第7話 ひみつの結婚式


 りなはすぐに視線を海に戻して水平線をじっと見つめる。彼女の周りに異次元のバリアが張られたかのように、なんだかただならない雰囲気が醸し出されている。

「耳を澄ませて、じっと遠くを見て…」

そのオーラに引き込まれるように笹井くんも地平線を見つめた。

視界がぼやける-----。一瞬、波の音も、かもめの声も、後ろを走る車の音も何も聞こえなくなる。それは無の空間と表現するのがふさわしい、群青色の空間の出現だった。

「ゴブリンだ!」

その空間に、りなの声が轟く。二人の視界の先に映ったのは、まぎれもなく、前回りなが目にした三匹のゴブリンたちだった。また例のヤシの木が両側に立つ小さな島の上で、飛び跳ねながら踊っている。焚き火もパチパチと音をならしている。

(う、うそだろ)と声にならない声を漏らし、笹井くんはあんぐりとその光景を見つめている。りなのワクワク感は頂点に達し、

「ね? 言ったでしょう?」と今にも飛び跳ねそうなほどはしゃいでいる。


前回、ゴブリンと再会した時のような緊張感や、ちょっとした慄きはなく、純粋にその瞬間を楽しんでいるようだ。気がつくと、ゴブリンはまた、波打ち際のすぐそばまで来ていた。

「行こう?」

りなは笹井くんの手を引っ張る。ほとんど思考停止状態の彼は、手を引かれるがままに小さな島に足を踏み入れる。

「アチ、アチ、チビ、チビ、アチ、チビ、ケチビ」という例の呪文のような掛け声も聞こえてくる。

「怖くないよ。」

りなが笹井くんを輪のなかに招き入れる。

「笹井くんも言ってみて、アチ、アチ、チビ、チビって。」

りなは笹井くんの手をとって、ゴブリンたちの踊りに加わった。笹井くんは困惑した表情のまま、体だけが少しリズムにのっている。そして三匹のゴブリンと、二人の中学生は、掛け声とともにひたすら焚き火の周りを、リズムを取りながら、周り続けた。この体験が二度目のりなは、ゴブリンたちと同じペースで体を動かしている。初めての笹井くんは、まるで様子がのみこめていないという表情で、手足を軽く動かしながら周っている。

「アチ、アチ」とかすかに呪文も口にしている。

島は進み続ける。沖へ沖へと-----。五人が乗る小さな島を見守るかのように、頭上では今夜も満点の星が煌めく。隣では、月が満面の笑みを浮かべているかのような表情で、ほほえみかけている。



◇◇◇


また記憶が飛んでいた。島は、四方に海が広がる地点で停止したが、

一体ここはどこの海域なのか、どこをどうやって砂浜からここへたどり着いたのか、何も覚えていない。一つわかることは、謎の呪文とともに、手足を動かしながら五人で手を取り合ってここまで来たことだけだ。目の前には先日のように美しい宝箱が現れ、ゴブリンたちが興奮気味に鍵を差し込んでいる。ふと笹井くんを見ると、笹井くんは視線を宝箱とゴブリンに向けたまま、茫然としている。

「笹井くん?」りなが手をゆする。

「ここは、どこ?」と彼はゆっくりとこちらに顔を向けた。

「私もわからないの。とりあえず、今は下へ行こう?」とりなは宝箱のなかを指す。暗闇の階下に向かってはしごが続くその光景は、まるで冒険の始まりを予兆するかのようだ。りなは、はしごに足をかけ、宝箱のなかから上に向かって声をかける。

「ついて来て、絶対大丈夫だから。」

「でも、一体これは…?」

「戻れるから! 大丈夫、私を信じて。」

手招きして一段下のはしごに手をかける。

 笹井くんもそれに続き、おずおずと階下へと降りていく。二人が階段を下ってからしばらくすると、宝箱がパタンと閉じた。それとほぼ同時に、島全体がぱっと消えた。閃光だけがかすかに残ったが、それもすぐに消えた。残ったのは、地平線のかなたに広がる静かな海と、波の音だけ。これら一連の出来事を目撃したのは、空にきらめく月と星だけ------。月は茶目っ気のあるいたずらそうな顔を星に向けた。星はそれに応じて、クスクス笑いするかのようにキラキラと輝き返した。



◇◇◇


「笹井くん、暗いね。大丈夫?」

足に全身の力を込めながら、一段一段階段を下り、りなが下から声をかける。

「うん、なんとか。これ、どれくらい続くの?」思った以上に落ち着いた声だった。

「わからない、三十段くらいだったと思うけど。」

沈黙になり、しばらく歩を進めていくと、階下に光が見えた。

「あ!笹井くん、光が見えてきたよ。あともう少しだけ。」

りなが明るい声をかける。

「まじか。」

笹井くんの声も、心なしか明るかった。

 無事、全てのはしごを降りた二人の前に広がっていたのは、以前と同じValentine Factory. 作業が進んだのか、完成作品がそれぞれの装置の隣に積み上げられている。珊瑚礁のブレスレットは、一つ一つ青い小さな箱に詰められ、その上には純白のリボンがかけられている。ハートのカップケーキは、オーブンの隣でラッピングが施されている。三個セットで、一つのラッピングに一本ずつスイートピーとハートのスティックのおまけがついている。

