第3話 木こりの拳

 元気よく魚をかじる女を見るととてもじゃないが精霊や悪魔なんてもんじゃない、普通の若い女に見える。笑いながら頬張るその表情の奥に森の木々なんかが見えて、平たく言うと全身が透けているので、その一点だけがこの世のものではないことを主張している。


「なあ、お前は一体何なんだ?」

「え? ああ、初めてお会いした時にも言ったじゃないですか! 私はあ――泉の精霊です!!」

「今、って――――」

「何のことですかねえ!! あははは、あ、このお魚美味しいですねえ!!」


 誤魔化すように笑う女だが、精霊ではないにしても邪悪なもんではないようにも思える。本当に悪魔だったらこんな回りくどいこともしないんじゃないか。


「百歩――いや万歩譲って、お前が本当に泉の精霊だったとする」

「万歩は言い過ぎでしょう――」

「まあ聞け。俺がここに住んでからそこそこ経ってる。お前を始めて見たのはつい最近だ。泉の精霊だったら、なんで今まで出てこなかったんだ? なんで急に現れた?」

「それは…………」


 言いよどむ女を見て、やっぱり悪魔かと頭によぎる――いや、実際はそんなことはどっちだっていい。ここに来るまでは人間だろうが魔物だろうが、それこそ悪魔だろうが、敵になる奴は全てのして・・・きたんだ。今更悪魔がちょっかいかけてこようが、特に問題もない。だが、何かを隠している感じが気になる。


「なんだ、言いにくいことでもあるのか?」

「そ、そういうわけじゃないんです!! ただ――私もよく分かってなくて……」

「よく分からない?」

「はい。その――記憶がモヤモヤしていて、私がいつ生まれたのかもよく分かりません……あ、ちゃんと覚えているのは泉の中に斧が沈んできた時からですね!!」

「ふうん」


 言っていることはよく分からないが、嘘を言ってる様子もない。今まで見たコイツの様子からしても、マトモに嘘をつけるとも思えないし。


「ようやく私に興味が出てきましたか!? はっ、もしかして斧が欲しくなったとか――」

「いや、それはいらん」


 色々と分からないことはあるが、害がなさそうな奴だと分かると途端どうでもよくなってきた。せいぜい妙な隣人が出来た、ってくらいだろう。俺が本当に何も欲しくないと分かったら姿を消すかも知れない。それに――得にもならない争いなんてこりごりだ。

 斧のやり取りになるとすぐに俺が話を折るからか、向こうもそれに慣れたらしく何食わぬ顔で魚にかぶりついている。本当に、妙な奴だ。


「――名前」

「へ?」

「お前、名前はあるのか? 精霊だか悪魔だかは知らんが、目の前でちょろちょろされてるんだ。名前を知らないと色々不便だ。いつまでも『お前』ってのもな」

「名前はないです!! というか、あったとしても覚えていません!!」

「そんな自信満々に言われてもな。そうか、ねえのか」


 呼び名もないのは不便だし、どうしたもんかと考えていると、じいっとこっちを見つめる眼差しに気付いた。


「その〜〜〜……お名前を聞いても?」

「何だ? 俺の、か?」

「はい……あ、もし教えてくれるんだったら!! 無理に言っているわけではなくて!!」

「バドラック」

「へ?」

「俺の名前だ――バドラック」

「バドラック……さん。とっても強そうな名前ですね!!」

「強そう、か」


 笑顔を返してくる女の言葉は、昔の俺だったら皮肉かと思うようなものだったが、コイツの言葉は率直だ。


「あの〜〜、どうかしましたか?」

「何でもねえよ。それよりお前に名前がないとすると、面倒だな」

「そうですねえ。あ、そうだ!! バドラックさんの好きなように呼んで下さい!!」

「俺が……名前をか?」

「かっこいいのをお願いしますね!!」


 再び屈託のない笑顔を向けてくる女を見て、自分が人に名前を付けるなんていう妙な展開に、感覚が狂ってくるような気がした。普通の生き方をしていたら、確かに子供の一人や二人でもいたかも知れない。こんな俺が他人に名前を付けるなど――とも思うが、それもどうでもいいだろう。


