第7話 酒の席で

「おい、バドラック!! もう空になったぞ!! ケチケチせんで、家の酒全部持ってこい!!」

「おやっさん、飲み過ぎだ……」

「うるさいわい!! お前さんの家に酒があったって、どうせ一人寂しく飲むだけだろうに、こーやって騒いで飲んでやった方が酒も喜ぶってもんだ!! いいからさっさと取ってこい!!」

「仕方ねえなあ……」


 初めこそ静かにゆっくり飲んでいたものの、昔話に花が咲き、徐々に熱が入っていった結果がコレだ。少し冷えてきたので火を焚き、飲み続けてはや――もうどれくらい飲んでいるのかも分からなくなってきた。辺りには酒瓶が何本も転がってる。フェルムのおやっさんに言われるまま家に戻り、取りあえずと両手に一瓶ずつ持って戻った。


「持ってきたぞ――」

「それっぽっちか、ケチ臭い。まあいいわ」


 俺の手から瓶を引ったくったおやっさんが早速一口あおる。俺にこんな喋り方をするやつはそうそう居なかったが、長年の付き合いだから慣れたもんだ。楽しいんだろうな、と自分の気持ちを他人事のように思った。


「村に住まないのはいいがお前さん、もう大分いい齢だろう。浮いた話の一つでもないのか?」


 昔話も尽きてきたからか、おやっさんの話が妙な方向へと向かう。話す相手もロクにいないのに浮いた話もクソもないだろうと思うが。ただ女の話を振られた時にラクスの顔が頭に浮かび、おやっさんにラクスのことを話してみようと思った。


「浮いた話じゃないんだが、最近変なことがあってよ――」

「ふむ」


 俺はラクスが現れてからのここ最近の話をした。正直酔いがかなり回っていたのもある。普通の人間にこんな話をしたら、ついに頭もイカれたかと思われそうなものだが、なんとなくおやっさんだったら笑い話で済ませてくれそうな気がしたからだ。


「――ってワケなんだ。妙な話だろ?」

「なるほど、俺がここに来た時に見たのはその女ってことか。確かに妙だな。お前さんが言うように、悪魔ってのもあながち間違っていないかも知れん」

「だよなあ?」


 意外なことにおやっさんは俺の話をすんなり受け入れた。いや、意外ではないかも知れない。基本的に俺は無駄な嘘はつかないし、長年の付き合いでおやっさんもそのことはよく知っている。


「で、その悪魔ってのはどこにいるんだ?」

「それが分かんねえんだ。おやっさんが来るまで普通に話してたんだが、急に消えちまった」

「消えた? なおさら妙だな」


 二人して妙だと評したのは、ラクスがおやっさんに見えない存在なのではなく、姿を忽然こつぜんと消したことだ。悪魔というものは確かに世の中に存在する。力を持った厄介な悪魔であれば、人によってその姿が見えたり見えなかったりするが、誰からも視認されないなんてことは聞いたこともない。

 当たり前のようだが、『私は悪魔です』と自己紹介してくるような悪魔はいない。大体の場合は人の油断を誘うために、普通の人間と変わらない見た目、振る舞いをしてくる。つまりこの場合、ずっとその存在を見えていた俺が、急に見えなくなることが妙だという話だ。


「もしかして本当に精霊なのかも知れんぞ。妖精みたいなもんは、見知らぬ人間が来ると姿を隠すとも言うしな」

「まさか。あんなんが精霊だったら有り難みがなさ過ぎて逆に困るぜ」

「そうでもないさ。人も、神様かみさんも、少し抜けてる方が面白おもしれえだろう。お前さんも少し気を抜いて生きた方がいい」

「いちいちお説教みたいになるのは勘弁してくれよ、おやっさん」


 おやっさんの冗談混じりの言葉を真に受けるワケじゃないが、話しているとラクスの存在をなんだか少し身近に感じてしまう。不可解なことも多いが、今のところ害もない。ラクスの姿を頭に浮かべていると、もう一つ、話しておかなければいけないことを思い出した。


「妙な話といえば、もう一つある。ついこの間、ここらで魔物を見た」

「魔物?」

「ああ、それもただの魔物じゃない。ここらじゃ滅多に見ないような厄介な奴だ。成り行きで俺が倒しちまったが、村にでも出らたらちっとまずいな」

「お前さんが壊して持ってきた斧――そういうことだったか」


 俺はフェルムのおやっさんに、この前家の近くでラクスに襲いかかっていた魔物の話をした。本当は前に会った時に伝えるべきだったと今更になって気付いたが、おやっさんの方は気にしている風でもない。

 ラクスのことは笑い話ついでだったが、こっちの方は事と次第によっては深刻だ。ここらは魔物が出るとしても、畑や家畜を荒らす害獣程度のもんだが、この前出たあの魔物はそんなレベルじゃない。下手したら小さな村一つくらい簡単にぶっ壊されてしまう。確かあの魔物が出るのは遠く離れた北の険しい山だったと思う。単独でこんな所まで移動してくるなんて少し考えづらい。


