第9話 共同生活
いつもの夢を見た。全てが赤く染まる夢。
夢を見ている時、これが夢だという自覚はない。いつもこれが今まさに起きていることのように感じるのだが、どこかいつもと違うという違和感があった。
俺は生まれ育った場所、その近くにある泉にいた。いつも穏やかで、それでいて朝も、昼も、夜も、晴れの日も、雨も風の日も、夏も冬も、それぞれに違った表情を見せてくれる泉。生まれてからずっと当たり前のように
そんな過去の美しい記憶が流れるように通り過ぎて行くが、最後にはいつものように俺は赤に包まれる。
だが身にまとわりつくようなねっとりとした感覚も、熱も、今は澄んだ水が洗い流してくれるような、そんな感じがした。
豊かな水に包まれ、浄化されるような。そんな中、見覚えはないがどこか懐かしい人影をみた気がする。
俺は昔、それを見たことがある――――
目を覚まし、普段とは違う感覚と、
「馬鹿か俺は……」
ぼやけた視界を擦り、身を起こす気にもなれずに片手で顔を覆ってごろりと寝返った。
「こんな俺に、涙なんか流す価値も資格もねえってのに」
寝ている時、人はこんなにも無防備なのかと思った。戦いに明け暮れている時は、まともに寝ることなんてなかった。いつも何かに怯えて、寝ているのか起きているのか分からない状態だったような気がする。涙を流すこと自体もいつぶりか見当がつかない。そんな自分を客観視して、恥ずかしいような、あるいは情けないような気持ちになる。
幸いなのは、この場に自分しかいないことだ。
「起きましたか? おはようございます」
「うおっ」
干渉に浸る間もなく、寝起きで頭が回っていない俺にお気楽な挨拶をしてくる奴がいた。
「ラクス……なんでお前……」
「バドさん、寝ぼけてるんですか?」
「そうか――そうだったな……」
一人で過ごすことに慣れすぎたせいか、毎度妙な気持ちになる。
雨の夜の後、俺はラクスに寝床を貸すことにしていた。仮にも精霊を自称するやつにベッドを与える必要があるのかとも思ったが、人間にしか見えない奴が毎晩、雨や夜風に晒されているのを放っておくというのも気分がいいもんじゃない。
大体は俺が起きる時にはラクスは起きて家にいるか、泉の傍のいつもの場所にいるか、そのいずれかだったが、眠りから覚める度にそのことを忘れている自分に嫌になる。自分で新調した粗末なベッドから起き上がり、こっちを心配してくるかのような目で見てくるラクスを見て、記憶が完全に戻った。
「おはようございます!!」
「ああ……おはようさん」
妙な感じだ。
ラクスを家に入れてから何だか夢見も変わったような気がして、どうにも落ち着かない。いや、決して見たい夢じゃないが、自分への戒めのようにも思っていた。ずっと一人で過ごし、過去を咀嚼しながら生きる、それが自分に似つかわしいものだと思っていた。
「なんか……部屋が片付いてるな」
「ふふ〜〜〜ん、気付きましたかあ!? バドさんの家が汚くて臭いので、早起きした私が片付けたのです!!」
「片付けたってお前……あっ――」
寝ぼけ眼のまま起き上がり、戸が開いていたので外に出てみると、衣類などが家の外に干してあった。家の中にあった汚れ物のほとんど全て、という感じだ。
「お前、洗濯なんて器用な真似できたのか」
「ちょっとちょっと、見くびってもらったら困りますよ、バドさん。私が何の精霊だと思ってるんですか!?」
「朝から暑苦しいな……自称泉の精霊、だろ?」
「そうです!! 泉、すなわち水!! 水は全ての汚れを洗い流すのです!! 具体的に言えば、そこのいい感じの窪みに衣類をぶち込んで、水をぐるぐると操り洗ったのです!!」
この光景を見せるために待機していたような顔のラクスが、朝からやたらと騒いで説明をする。しかし、見ると俺が適当にやるよりよっぽど丁寧に洗っているようで、朝の風に洗濯物が気持ち良さそうにはためいている。
「おおー……ラクス、お前にも得意なことがあったんだな。ちょっと感動したぜ」
「ちょっと元々の評価が低すぎません!? 精霊の力を使えばこんなのはお茶の子さいさい、もっと凄いことだってできるんですよ!!」
「いや、これくらいで十分だわ」
「なんですと!!」
ただのお荷物にしか思ってなかったラクスだが、ここにきて急に株が上がった。洗濯なんて面倒なことは正直したくないもんだが、ちゃんとやってもらうと気持ちがいいもんだ。
「まさか、こんなことをしたからって、俺の魂を取るとか言わないよな?」
「何ですかそれ!? だから私は悪魔じゃないですって!! これはお家に住まわしてもらってるので、その対価の労働です!!」
「ならいいんだけどよ」
ラクスには段々と慣れてしまっているものの、完全に気は許していない。どう見ても害はなさそうだが、そんな隙をついてくるのが悪魔というものだ。
「住まわしてもらって何もしないのは心苦しいですからね、これくらいはしますよ!!」
「別に住まわしてるワケじゃねえがな。というかラクス、お前いつまでいる気だ?」
「何ですかその厄介者扱いは!? ご迷惑です!?」
「いや、別に気にはなんねえけど」
何となく口にしたが、一体いつまでラクスが俺の近くにいるんだ、という気持ちもずっとある。精霊だろうが悪魔だろうが人間から見れば不安定な存在には変わりない。よもやずっと一所にいるとも思えないし、ある日急にいなくなっても驚かない。
「思い出したわ。そういや、泉の信仰を取り戻したいとか言ってたな。お前の目的がそれだとしたら、信仰が戻るまで居続けるつもりか?」
「あ、そうでしたね」
「何今思い出したみたいに言ってんだよ」
「い、いやいやいや、そんなことないですよ〜?」
「……まあ、どうでもいいんだけどよ。だが、お前が居たからって村人がここに祠でも建てて拝みだすとも思えねえけどな」
思い出したのは、フェルムのおやっさんがここに来た時のことだ。直接関連するかは分からないが、ラクスが姿を消したのは、俺以外の人間がここに来たことが原因のように感じる。だとすれば滅多に村人が来ないこんな所に、人が勝手に足しげく通うとも思えないし、ラクス自身も村人に干渉できないはずだ。
「そこはバドさんがいます!!」
「は?」
「へ?」
「へ? じゃねえよ。俺は面倒なことはやらんからな」
「面倒なことはないですよ〜、近くの村の方に『いい泉がありますよ〜』とでも言ってもらえば――」
「やらねえって。何だよ、いい泉って」
「なんですと!?」
驚きの表情を見せるラクスに、俺の方が内心驚いてしまう。大体俺には村に知り合いなどおやっさんしかいないし、俺みたいないかつい奴が信仰を熱く語ったところで金を巻き上げに来たようにしか見えないだろう。
「俺は面倒なことは絶対にやらねえからな――って聞いてんのかお前――」
念押しをしようと声をかけた時、ラクスが再び忽然と姿を消した。またかという思いと、今度は一体何だ、という思いがある。
それと同時に何か妙な胸騒ぎを覚えた。泉の周辺のこの一帯の空気が少し変わったような感覚。
「どうも、こんにちは――お一人ですか?」
後ろからかけられた聞き覚えのない声に、ここ最近の面倒事の多さに気が滅入る思いがした。
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