第4話 麓の村

「いやあ〜〜〜、助けていただいてありがとうございます!! さすがの私も今回ばかりはダメかと思いました!!」

「今回ってなんだよ……前回があんのかよ」


 熊の魔物に襲われているラクスを助けた後、俺は泉の水で返り血を落としていた。シャツを脱いで上半身をはだけている状態で血を拭っているのだが、精霊と自称するくせに何を気にしているのか、ラクスは背中越しに声をかけてくる。


「人間の木こりの方ってのは凄いんですね!! あんなでっかい魔物を一撃ですよ!! 一撃でバーン!! です!!」


 今回ばかりはラクスの常識の無さが有難い。さっき俺がのした・・・魔物は、ここらではほとんど見ることはない、強い力を持った魔物だ。当たり前の話だが、ただの木こり――どころかそこらの戦士でも相手にならないだろう。近くの村の人間にでも見られていたら、と思うとぞっとしない。


「その話はもういい――それにしてもラクス、お前悪魔なんだから魔物なんてのは同族みたいなもんだろ? 何で襲われてんだよ」

「ちょ、ちょっとバドさん!! 私は悪魔じゃなくて、せ・い・れ・い!! 泉の精です!! あんな恐ろしい顔した魔物なんかと一緒にしないで下さい!!」

「まだ言うか」

「まだも何もないですよ!!」

「その泉の精霊さんは、俺がここの水で血まみれの体や服を洗っても文句はないのか?」

「ふふ〜〜ん、甘いですよバドさん。精霊というのはですね、清く!! 純粋!! そして寛大な存在なのです!! そんな小さいことを気にしたりはしないんですよ!! どうです!?」


 どうもこうもないだろうと思うし、さっき魔物に襲われた余韻からか、どうにもうるさい。だが、妙な話だなと思う気持ちもある。与太話よたばなしの一種かも知れないが、悪魔が魔物を使役するという話も聞いたことがある。魔物が悪魔のような存在を襲う、なんてことが果たしてあるのか。さっき魔物に襲われていたラクスの姿が人間のそれ・・にしか見えなかった、というのもあるが、ラクスを悪魔として見る気持ちが段々と薄れてきているのかも知れない。


「そりゃあ随分とお優しいことで――そんなことはどうでもいいが、どっかの精霊様のおかげで俺の商売道具がおしゃか・・・・になっちまったよ」

「あ……それは、どうもすいませんでした……」

「まあ別にいいけどよ。今日は仕事になんねえな」

「あ、斧が必要なんでしたら、こちらの金の斧は……」

「それはいらねえ、っつってんだろうが。どこの世界に金ピカの斧で木をってる奴がいんだよ」

「確かにマヌケな絵ですね」

「テメエ…………」


 どこにしまっていたのか、金色に光る斧を取り出してくるラクスだったが、俺がぎろりとめつけると、何も無かったかのように明後日の方を向いて口笛を吹くふりなんかをしている。


「どうせ材木をおろさなきゃなんねえしな。今日はちょっとふもとの村にでも行くか」

「村? 村があるんですか? このあたりに」

「お前、何も知らねえのな」

「だって、私、この泉の近くから離れられないですし……」

「そういうもんかね」


 俺が住んでいるこの泉の周りには、廃村があるだけで、俺以外誰も住んでいない。泉から流れる川を下っていった先、山の麓に小さな村がある。俺が伐った材木をいつも卸している村だ。大して熱心に仕事をしない俺は、勿論と言ってはなんだが換えの斧なんて持っていない。木材を運ぶついでに、馴染みの鍛冶屋に伐採用の斧を融通してもらおうというワケだ。


「俺は村に行くが――ついてくんなよ」

「行かないですよ!! 私は犬かなんかですか!?」

「うるせえなあ。留守番頼んだぞ」


 水で血を洗い流した服を絞り、乾いてもいないそれを身に着けると、なんだか喚いているラクスを置いて川を下る道に向かった。ここ数日で伐った木も、すでに枝払いを終えてまとめて置いてある。

 長く太い丸太を六本ほど縄で束ねて、ひょいと肩に担ぐ・・・・。予定では数日後に持って行くつもりだったので大した量はないが、斧の調達が目的なのでまあいいだろう。特に急ぐでもなく、俺はひょいひょいと山を下っていく。


 小一時間歩いたところで、森の木々の隙間から村の様子が見えてくる。いつもと変わらない、牧歌的という言葉を絵に書いたような村だ。村に入る手前の所に、材木置き場があるので、そこに持ってきた材木の束を降ろし、その足で村へと入っていく。


