第4話 地下の潜水艦


 島は水平線に向かって、どこまでも進んでいた。もうどれくらいの時間、こうして踊り続けたかはわからないし、焚き火の周りを何周したかもわからない。りなはただひたすら、習得したばかりのダンスを踊っていた。気がつくと、踊ることに没頭しており、その間に何を考えていたか、どんな景色を見たかは何一つ覚えていなかった。ただ一つ、随分長くこうして体を動かしていたようだけれども、息切れをしておらず、一度も休みたいと思わなかったことだけは認識している。


我に返ったりなは、はたと踊りをやめて、その場に立ちすくんだ。見渡すと、四方に暗い海が広がっており、浜辺や町などは何も見えない。気がつくと、三匹のゴブリンも踊りをやめて、そこに立っていた。焚き火がふっと消えた。とそこに突然、大きなずっしりとした宝箱が現れた。エメラレドや金、ルビーなどの輝く宝石が一面に散りばめられ、それらの宝石から発せられるまばゆい光で島全体が明るくなり、目を開けているのも眩しいほどだった。褐色のゴブリンがどこからともなく美しい鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。ガチャっと音がして宝箱が開く音がすると、ゴブリンはそれをゆっくりと開けた。身を乗り出して中を覗き込んだりなの目に映ったのは、あふれるばかりの金貨や宝石ではなくー暗闇にぼんやりと映る階段だった。どうやら、宝箱の中身は海中へと続く階段のようである。三匹のゴブリンは、嬉しそうにはしゃぎだし、我先にと宝箱のなかへと飛び込んでいった。りなも、見失わないようにと急いで宝箱のなかに足を踏み入れ、階段を踏みしめた。


「待って」

りなの必死の叫びも虚しく、彼らには届かないようだ。何も見えない暗闇で、脚の感覚だけが頼りである。一段先の階段を確かめてから、一歩一歩、慎重に歩を進める。焦ったら、どこまでも転がり落ちてしまいそうだ。手すりもなく、視界も閉ざされているので、本当にこわい。鉄の階段を一段降りるたびに、下駄のカランという音がこだました。身軽なゴブリンは、ひょこひょことはしゃいでずっと下の方まで降りていってしまったようだ。りなは、体のバランスを取ることに神経を集中させ、ゆっくりと進んでいく。階段はどこまでも続いていくかと思われたが、三十段くらい下った頃だろうか、下の方から光が漏れるのが見えた。


「あと、もうちょっと」

と油断した瞬間、今までの緊張がほぐれ、一番下まで落下した。

「うわあああ」

ドシンと尻もちをつき、下駄が一足、コロコロと前方に転がった。と言っても、五段くらい落ちただけだったようで、りなにとっては階段から落ちたことのダメージよりも、そこで目にした驚きの光景に目を奪われた。呆気に取られ、口を半開きにしたりなのもとに、一匹のゴブリンが近づいてきた。

「どうぞ」

と、アニメの声優のように美しい声で、彼は下駄をりなに手渡した。目の前の光景にあまりにも驚いていたりなは、ゴブリンに目を向けることなく、無意識に下駄を受け取った。


 そう、りなが目にしていたのは、巨大な潜水艦の中のような場所だった。そこでは、大勢のゴブリンが、忙しそうにチョコマカと働いていた。彼らは、それぞれ思い思いの作業に没頭しているようだった。

ある者は台の上に乗って、小さな体で背伸びをしながら、底が丸い試験管に慎重にピンク色の液体を流し込んでいた。試験管の先からは、ポッポッとハート形の雲が蒸気しては消えていく。ある者は、パレットを手にしながら、真剣な眼差しで、金色の額にかかった大きなキャンバスに絵を描いている。キャンバスに描かれているのは、女性のゴブリンのようだった。クルッとした睫毛に、赤い唇が強調されている。頭には、ドット柄のリボンが描かれていた。またある者は、とても大きなオーブンから、でき立てのウエディングケーキを取り出しているところだった。ケーキは三段になっており、一番上にはカラフルなリボンが巻かれたハート型のスティックが刺されている。それぞれの作業は、周囲の人と協働でやるものではないようで、皆一人で自分たちの作業に熱心に打ち込んでいた。ただ、黙々と静かに作業をすることは苦手なようで、多くの者はブツブツと独り言を言っており、甲高い声や低い声、かすれた声や伸びやかな声などが混ざり合うガヤガヤとした空間だった。

