいで、俺ももう気にすることは辞めた。何を隠していようが俺には関係ないし、俺をどうこうできるとも思えない。むしろ、俺の家に住み始めてから、炊事と洗濯を進んでやろうとするラクスは、正直言って便利・・だった。


「またこれか。進歩がねえな、お前も」

「またとは何ですか!! バドさんが教えてくれた料理はこれだけなんですもん!! 嫌なら食べなくてもいいんですからねっ!!」


 家に入ると、粗末な鍋に入ったスープとパンが用意されていた。ラクスが言うように、俺が知っている料理という料理は、肉や野菜を適当にぶち込んで煮込んだスープくらいのもんだった。ラクスがいるので魚を簡単に捕れるようになったので、肉の代わりに魚がスープに入っている。


「悪い悪い、うまそうだ」

「そうでしょう!! ふふ〜〜〜〜ん!!」


 本当はちゃんと作ればもう少しまともな料理ができるのだろうが、作り方も知らない。それに一人でいる時はわざわざ料理なんてものも面倒なので、材木を卸す時にふもとの村で買ったパンや塩漬け肉なんかで食事を済ませていたので、温かいものが出てくるだけマシというものだ。自信満々のラクスの顔を見てなんだかなあと思う反面、この一点については素直に助かっていた。


「まあ、食おうぜ」

「はいっ!!」


 テーブルについて椅子に腰掛け――ラクスが本格的に俺の家に居着く感じになったので新しく作った二脚の椅子に座り、酒をあおりながらスープをつつく。目の前でむしゃむしゃとパンやスープを食べているラクスには、精霊っぽさは一切ない。急に姿を消したり現したりするのを目の前で見せられたので疑う余地もないが、最近はそれ・・もあまりないので、普通の人間のように思えてしまう。


「そういえば、ここ最近はなんだかのんびりしてますねえ。魔物? は出ないんですか?」

「見てねえな」

「何だったんでしょうかねえ、あんなの人が住む所に出たら大変ですよねえ。心配です」

「お前でもそういうこと考えんのな」

「何ですかそれ、人のことを人でなし・・・・みたいに!?」

「いや、人間じゃないんだろお前?」

「そうでした!! いや〜〜、一本取られましたねえ」


 この下らない掛け合いも、もう何度やったか分からない。日常にラクスが溶け込んでくることに心地よさのような感覚と、違和感のような感覚が混ざり合っている。何となく口にしたようなラクスの言葉も気になった。ここらではまず見ないような魔物が二体も出現したのに、何事もなかったかのように元の日常に戻ったのだ。違和感を感じない方がおかしい。


「あの〜〜、バドさんは気にならないんですか?」

「何がだよ」

「さっき言った魔物のことですよお。ふもとの村によく行ってるじゃないですか? あんなのが村に出たら、とか思わないんですか?」

「別に俺には関係ないしな」

「またそんなこと言って〜〜、私のことは助けてくれたじゃないですか。村の子が襲われてる時も助けたって言ってましたし。村の人で、あんな強そうな魔物を何とかできるんですか?」

「どうにもなんねえだろうな」

「――えええっ!?」


 木製のスプーンでスープを口に運ぼうとした姿勢のままラクスが固まる。今更何の話を、と思ったが、ラクスは魔物のことは詳しくはなさそうだ。この前俺が素手で殴り飛ばしたから、さほど強くない魔物だと思っていたのだろうか。


「……急に大声出すんじゃねえよ」

「いやでもでも、人が死んじゃうかも知れないんですよ? 大変だと思わない方が変じゃないですか……?」

「人が死ぬなんて珍しいことじゃねえだろ。魔物なんかそこらにいるし、人間同士の戦争でも人は死ぬ。お前は知らねえと思うが、今だってこの山に砦を建てるために西の領主の連中が来てる。何のために砦を建ててると思う? 領主同士の下らない小競り合い――戦争のためだ」

「それは……そうかも知れませんが……」


 話しながら食べていたらスープの器が空になってしまったので、酒瓶を手に取ってあおった。ラクスの方は食事の手を止めたまま、珍しく難しい顔をしている。


「あの、失礼かも知れないですけど……バドさんは何でそんな感じなんですか? この前もあんな恐ろしい魔物を殴り飛ばしてましたし……強いんですよね?」

「程々にはな」

「そんなに強いんだったら……村の人を守ってあげればいいのに、って思うんです。きっと村の人達も喜んでくれると思います」

「それで俺に何のメリットがあんだよ」

「え?」


 ラクスが顔を上げ、何のことだと言うように俺の方を見てくる。どこかで見たことがあるその視線に、胸がもやっとするような思いがした。


「メリットだよ、メリット。精霊さんってのはアレか? 無償で他人に奉仕するのが美徳、とかそういう考えでもあんのか?」

「そういう訳じゃないですけど……」

「そんなに助けたいならお前がやれよ」

「え?」

「だから助けたいんだろ? お前が魔物を倒して回ったらいいじゃねえか」

「私は弱いですし……魔物と戦うなんて……」

「だったら何で助けたいなんて思うんだよ。助けられる奴が助ければいい、ってか? 俺は御免だぜ。自分にメリットがないのに疲れることをするなんて、バカのやることだ。大体、危険なんてもんはどこにだってあるんだ。自分でそれに対処できないのに平和に過ごせると思ってる方が、無責任ってもんだろ」


