第5話 雨

 フェルムのおやっさんの所に行った後の俺はと言うと、勿論仕事なんかをするワケがなかった。どうにもやる気が起こらなかったし天気も悪くなってきていたので、ただ部屋で酒をかっくらっていた。

 酔いのせいで頭のてっぺんから全身に、ずんと伸し掛かる眠気が襲ってきて、椅子に座ったまま落ちてしまった俺は夢を見た。



 いつもの夢だ。


 泉のそばの小さな村。

 家も木々も泉も、周囲の全てが大きく見える。


 いつもと変わらぬ村の風景。家族。友達。

 何もかもが懐かしく、いつも通りだ。


 次第にぽつりぽつりと、まるで絵画のふちに火を付けたかのように、それらが赤に包まれていく。淡々と、無機質に。それが当たり前であるかのように。

 何もかもが赤く染まってしまったそれは、当たり前だがそれまで見知った世界とは違った。不思議と胸の内に生まれてくるのが恐怖や怒りではなく、困惑・・であることも、よく知っている。

 一人残された俺が、その赤が、空の色に変わっていくまで眺めていたことも。そこまでが幼い頃から毎晩のように見ていた夢だ。


 景色が変わる。

 見慣れぬ村、畑、家屋、そこに暮らす人々、それらがさっきの光景と同じように赤に包まれていく。橋も、門も、その先にある豪奢ごうしゃな館も、等しく赤に染まっていく。そして赤が何もかもを覆い尽くした後、俺自身も、その赤に包まれていることに気付く。


 幼い頃からよく見ている夢と違っている所は、後の方の光景は鮮明な絵として映し出されることだ。理由はよく分かっている。世界を赤く染め尽くしたのが、俺自身だったからだ。



「最悪だな……」


 ぽつりと呟いた自分の声で目を覚ました。

 いつものことだが、この夢を見た後の目覚めは最悪だ。


 目を覚ました時、俺がいつもの椅子に座っていることに気付いた。寝ている時に散々かいたのだろう汗で、全身が冷え切っている。窓の外を見てみると、ごうごうと吹く風の音と共に、降りしきる雨が見えた。同じような夢を見るのはいつものことだが、特に夢見が悪いと感じたのは、きっとこの急な嵐のせいだろう。


 今がどれくらいの時分かは分からないが、外はほとんど真っ暗だ。激しい雨のせいで、辺りの様子も分からない。目を凝らして外を見てみると、泉の辺りにぼんやりと光るものが見えた。


「アイツなんだってこんな雨の時に……」


 夢見にあてられたワケじゃないが、気づけば雨に当たるのも気にせず外に出ていた。雨はすぐに俺の全身をずぶ・・にし、冷え切った汗を流したようにも感じた。


「おい」

「……バドラックさん」

「こんな雨の日に何してんだよ」


 どしゃぶりの雨の中、泉の傍のいつもの場所にラクスが空を見上げながら立っていた。悪態のような言葉を口にしながら、家を出る時に掴んで持ってきた大きめな布をラクスの頭にかぶせる。


「あ……ありがとうございます」

「ずぶ濡れじゃねえか」

「これですか。大丈夫です、濡れるのは苦手ではないので。ほら私……泉の精霊じゃないですか」

「自分のことを泉の精霊だって言うやつがねずみになってるのは、かなり滑稽こっけいだぞ」


 俺の言葉で自分の見た目に初めて気付いたのか、髪から薄い着物から何まで濡れている自分の姿を確認した後に笑った。


「それもそうですね、ふふふ」

「ふふふ――じゃねえよ。いくら泉の精霊っつっても風邪引くかも知んねえだろ」


 そんなことを言うと、今度は目をぱちくりとさせた。


「バドラックさんでも優しいことを言うことがあるんですね」

「馬鹿にしてんのか、テメエ」

「ふふ、今のはちょっと冗談でいいました。でも――ありがとうございます」

「なんだそりゃ。まあいい、この雨だ。ウチにこい」


 雨の勢いが依然激しかったので、ラクスの腕を掴んで家の方に向かった。俺に手を引かれるままに後ろを歩くラクスが声をかけてくる。


「あの、ウチ・・って、バドラックさんのおうちですか?」

「他に家があるかよ」

「それも、そうですね」


 急ぎ足で家に戻って戸を締めると、ごちゃごちゃにほかしてある洗濯物の中から、別の布を取り出して、ラクスの方に投げた。


「これで体を拭け」

「え、でももうお借りしてますけど」

「そんな雨に濡れたやつで体が拭けるかよ。いいから使え」

「……ありがとうございます」


 自分の方も別の布で体を拭いながらラクスの方を見ると、ゆっくり頭を拭いた後、顔を拭っている。


「バドラックさん」

「なんだ?」

「臭いです」

「……嫌なら使うなよ」

「嘘です嘘です、使います使います」


 さっきは何だかいつもと雰囲気が違うように感じたが、いつも通りの軽口を聞いてきた。ちょっと気を使ってやったのにコイツは、とも思ったが、なんというかこっちの方が安心するような気もする。

