第6話 阿佐ヶ谷、逃げたした後。


 渡辺は田井中に脇役認定されてしまった事をとても悔しがっていた。


 脇役

 負け組

 人生ずっと楽しくない

 いじめられ続けている

 存在感のない

 透明な自分


 色んな言葉が頭の中に消えるまで、阿佐ヶ谷の街を駆け走っていた。


「ママーおにいちゃんがはしってるよ~」

「何ドラマ撮影?」

「通り魔じゃないよね?」


 いろんな声が聞こえたが、渡辺は人目を気にせず無我夢中で走っていった。


 俺に明日は来るのか?

 そう思いながら。


 ◆


 渡辺は自分のアパートに帰ってきた。黴臭い六畳を見て、ため息をつく。


「もう嫌だ」


 渡辺は唯唯疲れていた。でも、それが何なのか分からなかった。心と身体が怠く、憂鬱が続いていた。


「(でも、世間から見れば声優の養成所に通い、自分の好きな事をして、夢を追っている若者だ。楽しそうで羨ましいと、就職した友人から言われるが、現実は違う。…上京する前は夢を追えば人生がキラキラ輝くものだと思っていたのに)」


 渡辺は気分転換にスマートフォンでパズルゲームを始めた。無課金なので開始五分でパロメーターがゼロになる。

 また三時間ほど待たないと遊べなくなったが、貧乏の渡辺は課金も出来なかった。


「何も楽しくない」


 独り言を呟く。防音なんてものが無いような薄い壁で建設されたアパートには、小さな声でも、声が響いてしまった。


「(辛い。ぶっちゃけそんなに努力していないのに、この疲労感はなんだ?でも疲れたんだ。誰かに助けて欲しい…あー彼女欲しい)」


 色んな感情が渡辺を襲う。考えたくなくて咄嗟に布団に潜る。


「(隣に山中さんがいてくれたらいいのに)」


 渡辺は目を瞑り、妄想をし始めた。


 ***


「渡辺君、いつもお疲れ様。よく頑張っているね偉い偉い」


 布団の隣にはエプロンを着た山中さんがいた。


「ありがとう」

 

 そう言うと、山中さんは頭を撫でてくれた。


「たまには、泣いてもいいんだよ」

「うん」


 気がつくと、いつの間にか生まれたままの姿でお互いに抱き合っていた。山中さんの胸は柔らかくて大きくて、思わずしゃぶりついた。


「ひゃっ!コ、コラっ!ダメでしょ?」

 

 優しく叱ってくれる、俺の大好きな人。そして鼻の穴一杯に吸い込みたくなるような甘い匂いがした。


「ねえ、渡辺君」

 

 顔を見ると山中さんが何か言いたげだ。


「何山中さん」

「何で、渡辺君は、いつも本気になれないの?」

「えっ」


 渡辺は山中の声の低さに驚く。この前のバイトで注意されたあの低い声だ。


「君って生きてる価値あるの?」

「山中さ…」


 その時、山中の顔がぐちゃぐちゃに変わり、だんだん三橋の顔になる。いつの間にか全裸の三橋と渡辺が抱き合っていた。


『何で生きてるの?お前なんて、いてもいなくても一緒なんだよ!』

「うわああああああああ!!!」


 ガバッと渡辺は布団を剥いだ。


「(嘘だろ…まともに妄想も出来ないなんて…)」


 渡辺は暫く頭をグシャグシャに掻き、ふと目に写ったカレンダーのCの文字を確認する。CはカフェのC。明日朝九時にカフェのバイトのシフトが入っていた。


 渡辺は無心でスマートフォンを取り出し、カフェの勤務先にかける。


「はい、ブラック珈琲阿佐ヶ谷店、店長の黒谷くろたにです」

「お疲れ様です…渡辺です」

「おっ渡辺君どした?」

「高熱出ちゃって、インフルかもしれないです。明日の朝番出られるか分からないです…」

 渡辺はわざとゴホゴホ咳き込み、辛そうな声を出す。


「はあ!?マジで?」

「ゴホッ…すいません」

「ちっ。はあーあ。マジかよ…あーいいよ。明日は休んでいいから。病院行ってインフルじゃなかったら次来いよ」

「ゴホゴホッ…勿論です」

「もしバックレたら…分かるよな?」


 ブチッと音をたてて切れた。店長は怒っている様子だった。


「(たった一日休むだけでも、ご立腹ですか…)」


 と渡辺はずる休みをしつつも、不満を抱いていた。


「(そもそも日本は働きすぎな割に賃金が低すぎる!それゃ店長もピリピリするわ。そう、俺の周りはみんなピリピリしている。悲しんでいる。あの田井中もそうなのだろうか)」


 渡辺は居酒屋で出会った田井中のことを思い出していた。


「(折角芸能人になったのに勿体無い奴だ…何であいつ辞めたんだろう?そうだスマホで調べればいいのか)」


 久々に興味が湧く出来事を発見した渡辺は、彼についてスマートフォンで調べてみることにした。

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