「そうだな……ラクス、ってのはどうだ?」

「私の名前ですか!! ラクス……いいと思います!! なんだかバドラックさんの名前に似てますね!!」

「呼び名なんて何でもいいだろうが」

「そうですね!! ラクス……私、ラクスです!! 改めてよろしくお願いしますね、バドさん!!」

「バドさん、だあ?」

「ダメでしたか?」

「好きにしろ」

「はいっ!!」


 名前を付けられたことに喜ぶラクスが妙に馴れ馴れしく話してくるが、いちいち細かいことを気にしていても仕方がない。適当に呼ばせておくことにした。その日は互いの呼び名を決めただけで大した話もせず、俺は仕事に戻り、ラクスはいつものように泉の近くでふらふらと何をするでもなく時間を過ごしていた。


 翌朝、いつものように仕事を始めようとした俺だったが、いつも姿があるところにラクスがいない。


「なんだアイツ、もう消えちまったのか――――」


 いつもの朝と違うことに思わず独りごちてしまったが、そんな俺の呟きは遠くから聞こえてきた叫び声でかき消された。


「きゃああああああああっ!!」

「……なんだ?」


 聞こえてきたのがラクスの声だということはすぐに分かったが、声は森の方からする。何事かが起こっていることが分かったので、仕事道具の斧を手に持って声の方に駆けていった。


「ちょ、ちょっと待ってくださいいいいい!! 私なんか食べても美味しくないですよおおおおおお!!」


 叫び声が気の抜けた命乞いのような声に変わったことに少し気が抜ける思いがしたが、森を少し入ったところで、腰を抜かしたように地面に尻もちをついて後ずさりをするラクスと、その奥に巨大な熊・・・・のようなものが見えた。


「熊じゃねえな、魔物・・か。なんだってこんな所に……おい、ラクス!! 邪魔だ、どけっ!!」

「ば、バドさんっ!? どけって言われましてもおおおおおおっ!!」

「グオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」

「くそっ、面倒くせえが仕方ねえな……おらああああああああっっ!!」


 巨大な熊のような魔物がラクスに襲いかかろうとしている所に、全速で駆けていき、手に持った斧を振りかぶる。走る勢いをそのままに跳び上がり、そのまま魔物の脳天に振りかぶった斧を全力で振り下ろした。

 熊の頭に刃がめり込む感触と同時に、手に持った木製のがミシリと音を立てる。


「グアァァアッッ!!」

「ちっ、ボロすぎんだろ……」


 俺の斧の一撃に熊の魔物が吹っ飛ぶが、手の中には金属の斧頭を失った木片が残っていた。全力の一撃は十分に力が伝わることなく、斧の柄を砕くに留まった。奇襲のような攻撃に一瞬怯んだ魔物だったが、すぐに立ち上がり俺の目の前で威嚇の声を上げる。

 目の前で見ると中々のサイズだ。俺の背丈など優に超え、倍くらいはある。


「きゃあああああああっっ!! バドさんが食べられちゃうううう!!」

「うるせえぞ、ラクス!! 黙っとけ!!」


 相変わらず気の抜けた叫びを上げるラクスはゆっくりと後ずさっているようで、俺の後ろに回っていた。そのことに少しホッとするような気持ちもあったが、目の前の熊はお構いなしにこちらに迫ってくる。


「グオッ!! グオオオオオオッッ!!」


 憤怒の声を上げながらこちらに迫る熊を見て、軽い舌打ちをしてゴミ・・と化した木片を放ると、拳を固めて構えを取った。


「食べちゃダメええええええっっ!!」

「だあああもう――――うるせええええっっ!!」


 迫る熊の顔面を目掛け、拳を振り上げる。

 俺の叫びと共に魔物の顔は砕け、その返り血が全身に降り注いできた。


「ったく何だってんだ……おい、ラクス――」

「ひっ、ひいいいいいっ!! 来ないでえええええっ!!」

「おい――」

「よくもバドさんをっ!! こう見えても私だってやる時はやるんですよ――――ってあれ、バドさん?」

「テメエも一緒にぶっ飛ばした方が良かったか?」


 歩み寄る俺を魔物と勘違いしているようなラクスだったが、頭をふっ飛ばされて地面に突っ伏す魔物と、返り血で全身真っ赤になっている俺とを何度も見比べて、ようやく死んだのが魔物の方だと気付いたらしい。


「え、今、素手で殴り飛ばしてました?」

「斧が壊れちまったからな」

「そ、そうですか……木こりの方って、みんなそんなお強いんですか?」

「まあ、なんだ。人によるんじゃねえの」


 目の前の光景が信じられないというように見てくるラクスの視線を感じて、俺はバツの悪さに頭の後ろを掻きながら明後日の方を見る他なかった。

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