スクラッチアース そのⅤ

「粒磨。パブロフの犬を知っているか?」

 武炉が急に話をふってきた。確か、生物の教科書に書いてあった気がする。

「それがどうかしたのか?」

 武炉がまた、腕を大きく振る。俺はそれを見て、瞬時に左に飛んだ。今度のは、地割れだった。

「餌のたびにベルを聞かされる犬がいた。その犬はベルを食事の時間の合図と学習し、やがて餌が用意されてなくてもベルの音を聞いただけで、唾液が出るようになるという」

 俺は、話を聞きながら武炉の動きを見ていた。握りしめる拳を振り上げたので、俺はまた横に飛ぶ。

「ん? 何も、来ない…?」

 確かに武炉は動きを見せた。だが、地面は静かだ。

「貴様も犬と同じだな」

 遅れて、地面が少し割れた。

 時間差か!

 武炉が今まで変に腕を動かしていたのには、意味があった。それは超能力の発動条件ではなく、まるでそれが必要であるかのような演技だったのだ。

 裂け目から現れたのは、溶岩だった。

「うわっ!」

 一度ジャンプした直後に噴き出してきたため、俺は避けるのに手間取った。目の前に出て来た溶岩に驚き、思わず指の力が弱くなってしまった…。

「ウォーターガンが…」

 左手に握りしめていたその銃が溶岩に落ちると、溶けてしまった。中に入れてあった水は、俺が操る前に蒸発…。

「なんてこった。水で冷やすこともできないのか…」

 これには非常事態宣言をしなければいけない…。もし武炉がその気になって溶岩を連発すれば、俺に止める術がないからだ。それがわかってしまったのだ…。

「どうした? さっきまでのすまし顔は? 冷たすぎる水でも被ったかのように怯えた表情に変わっているぞ」

 今の俺は、そういう顔になっているらしい。そりゃあ、絶望すればそうなる。

 俺は一瞬迷ったが、動くことにした。武炉はまだ、『その気』ではないようだ。ならいける!

「行くぞおおぉっ!」

 俺は水の刃を作り出した。いつもの水鉄砲とは違ってウォーターガンのためか、いつもより太めだ。武炉は溶岩で防御してくるだろうな。だが、これを防げば大丈夫としか考えてないだろう?

「無意味な。それがこの俺に通じないことはわかっているはずだ。それともそれしか手がないのか?」

「勝手に言ってろ、武炉!」

 俺が水の刃で切りかかる。するとやはり、武炉が溶岩を使って防御を取る。その高温の岩石に俺の刃は飲み込まれると、一瞬で蒸気に変わった。


 それはわかっている。肝心なのは、ここからだ!


 俺は水の刃がなくなると瞬時に水の球を作り出し、溶岩を避ける軌道を描かせる。

 武炉が腕を振って俺を騙していたのなら、俺だってマネさせてもらうぜ。

「そんな…。これなら通じると確信したのに……」

 弱々しい声を出したが、全部演技である。

「愚かだ。ここまで馬鹿丸出しの奴に、期待したこの俺が」

 武炉もさっきと同じで、溶岩が邪魔で俺の行為を見ていない。俺の魔法の弾丸はもう発射されたぜ。

 水の球は、溶岩をその熱の影響を受けない程度に上昇し、溶岩を越えたら武炉に向かって急降下するよう仕組んである。まずはこれを、武炉の脳天に当ててやる。そしたら少しは怯むはず。その一瞬が、俺に勝利を与える…!

 俺はウォーターガンを持つ手を、力なくだらんと下げた。戦意を失ったかのように見せるためだ。

 水の球は順調に進んでいく。もう折り返し、後は落ちるだけだ!

「それが本当に、この俺に通用するとでも?」


 何?


 武炉の足元の地面が少し盛り上がると、小さな石を吐いた。そしてその石は、俺が放った水の球に向かって飛び、ぶつかって水の球を弾いた。

「同じ手が俺に効くと考えているのが、愚かなのだ。わかったか、粒磨?」

 火山弾…?

 武炉からすれば、簡単なことだ。だってさっきから溶岩を使っているのだから。火山噴火も余裕で行えるのなら、火山弾だって吐き出させることが可能。

「貴様の中では、この俺の隙を突くつもりだったのだろう? だが現実は違ったな。貴様の方が俺に隙を見せた」

 俺の足元の地面が割れる…。しかも大きく早く。さらに隆起と陥没も同時に起こる。

「これじゃあ、立ってるだけでも困難か!」

 俺はテレポートを思いついた。最初に陥没した、穴の向こう側に行けば…!

 だがその瞬間を、武炉は見逃さなかった。

「いつ……!」

 俺は右手に違和感を覚えた。そしてテレポートしたとき、あるものがないことに気がついた。

 右のウォーターガンが、なくなっている。

 武炉の周りを見ると、足元にさっきとは違う穴が開いている。ということは火山弾をまた使い、叩き落としたのか?

「これで両方とも、仕留めたな」

 俺が落としてしまったウォーターガンが、地割れに飲み込まれていく…。

 武炉は確実に、俺を追い詰めている。こちらの戦力を、そぎ落としている…。

 その事実を飲み込んだ俺の額に、汗が走った…。

 だが、まだ焦る必要はないはずだ。

 落ち着け、俺よ。水の惑星地球でも、波が立たない海がある。それを想像してみろ…。

「やるとしたら、それしかない!」

 俺は作戦を決めた。

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