第8話 お礼

 地面をえぐる勢いで駆ける俺の目に、前方に居る二つの存在がすぐさまに入ってきた。片方はやはり小さな子供。女の子か。もう片方はこの前俺が殴り飛ばしたものと同じ、巨大な熊のような魔物だ。


「くそっ、なんだってあんな魔物が二度も……」


 走りながらそんな言葉が勝手に漏れるが、今はそんな場合じゃない。唸り声を上げる巨体を目の前にしたショックからか、女の子の方はもはや叫び声すらも上げられない様子だ。ゆっくりと魔物が子供に近づいていくが、巨木を背にした子供は後ずさりもできず立ち尽くしている。魔物と子供との距離はもうほとんどなく、間に割って入る時間もない。


「うおらああああああああ!!」


 少しでも注意をこっちに向けようと叫びながら駆ける。こちらの存在に気付いた熊の魔物がこちらに顔を向けるが、体勢を変える前に、走ったままの勢いで魔物の横っ腹に俺の体をそのままぶつけた・・・・・・・・。油断している所に肩からの俺のぶちかましを受けた魔物は勢いよく吹っ飛び、俺も勢いを殺さないまま更に突っ込んでいく。

 魔物と交錯する瞬間、襲われかけていた子供の方をちらと見たが、目立った傷はないようだ。突如横から現れた俺の姿を、意識がようやく戻ったような目線で追っていたのも分かった。


「グオッ!? グオオオオオッッ!!」

「うるせえぞ、このクマ公・・・が!!」


 倒れた体に馬乗りになる俺に牙を向けてくるが、軽く一発二発ぶん殴って・・・・・やると、思わぬ攻撃に魔物が面食らったような顔を見せる。俺の拘束を受けた状態がマズいと気付いたのか、今度は弾かれるような勢いで俺の体を押し上げ、回転して背中を見せながら前方に逃れようとするような動きを見せた。


「逃がすかよ、馬鹿野郎!!」

「グッ!? ガアアアァァァァ……ァ……」

「暴れんじゃ――――ねえっ――」


 魔物の背中に飛びついた俺は腕を魔物の首に回し、そのまま絞めた・・・。じたばたと暴れようとする魔物の動きをただただ力で抑え、段々と動きが鈍ってきた魔物は、小さな声を最後に絞り出して、そのまま地面に倒れた。力を失った熊の魔物の首を絞めたままの体勢で、そのまま頭をぐるんと回転させ、骨を折って絶命させる。


「ったく、面倒かけさせやがって……」


 魔物の死体を転がして立ち上がった俺が振り向くと、フェルムのおやっさんが追いついてきたようで、女の子を保護していた。とりあえずの無事に、ホッとしているおやっさんの顔も見える。


「怪我はないか」

「おお、バドラック。魔物は?」

った」

「よくやってくれたと言いたいとこだが、お前さんは相変わらずの化物ばけもんだな。あんなデカい魔物を素手でぶん殴った上に絞め殺す非常識な奴はどこを探してもいないぞ」

「おいおい、ここは褒めるとこだろ……」


 子供の無事を確認した後だからか、おやっさんが軽口を叩いてくる。ラクスが襲われている時は躊躇しなかったが、流石に幼い子供の前で魔物の頭を吹き飛ばすのは忍びなく、回りくどい戦い方をしてしまった。甘くなったもんだな、とも思う。


「しかし肝が冷えたわ」

「俺もだ。村の子か?」

「見知った子だ。俺の方で家まで送り届けよう」


 俺が間一髪で助けた子供はと言うと、こっちに近づくこともなく、おやっさんの後ろにいるので様子も見えない。目の前でデカい魔物を殴り飛ばすところを見たのだから、仕方ないだろう。むしろ今度は俺が魔物のように見えているかも知れない。


「問題は魔物の方だな……二度目ともなると捨て置けねえな」

「ひとまず村の者と話さにゃな」

「すまんが、それはおやっさんの方で頼むわ。それと、まず村長だけに話した方がいい。騒ぎになると具合が悪い」

「分かっとるよ。お前さんの方はいいのか? 魔物を倒したのは――」

「それも――俺のことは伏せといてくれ」

「全く…………」


 魔物の二度目の出現にこれは問題だという思いも強いが、村のことに感化する気にはどうにもなれない。無責任だと言われても仕方ないが、親切心で手を出して無駄な軋轢あつれきを作るのも御免だ。


「村はもうそこだ。俺は家に戻るぞ」

「うむ……」


 こんな状況だからさっさと退散しようとおやっさんに声をかけた所で、さっきの子供が近付いてくるのに気付いた。おやっさんと並んでいるが、特に言葉もない。あんな光景を見た後だ。無理もない。