「ここらでは見ない魔物か――お前さんはどう見る?」

「そうだな。可能性は低いが、遠くからはるばるやってきたか、把握していなかっただけであの魔物が元々ここらに生息していたか――」

「あるいは誰かが持ち込んだか――」

「そういうことだな」


 どれも可能性の低い話だが、一番最後のパターンは最悪だ。魔物を使役するすべを持った人間も、ごく少数だが存在はする。ただ、ここらは所謂いわゆる辺境だ。政治的に重要な土地でもなければ、地方領主が小競り合いをしているくらいだ。そんな所にわざわざ魔物を放つ奴がいるとも考えにくい。


「何にせよ物騒な話だな」

「おやっさんも一応気を付けろよ」

「なあに、近所に魔物や悪魔なんかよりよっぽど恐ろしい男が住んでるんだ。魔物の方が裸足で逃げてくってもんよ」

「……俺のことを言ってんのか?」

「他に何かあるのか?」


 付き合いは長いが、食えない人だ。ニヤニヤと意地悪く笑うフェルムのおやっさんを見て、そう思った。


「そういや妙な話――ってワケでもないが、こっちにもある。この前、近くの領主の兵が村に来ていた――ああ、お前さんを追ってきているって風じゃあない。一応耳には入れとこうと思ってな」


 おやっさんが話題を変えた時、その言葉に俺がハッとなることを先に知っていたように、大した問題ではないと補足してくる。


「なんだってこんな所に兵が?」

「どうやらこの山に入っているらしい。砦を構えるんだとよ」

「この山にか?」

「そうだ。お前さんに言うまでもないが、ここらを含めた南一帯を治めていた領主が没落してから、そこそこ経った。周りの領主共が土地の奪い合いで小競り合いをしてることも知っているだろう? その内の一つが、本格的にここらの土地を取るために、ここに拠点を作るんだと」

「なるほどな。俺が言うのもなんだが、迷惑な話だ」

「本当にな」


 俺からしたら他人事ではないので非難もできないが、争いなんてものはどこでも生まれるし、それが巻き込まれる住民からしたら迷惑以外の何者でもない。個人的な問題だが、この山に砦を作られるのも厄介だ。こんな辺鄙な土地まで俺を追ってくるやつがいるともあまり思えないが、兵の中には俺の顔を知っている奴がいるかも知れない。

 バカ話をした後、少し真面目な話をしたら酔いが冷めてしまった。


「おやっさん、もう日が落ち始めるぞ。流石に帰るだろ?」

「外で寝るにはちと寒いからな。長居したな。そろそろ帰るとするか――」

「おいおいおいおい、大丈夫かよ」


 そろそろお開きといった所で、おやっさんが立ち上がろうとするが、酔いのせいか転びそうになる。


「ちと飲みすぎたか」

「全くしょうがねえなあ――おぶされよ」


 フラフラのまま放っとくわけにもいかないので背中を貸そうとしたのだが、俺の言葉におやっさんが目を丸くする。


「お前さんに背負しょわれるなんて気味悪いな」

「嫌なら無理には言わねえさ」

「いや――頼んだ」


 互いに笑いながら皮肉を交わしあったが、意外にもおやっさんはすんなりとその身を俺の背中に預けた。そのまま村に向かおうと、山道を歩いていく。


「息子がいたら、こんな感じか」

「おやっさん、その台詞セリフの方が気味わりいぞ」

「孝行息子の背中で涙の一つでも見せたほうがいいか?」

「やめろってのに……」


 酔いの上機嫌からか、おやっさんが普段言わないような冗談を笑いながら言ってくる。いつも世話のかかるデカい息子みたいに扱われるのは悪い気はしないが、どうにもむず痒い。日が傾き始めており、帰りが夜道になると面倒なので、後ろからのおやっさんの冗談を受け流しながら急ぎ足で下り道を進んでいると、ほんの小一時間で村の近くまで出た。


「冗談ばっか言ってんなよ、おやっさん。もうすぐ村に着くぞ」

「なんだもう着いたのか。もう少し乗り心地を楽しもうと思ったんだが」

「勘弁してくれよ――――」

「きゃああああああああああああああ!!」


 進む道の先から、俺達の下らないやり取りをかき消すかのような叫び声が聞こえた。


「何だ!?」

「おやっさん――降ろすぞ」

「あ、ああ。気をつけろ――」


 すぐにおやっさんを地面に降ろし、かけられた声を聞き終わるより先に、全速で駆け出した。またこの展開か、という気持ちもある。だがさっきの叫び声は知った人間のものではないが、若い。子供か。


 木々に囲まれた折れた獣道を駆けていくと、前方の遠くに子供らしき小さな人影と、見覚えのある獣の影が見えた。

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