 さっきまで座っていたいつもの位置――椅子に座り、酒瓶を開ける。ぐいっと一口あおっていると、立ったままでいるラクスの視線を感じた。


「何突っ立ってんだよ。お前も座れ」

「あの、バドラックさん……座れと言われましても」


 そうラクスに言われて気付いた。

 俺の狭い家、部屋の中には俺が座っている椅子以外の椅子はない。俺以外の誰かがこの家にいることなんて想定しなかったからだ。ここらで唯一話すフェルムのおやっさんにしても、俺が鍛冶屋に行くことはあっても、向こうから俺の家に来ることもなかった。


「お、おお……椅子か。そうだな……じゃあここに座れ」


 酒瓶を持ったまま立ち上がってあごで俺が座っていた所を示し、そのまま床にどかっと座った。若干の気まずさからか、それ以上何も言わずに酒をもう一口ぐいっとあおっていると、ラクスが俺の目の前の床にぺたんと座ってきた。


「何してんだ、お前。椅子を空けてやったんだ、そこに座れよ」

「えへへ……私もここに座ります」


 しまりのない笑顔を見せるラクスに、何だってんだという思いはあったが、悪い気はしない。しかし、目の前に座られると気まずさが増す。ずぶ濡れになってる奴がいたから家に入れてやったものの、基本的にこういう狭い空間で人と膝を突き合わせて話すのは大の苦手だ。


「そ、そういや、あんなとこで何をしてたんだよ」


 何か話して沈黙を割ろうとしたのだが、らしくないことにどもってしまった。


「何をって、外にいたことですか?」

「ああ、こんな雨の日に、外でずぶ濡れになってる奴なんて気持ちわりいぞ」

「そうですね……何を、と言われましても……私、いつもあそこにいますし」

「雨の時にも突っ立ってることはねえだろ」

「確かにそうですね……」


 悪態のようなごとも意に介さないラクスは、俺の適当な言葉に考えを巡らせている。今日のコイツの反応は、いつもと違って肩透かしをされているようだ。


「何と言えばいいのか分かりませんが……」


 ぽつりぽつりと喋るラクスの声を思わず聞き入ってしまう。


「雨がなんだか――すごく悲しんでるように降ってたので、何でそんなに悲しいんだろうって……そう思いながら降ってくる雨を見上げていました」


 ラクスの言葉の意味は全く分からなかったが、不可解なことを当たり前のように喋るその姿は、この世のものじゃないようにも思えた。


「……何言ってんだ。雨に悲しいもクソもないだろうが」

「そうですよね……でも、なんかそんな感じがしたんです」

「……変なやつだな」

「ふふっ、それはいつも言われてます」


 いつも以上に変なことを口にするラクスだったが、ようやくいつもの調子に戻った。その様子を見てホッとしているような気持ちになっていた自分にも驚く。


「まあ何でもいいわ。とにかく今日は寝ろ。奥の部屋にベッドがあるから使っていいぞ」

「ベッド……あの、バドさんはどうするんですか?」

「俺は少し酒を飲む、気にしないで寝ろ」

「……分かりました。お言葉に甘えます」


 俺がそう言うと、ラクスは意外にもすんなりと受け入れ、立ち上がって奥の寝室へと向かっていった。俺の家には当たり前だが、ベッドは一つしかないので、今日は飲むだけ飲んで床で寝よう。


「あの、バドさん……」


 寝室に入っていったはずのラクスが半身だけをのぞかせ、声をかけてきた。


「何だ」

「あの、ベッドも臭いです……」

「……さっさと寝ろ!!」

「はい〜〜〜〜〜っっ!!」


 再び奥の部屋に引っ込んでいくラクスを見届け、俺は窓の外の雨を見ながら酒瓶をあおり、いつしか眠りに落ちていた。

 その日は珍しく夢を見なかった。

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