「よう、フェルムのおやっさん。生きてるか?」

「バドラックか――珍しいな、卸しは今日じゃなかったろうに」

「ちょっと商売道具をやっちまってね、修理してもらえるかい。明日の仕事もあるから新しいモンと交換してもらえると有り難え」


 馴染みの鍛冶屋――フェルムという名の昔からの知り合い。そのジジイがやっている店に足を運んだ。鍛冶屋が本業であるが、材木も扱っているので、俺の卸し先でもある――というより、俺が木こりを生業なりわいとするために越してきた時に、みやこにある店を捨て、わざわざこんな辺鄙へんぴな所にまで一緒に来た変わり者でもある。


「修理ねえ……が壊れただけだろうに。うちは鍛冶屋だぞ、こんなもん自分で何とかできんのか」

「細かいことはダメなんだわ」

「全く……ここに越してそこそこ経つというのに、お前さんには生活力ってもんが全くつかないな」

「説教はやめてくれや。お、これ持ってくぜ」


 狭い鍛冶屋の店の中、打ち終わった刃物なんかが置いてある棚から、適当な斧を一つ手に取り、店を出ようとする。


「――まあ待てバドラック。お前さん……もう斧は打たんでいいのか?」

「斧だったら、さっき修理に出したろ? 換えの奴も貰ったし」

「軽口はやめいと言うのに……お前の斧・・・・のことだ」


 店の出口の所で半身を向けて声を返していたが、フェルムがそんな俺のことをじっと見てくる。わざわざこんな所まで一緒に来てもらってる身でもあるし、世話にもなっている立場なので少しばつが悪いが、何かを期待するような眼差しは、少し、わずらわしい。


「……打つも何も、ありゃあ捨てちまったんだ。今の俺はただの木こりだ。斧なんてもんは、木がれるんだったら、何だっていいんだよ」

「捨てた、だと?」

「ああ捨てたさ、泉に沈めてやった。いつまでも過去に縛られてたって何にもならねえからな。戦いだ争いだなんてのは、どんな大義名分があったってクソ・・なんだ。俺はもう、キレイさっぱり足を洗ったんだよ」

「おい、バドラック。待て――――」


 言いたいことだけを言って店を後にした。

 フェルムのおやっさんには悪いが、長々と説教を聞く気持ちにもなれなかったのもある。俺が捨てた斧を打った本人を前にするのが、居心地が悪くて仕方がなかった――というのが本心ではあるが。話を切って店を出ていく俺に、おやっさんからそれ以上に声がかかることはなかったのが幸いだった。


 たかが斧だ。

 もういらなくなったものをただ捨てただけのこと、何だと言うんだ。終いには妙な悪魔まで出てきやがる。そいつのせいで、何だかんだ理由を付けて当分会わないようにしようと思ってたのに、おやっさんとも顔を合わせてしまった。気にしすぎなのかも知れないが、過去がすがりついてくるような感じがどうにも鬱陶うっとうしい。


「どいつもこいつも何だってんだ……」


 家までの山道を歩きながらそんなことを呟いてしまった。今朝のことだってそうだ。別に今になって、魔物が出ようが戦おうなんて気はなかった。目の前で襲われている人――アイツは悪魔だが、それがいたから戦おうと思ったわけじゃない。近所で暴れる馬鹿を殴っただけ、身にかかる火の粉を払っただけだ。別に魔物が村に降りていって、村人を襲おうが、今の・・俺には何も関係ない。そういう生き方を選んだんだ。


「くだらねえ……」

「あの……何がですか?」

「うおっ」


 目の前にラクスがいた。

 急に現れて驚かされたと思ったが、視線を上げてみれば見慣れた泉があった。ぶつぶつと下らないことを考えながら歩いている間に家までついてしまったのか。


「いちいち驚かせるんじゃねえよ」

「いやいやいや、私はずっとここにいましたよ。独り言を言いながら歩いて来たのはバドさんじゃないですか〜〜、いやですねえ」

「お前なあ……」


 悪びれない様子で笑うラクスを見て少し苛ついたが、考えてみればコイツは何も悪くない。俺があれこれと無駄なことを考えながら歩いていただけだ。そんなことを思っていると、俺の顔をじっと見ていたラクスが声をかけてくる。


「あの、どうかしましたか?」


 臆すことなく俺の目を見据えて言ってくる。

 こんな顔、目で俺のことを見てくる奴は今までいなかったので、少し怯んでしまった。


なんもねえよ、馬鹿野郎」

「あ〜〜、馬鹿ってなんですか〜〜。口が悪い人は友達ができないんですよ!!」

「元から友達なんざ、いねえよ」

「またまた〜〜〜」


 泉のそばで、そんな下らない掛け合いをしていたが、さっきまで考えていたもやもやが晴れていることに気付くのに時間がかかった。

 そんな俺の気持ちとは裏腹に、空には雲がかかり始めていた。

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