相変わらず、沢山のゴブリンたちがチョロチョロと動き回り、ワイワイガヤガヤとそれぞれの作業に没頭している。潜水艦の窓に、またくじらが泳ぐのが見えた。

「すげえ。」

笹井くんが感嘆するかのように、一言だけそう漏らした。

「ね?」りなが、ここに来て初めて笑みを向ける。そして、すぐにゴブリンたちの方に顔を向けた。

「こんにちは。」誰も見向きもしない。今度はもっと大きな声で------

「こんにちは!」

ゴブリンたちが一瞬しーんとなって、こちらに一斉に顔を向け、手をとめた。

恋の媚薬を作る試験管から出たハートの雲がはじけ、ポンっと大きな音がしたのを合図に、一斉にゴブリンがりなたちのもとへ集まってくる。

「コノ間ノ子ダ。女ノ子ダヨ。」

「リナ ジャナイカ? リナ ダヨナ」

「今日ハ隣二 誰カイルゾ。男カ?女カ?」

ゴブリンたちが口々に思ったことを話し始めたために、会場が一斉に沸いた。それを、しーっと制するかのように、どこからともなくアルマが現れた。今日は、金色のボタンがついた青色のチョッキを着ており、上品さが更に際立っている。

「ようこそ、またお出でくださいました。そちらの方は?」と笹井くんの方に向き直る。

「私の同級生のお友達なの。とても優しいのよ。」

りなが早口で口をはさむ。笹井くんは、おずおずとアルマの手を取り握手する。

「笹井です、笹井大輝。」

「大輝さんですね。どうも、初めまして。アルマと申します。こちらはValentine Factory.我々は、来年のバレンタインデーに向けて、一丸となってこうして準備をしております。どうぞ、ごゆっくり見学なさってください。」

礼儀正しく挨拶をしたアルマは、そこで言葉を切り、こう続けた。

「つかぬ質問を致しますが、あなたは男ですか? 女ですか?」

突然の質問に笹井くんは、

「いや、まあ、男です。」となんとか答えた。

「オトコ!仲間ダ。」

「仲間デアルゾ。オトコガ ヤッテキタ。」

りなの性別を聞いた時と同じように、会場がドッと沸く。この間のように、クラッカーも鳴った。

「いや、これは失礼。私たちは人間界の男に接するのは初めてのことでして。ところで、あなたは恋をしたことはありますか?」


「そのことなんだけど、私良いことを思いついたの。」と気の早いりなが、リュックサックから大きなスケッチブックを取り出した。


「ねえ、みんな。私考えたんだけど、誰かの愛を祝福するお仕事ってどうかしら?」りながキラキラとした瞳を向ける。


「ほう、聞いてみようではないか。りなさんに何か考えがあるのですか?」

「そうなの、このスケッチブックを見て。」とアルマに手渡す。前列にいたゴブリンたち数匹が興味を抑えられない様子でアルマの周りに駆け寄り、スケッチブックをのぞき込む。


「コレハ 私ガ焼イタ ケーキデハ ナイカ。」


「ワシノ カップケーキモ 描カレテオル」皆、想像力を膨らませて喜んでいる。

「そうよ、みんながここで作っているものが役に立つの。愛を祝福するために使われるのよ。」

りなは、得意げに鼻の穴を膨らませて話し始めた。

「もう少し、詳しくお話しいただけると。」とアルマが促す。

「あ、えっとね、Valentine Factory.にゲストを呼んで、結婚式を挙げるのをお手伝いするのはどうかしら? タイトルは、『ひみつの結婚式』ね。

つまり、ここで結婚式を挙げる人は、何かの事情があって堂々と結婚できなかった人や、結婚式をひみつにあげないといけない人をご招待するの。

ちょうど、バレンタインおじさんのように、あ、それはたしかえっと、聖ヴァレンティヌスのお仕事のように。」

「ああ!」とアルマが大きな相槌をつ。

「セント・バレンタインのことですね?三世紀に活躍した、現在のバレンタインの語源になった方でよろしいですか?」

「ええ、そう、その人のことを話してたの。」

りながぽんと手をたたく。

「皆で力をあわせて、彼のようなことをここでするってどうかしら?ここで作られてるものって、とっても素敵だし、私たち全員がウエディングプランナーになるってどう?

 何より、ここにいるみんなは誰かのために何かをしたい-------特に愛に関わることに携わりたいと思っていると思うの。だから、みんなで力を合わせることによって、きっとここですてきな結婚式を開けると思うし、ゲストの恋人たちにも喜ばれると思うな。

もちろん、ゴブリンたちにも素敵な恋をするチャンスがあるといいなと思うから、きっとこの経験が、恋や愛を知るきっかけにもなると思って。

今、みんなで一緒にできることとして、まずはウエディングプランナーのようなことをしてみるのはどうかなあ? 

あ、もしも的外れなことを言っていたら、ごめんなさい。みんなの意 見も聞いてみて、良かったら、と思うのだけど…」あまりにも、ゴブリンたちがしーんと聞き入ったために、最後の方は消え入るような声になってしまった。


一瞬の間をおいて、パチ、パチ、パチとゆっくり拍手をしながら、アルマがりなの隣へ歩み寄った。


「すばらしい提案ではないか。りな殿、私たちが求めていたものを感じ取ってくれて有難う。そう、私たちは愛を知りたいのだ。そのために、愛をこの目で間近に見られる機会はすばらしいものに違いない。

まずは、愛を育む人々の結婚式を、お手伝いさせていただこうではないか。そのことを通じて、我々も愛に触れることができるはずだ。

あの嵐の日に、愛を目の当たりにした私たちの心があんなにも揺さぶられたのを覚えているだろう? いつか、我々の身にも愛の結晶が舞落ちてくることを信じて-----乾杯。」

そう言ってアルマは、いつの間にか手にしていたピンクの杯を高く上げた。

それにつられて、ゴブリンたちが「カンパイ!」と口々に喜びにあふれる声をあげ、杯を上げた。りなと笹井くんの手にも、いつの間にかシャンパングラスがあった。

ゴブリンたちが飲んでいるのを見て、りなも一口グラスに口をつけてみた。ピンクのグレープフルーツジュースの味がした。

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