りなが潜水艦のようだと思ったのは、その空間は横に長く、横並びに複数の丸い窓がついていたからだった。窓に目を向けたその時、大きなくじらが泳いでいくのが見えた。体長三十メートルほどのくじらが優雅に泳ぐ姿に、りなは鳥肌がたった。

気がつくと、

「くじら!」

と大声で叫んでいた。途端に、全てのゴブリンが作業の手を止め、一斉にりなの方を振り返った。沈黙が流れる。

「あ、あの、初めまして。りなです。影島りなと申します。こんにちは。」反応がない。りなは咄嗟に英語に切り替えてみた。

「ハ、ハロー。アイム、リナ…。」

すると、一匹のゴブリンがチョコマカとりなの方に駆け寄ってきた。後方からは更に、二匹のゴブリンが先ほど作っていたウエディングケーキをいそいそと運んでくる。一匹目のゴブリンは、途中でホースに足を引っ掛けて、そのはずみで空中に投げ出されてしまった。無事にたどり着いた二匹のゴブリンが、りなの前にウエディングケーキを置いた瞬間、空を舞っていたゴブリンは、見事にケーキに突っ込む形で安全に着地した。一連のハプニングに、会場がワッと沸く。

「ナニアレ、ナニアレ」

「ブジ、ブジ。カジハブジ」

顔がケーキまみれになったゴブリンは、大急ぎで生クリームを落としながら、りなの前に進み出た。

「アナタハ…オンナデスカ? オトコデスカ?」たじろいだりなは、眉をハの字にしながら、

「女です。」と答えた。

ゴブリンは、心底嬉しそうに大きくピョンと飛び跳ねると、その他大勢の一同に向かって振り返った。再び会場がどっと沸く。今度は、ケーキのハプニングの時とは桁違いの、耳をつんざくような歓声が上がった。

「女ダッテ!」

「女ノ子ダ!」

「ワレワレノ努力ガヤット身ヲ結ブ。」

何匹かのゴブリンが、自分たちの作業場から離れ、目を輝かせながらりなのもとに駆け寄ってきた。手には、自分たちで作った作品を持っている。

「コチラハ、恋ノ媚薬デス。飲ムト ウットリシマス。」

先ほど、ビーカーからハート型の煙を立たせていたゴブリンだ。

「コレハ、エーット、世界二 一ツダケノ ジュエリー デス。珊瑚ノカケラヲ使ッテ 作リマシタ。」

透き通るような淡いピンクのチャームが連なった美しいブレスレットだ。

「わあ」りなは思わずそれを手に取った。


りなに、それぞれの自慢の作品を手に取ってもらおうと喜々とするゴブリンたちをかき分け、一匹のゴブリンが前に進み出てきた。それは、先ほど下駄を拾ってくれたゴブリンだった。彼は、他のゴブリンよりも頭一つ分背が高く、どこか気品があって落ち着いた雰囲気を漂わせている。