「なんだってこんな所に一人でいんだ? もう暗くなる。危ねえじゃねえか」


 俺の言葉にも特に返事をすることなく、ただじっと俺の方を見つめてくる。真っ直ぐな視線が睨んでいるようにも感じてしまった。


「お礼の一言くらいくれてもいいんだぜ?」

「………………山菜を取りに来てたの」

「あ?」


 ようやく喋ったと思ったが、どうにも噛み合わない。まあどうでもいいかと思い、二人に背を向け、帰り道を歩き始めながらひらひらと手を振った。


「ったく、最近のガキは――」

「おじちゃん!!」


 独り言を呟きながら少し歩くと、後ろから声をかけられた。


「助けてくれて――ありがとう!!」


 振り向くとさっきの子がデカい声で叫んできた。なんとなく、どんな顔をしていいのか分からず、視線を前に戻し、もう一度手をひらひら振りながらその場を後にする。


「どうにも……調子狂うぜ」


 あれこれと無駄なことを考えながら一人帰路を歩く。村の近くに魔物が現れたことも、無関係を決め込もうとしていたのに思わず助けてしまったのも、小さな子供に真っ直ぐな言葉でお礼を言われたことも。危険を目の前にした人間を助けることなんて当たり前だろうと周りは言うだろう。何も間違ってはいない。しかし俺がこれまで生きてきた、過ごしてきた時間が、それを迎合するなと抗っているようだ。


「調子が狂う…………」

「何がですか?」

「うおっ」


 目の前にラクスがいた。

 本当にこいつはいつもいつも急に現れたり消えたりで、その度に驚かされるもんだから腹が立つ。いや、前に感じていた腹が立つという感情とは違うものが胸の内にある。


「ラクス……いちいち驚かせるなって――」

「ごめんなさいごめんなさい怒らないで下さい、そんなつもりじゃなかったんです!!」

「まあ、いいけどよ……そんなことよりお前、今朝は一体何だったんだ。急に消えたりして」


 胸中にあったのは、今朝俺と話していたラクスが急に消えたことだ。全く意味が分からないタイミングで姿を消し、驚かせてやろうというように急に目の前に現れた、というその点だ。


「あの……私もよく分からないんですが、急に意識がなくなりまして……気付いたらさっき、いつもの泉の傍にいました……」

「はあ?」


 全く意味が分からない。ラクスが言っていることをそのまま受け取るとしても、意識を失うってのはどういうことだ。俺から見ると姿が消えたようにしか見えていない。


「意識がなくなったというか、お前急に消えたんだぞ」

「えっ、そうなんですか!? 気がついたら、朝バドさんと話していた所にいたので、てっきり意識を失った私をそのまま転がしておいたのかと!!」

「お前にとって俺はどーいう人間なんだ」


 ラクスのいつもと変わらない反応に少し戸惑う。冗談なのかよく分からない発言は置いておくとしても、朝話している時と同じような顔を見ても、何かを隠しているようにも、嘘をついているようにも見えない。


「いやー、すっかり夜ですね。どこかにお出かけでしたか?」

「ああ、ちょっと村の方にな……」

「村ですか!! 何かご用でも?」

「知った奴がここに訪ねてきてな……その、お前が消えた後に――ってダメだ、何か頭が混乱してきた。難しいことは考えられねえんだ俺」

「難しいこと?」


 話を続けるラクスの態度に、口にしたように頭が混乱してきた。そもそも急に姿を消したのは何が原因だ。ここに現れてから、急に姿を消したのは今日が初めてだと思う。これまでと違うことと言えば、フェルムのおやっさんがここに来たことくらいだ。おやっさんが冗談混じりに口にしたように、見知らぬ人間が泉の傍に来ると姿を消すのか。だとしたら俺は何で普通にラクスと話をしているんだ。

 そんなようなことを考えていたが、全く答えは分からない。そもそも俺は精霊だろうが悪魔だろうが、そういったものに詳しくないので分かるはずがない。というか更にそもそもの話だが、ラクスが姿を消したことを俺が気にする必要があるのか。いや、ない。何も問題がない。


「よし――お前は急に姿を消す感じの奴だ」

「へ、何のことです?」

「何というか考えるのが面倒になったから、お前という存在を、急に出たり消えたりする奴と認識することにした。うん、それが分かりやすい」

「なんですかそれ!? 私はモグラか何かですか!?」

「大差ないだろ」

「ひどい!!」


 俺の言葉に口を開けて固まるラクスの表情を見て、やはり色々と気にする必要はないと確信した。こいつも俺と同じで大したことは考えていない。


「ちょっと、何か今勝手に納得しませんでした!?」

「何のことだよ。そういや話は変わるが、この前お前に襲いかかってた魔物が今日また出てよ」

「えっ!? 大変じゃないですか!! 村の方に行ったって言ってましたけど、まさかあの魔物に誰か……」

「いや、大丈夫だ。ちょっと危なかったけどな」

「どういうことです?」


 話を変えた所、それまでの話が中断したことにラクスが一切気にしていないようだったので、思わず今日の出来事を話してしまった。フェルムのおやっさんと酒を飲んだこと、村に向かう途中で魔物を倒したこと、助けた女の子にお礼を言われたこと。


「それはいい事をしましたね!!」


 そう言って笑いかけてくるラクス。そうだよな、それくらいの感覚でいいんだ。あれこれと面倒なことを考えてしまったが、俺がたまたま居合わせて、たまたま一人の命を救った。それくらいに思っていればいい。


 ラクスがそれ以上、そのことに触れなかったので少し気が楽になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る