 自分でも気付かない感情があったのか、言わなくてもいいことをするすると言ってしまった。俺の言葉に、ラクスがより一層顔を曇らせる。


「大体な。人間なんて、そんないいもんじゃねえ」

「それは……?」

「昔の話だがな、俺も似たようなことを考えている時もあったよ――いや、似ちゃいないか。ただ、戦うことに理由が欲しかった。何せ、魔物や――人だって殺すんだからな。欲しかったのはそれに見合うだけの理由だ。自分が戦っているついでに過ぎないが、見ず知らずの他人を守っているんだ、ってな」

「バドさんが戦士だった、ってことですか?」

「正確には、国軍の兵だな――もう辞めたことだから、どうでもいいが。それで、そうやって戦い続けた末に何が残ると思う?」


 俺の口から意味のない言葉が漏れ続けるが、止められない。ラクスも言葉数は少ないが、たどたどしく返してくる。


「助けた人に感謝してもらえる、でしょう?」

「まあそれも無いことはないわな。だがな、感謝の数より不平や文句の方が多い。圧倒的にな」

「……それは、何でですか?」

「人は慣れる・・・んだ。助けられて生きている連中は、助けられることに慣れる。誰かが助けてくれることが当たり前だと、な。だから助けたって事実より、助けられなかった事実の方が目につくんだ。俺も見ず知らずのクソ野郎共から散々罵倒されたよ。石も投げられた」

「そんな……」

「それだけじゃねえ。助ける側が強いからって、危険がないと思うか? 俺が新兵の時にな、バカみたいに真っ直ぐで『人を助けるんだ』とか真面目に言っちゃう奴と会ったよ。俺はそんな高尚な考えを持てるような人間じゃねえがな、近くでそんなことを毎日言われると俺の方もまんざらでもない気持ちになったもんだよ」

「その方は……」

「死んだよ。戦うことしか頭にないバカ・・・・・・・・・・・・のせいでな」


 俺の言葉で、ラクスはついには言葉を返すことをやめた。その表情を見て、自分が何でそんな過去の話をしてしまったのかと自責の念が俺の胸にも押し寄せてくる。過去から逃れるために、何もかもを捨て、全てを無くした時の自分がいた場所まで戻ってきた。振り出しに戻り、そこで静かに終わりを待とうと思っていたはずなのに、やり場のない後悔のようなものを言葉にしてしまった。

 この後に何を言っていいのか俺も分からなくなり、少しの静寂が流れる。


「それでも……誰かを想うことは大事だと思うんです……」


 少し時間をおいた後にラクスがぽつりと呟いた言葉は、何でもないことだった。


「あ? お前、俺の話を――」

「だってバドさんも言ってたじゃないですか。村には親しい人もいるって。その人を、もし失ってしまったとして、バドさんは悲しくないんですか? 私だったらきっと……悲しいです」


 急に静かなトーンで話し出したかと思いきや、俺の言葉を遮るように、しっかりとした言葉をラクスが投げかけてきた。嫌なところをつく、とも思う。俺の最後の良心が、フェルムのおやっさんに世話になった記憶――今もこんな俺のためにこんな辺境についてきてくれた人間の顔を、頭にチラつかせるようだ。


「…………まあ、それはな」

「そう……そうですよね。そうですよねっ!?」

「何だよいきなり」

「いいじゃないですか、バドさんは大切な人を守りたい!! その人を守るついでに、村の人も助かる!! そんな感じでいいじゃないですか!!」

「……急に大声出すんじゃねえよ」


 唾が飛んでくるような勢いでまくしたててくるラクスを見て、思わずため息が出てしまった。何でこいつがそんなに村のことを気にするのかは知らないが、自分で出した尻尾を引っ込めるのも格好がつかない。


「……材木を卸す時のついでだ。村に行く回数を少し増やす。そのついでに、山の様子を見る」

「というと?」

「魔物だって、まだいるかどうかも分からねえんだ。それで十分だろ」

「…………はい……はいっ、そうですねっ!!」


 俺の言葉を聞いて満面の笑みと共に大声を返してくるラクスの顔を見て、面倒だと思う反面、少しホッとしているような自分に気付いてしまった。

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