「私の名は、アルマ。ここは、Valentine Factory.我々は、来年の2月のバレンタイン・デーに向けて、準備をしているのです。」

「バレンタイン…?」

「そう、我々は恋というものを探しているのです。このなかで、恋をしたことのある者は一人もいない。なぜなら」と言って、アルマは一呼吸おいた。

「私たちの世界には女性がいないから。」

憂わしい目をして、肩を落とす。

「けれども」

と気を取り直したように、アルマが頭をあげる。

「今日ここにいらっしゃるのは、まぎれもなく女性。あなたは、私たちが初めて出会った女性なのです。」

会場が再びわっと沸く。気がつくと、多くのゴブリンが三角帽子を被り、クラッカーを鳴らしていた。

「でも、どうしてそんなに恋がしたいの?もう一つ言えば、男性同士でも恋が芽生えることがあるのよ。」

とりな。

「それには、長い説明がありまして。」

とアルマが一呼吸おいた。


「ある日我々は、いつものように小さな島の上で酒を飲み交わしていたのです。すると、途端に雲行きが怪しくなり、外はたちまち荒れ狂う嵐となりました。我々はすぐに潜水艦の中へ避難しました。窓の外を見ると、そこには一人の女性が波にさらわれていくのが見えました。彼女はかたく目をつぶり、抵抗することすらできずに、波にのまれていました。すると一人の男性が、必死の様子で、その女性をめがけて泳いできたのです。男性は、波に左右に打ち付けられながらも、その女性をなんとか救おうと、危険な海の深淵まで泳いできていたのです。彼は自らの命を差し出してまで、その女性を救おうとしていました。その時我々は瞬時に、彼がなぜそこまでするのかを感じ取ることができました。そこには愛があったからなのです。真実の愛があるからこそ、相手のことを思い、身を差し出すことができる。同時に私たちは、何もできない自分たちにもどかしくもなりました。海の荒れがたいそうひどかったため、我々はそうしたくても、潜水艦の外に出ることができなかったのです。手に汗を握るなか、二人の無事を祈ることしかできなかった…。」

アルマはハンカチを取り出し、涙をぬぐった。

「その経験から、我々は強くこう思ったのです。『誰かのために何かがしたい』と。愛があり、相手を思いやることによって生まれる行動はあんなにも果敢で美しい。我々も、そんな行動を、時にロマンチックに、時に潔く、取ってみたいと思ったのです。例えそれが、まだ見ぬ誰かのためだったとしても。」

そう言って、アルマは潜水艦 – Valentine Factory – に目をうつす。「この潜水艦では、誰かのために何かをしたいと思う有志があつまって、様々な創作をしています。彼は、まだ見ぬ恋人のことを思って絵を描いている。そこの彼は、まだ知らぬ恋心をアクセサリーに秘めている。」


「とってもすてきなお話ね。」

りなは、彼らが目にしたこと、そこから生まれた感動に、心から同情した。しかし、一点疑問に思うことがあった。

「でもね、相手がいるからこそ何かしたいと思うんじゃない?今していることも、とってもすてきだけれど、相手が見つかるともっといいわね。」

「そこなのです。対象が見つかるといいなと私たちも思っているのですが。我々は、この潜水艦から出るという機会がなかなか無く。」

とアルマはがっくりと肩を落とした。

「しかし、これこそが浪漫。例え相手にまだ出会っていなくても、未来の出会いに向けて我々がその人たちのために何かをしたいという気持ちこそ、大切にしたいのです。」と胸をはった。


「君ハ誰カノ為二、一生懸命二ナッタコトハ アルカネ?」

一番前で佇んでいたゴブリンが、りなにそう質問した。

「あるわよ。猫のルナが、たんすのてっぺんに登っちゃって、降りられなくなったから、はしごに登って助けてあげたの。うちにあるはしごは、すっごく古いからグラグラして今にも落ちそうだったけど、ルナを助けたかったから。」

「ホウ」

興味深げに聞いていたゴブリンたちは、

「ソリャ、スゴイ」

と感心した様子で、満場一致の拍手が湧いた。何人かはパンパーンとクラッカーをあげた。彼らが求めているものは、案外こんな小さな優しさなのかもしれない。恋や愛、浪漫も大切だけれど、その元となる優しさならきっと近くにある。


「帰りは、お見送りしよう。また会おうではないか、りな殿」

アルマがそうしめくくると、潜水艦が岸辺の方に動き出した。

「着きましたよ」

アルマが美しい声で合図した。

「階段に明かりを灯しておいた。上がると良い。」

「皆、ありがとう。また来るね。」とりなは、元気よく手振って、潜水艦を後にした。階段を登ると、そこは岸辺だった。りなは、岸辺に降り立つと、しばらくそこで目を閉じた。海水がひんやりと足を覆う。右手には、恋の媚薬と珊瑚礁のブレスレットが握られている。


(ゴブリンたちは、誰かのために何かをしてあげたい優しい人たちなんだ。その優しさは、きっと誰かに届くよね。)振り返っても、そこには何も見えない。水平線と、きらめく星、まん丸の月が見えるだけである

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