8.制約の指輪

 結局、レイゼルの監視つきではあったが、ライズは治癒魔法を使うことを許可してもらうことができた。


 とりわけ効果の高い光の治癒魔法を得意とするライズのおかげで、リトの傷は塞がった。彼自身にしてみれば、部下である彼に借りができたみたいで、嬉しいのか嬉しくないのか微妙な心境ではあったのだが。


 とはいえ、身体の怪我が治ったからといって、すぐに楽にならなかった。

 炎狼フレイムウルフの牙にかかったせいか、今度は高熱がリトを襲ったのだ。


 毛布を与えてくれるほど、レイゼルは慈悲深い男ではなかった。仕方がないので、治療のために脱がされていたシャツとベストを着て、ボロボロになった黒衣にくるまって、リトは床に伏せていた。


 先ほど【銀酒シルヴァリキュール】を打ってもらったから少しは解熱されているのだろうが、身体から気だるさが抜けない。


「ライズ、おまえはどうしてここにいるんだ?」


 熱でぼんやりとした頭の中で、一番気にかかっていたことを聞いてみた。いつも通り、ライズはへらりと笑う。


「研究所でティオと残業していたんですよー。そうしたらさっきの兵士達が研究所に乗り込んできたんです。何か探していたみたいですけど、結局見つからなかったみたいで。それでオレがここに連れてこられる羽目になったんですよ」


 ティオ。ライズの口から出たその名から、髪を短く切り揃えた翼族ザナリールの少女の姿がリトの脳裏に浮かぶ。彼自身が拾ってきた、泣き虫の研究所員だ。


「ティオはどうした?」

「あの子も連れてこられそうになりましたけど、オレが一生懸命お願いしたら見逃してくれましたよ。だから、今は自宅にいると思います」

「……そうか」


 モンスターの牙の毒に侵された身体はだるく感じたが、全く動けないというほどの熱ではない。額に玉の汗を浮かべながら、リトはのろのろと起き上がる。それにあわせてちゃり、と手足の鎖が鳴り、毛布代わりにしていた長衣が肩から滑り落ちた。


「所長こそ、どうしてここにいるんですか? 旅に出ると言って二年の長期休暇を申請したのは、ほんの三ヶ月ほど前のことだと思いますけど」

「【風便りウインドメール】で手紙が来たからここまで足を運んだ」


 それだけ言って、ベストの胸ポケットから白い封筒を取り出して、ライズに手渡す。


 熱でうまく働かない頭で順序よく説明できる自信はない。むしろ、直接元凶となったレイゼルの手紙を読んでもらった方が早いに決まっている。


 言葉少なに封筒を突き出されただけで、ライズはリトの意思を汲み取ったようだ。それを受け取ってから、すぐさま便箋を取り出し、しばらく黙って目を通し始める。


 反応を確かめるために夜色の瞳で部下の顔色を伺っていると、ライズは便箋の文面を凝視したまま、わなわなと手を震わせた。


「所長、どうしてこんなあからさまにアヤシイ手紙に騙されて、のこのこやって来てんですかー!」


 大きな声が牢内に響く。パッと手紙から顔を上げると、ライズは眉をつり上げてリトを睨みつける。


「普通こういう場合は書類を通して行われるものだって、所長も知っているでしょう! そもそも、今のところ結晶石は枯渇していませんし、開発部はどの依頼も期日までに魔術具マジックツールを完成させています。なんでここに来るまでに、【転移テレポート】を使うなりして研究所まで行って、事実を確かめなかったんですか!」


 次々と畳み掛けてくるもっともな意見に、何も言えなくなって黙り込む。まさか、怒っている本人を目の前にして、おまえに会いたくなかったと口にするわけにはいかない。


「だから、いつも言っているじゃないですか! 勝手気ままに自分の好きな仕事ばっかりしてないで、研究所まで出勤する習慣を身に着けておけば、こんなことにはならなかったんですよ!」

「……煩い。耳元で騒ぐな、頭に響く」


 耳に入ってくる怒鳴り声に、リトは眉間に皺を寄せる。

 だが、睨み返されても、ライズの勢いは止まらなかった。


「罠を仕掛ける方もどうかと思いますけど、その罠にあっさりかかる所長も所長ですよ! 普段から知略でオレを陥れるくせに、なんで肝心な時はそんなに単純なんですかっ」


 それを言われると、リトはさらに気分が重くなった。


 確かに屋敷に入る前から違和感を感じてはいたが、特に気にとめなかった。よくよく考えてみれば、この屋敷はあからさまに怪しかったことを思い出す。


 表情のない兵士、絨毯の敷かれていない床。調度品や芸術品がひとつもないばかりか、何のデザインも施されていない館全体。

 明らかに、ティスティルの貴族が所有するような屋敷ではない。


 おそらくここはレイゼルの本宅ではなく、罠を張るために取り急いで建てた別宅なのだろう。外敵を警戒するかのようにそびえ立っていた塀や幾人もの兵士は、彼の抱く企みを外部の者から阻止されないために用意したに違いない。


 霞がかった頭の中で考えられることは、それくらいだった。


 目をゆっくりと閉じて、憂鬱になりかける感情を落ち着かせるために深く息を吐く。

 ほぼ同時に、隣のライズも盛大なため息をついた。


「それで、所長は心当たりがあるんでしょう? あのヒト達が何を探しているのか」


 彼ら、というよりもレイゼルが探しているもの。深手を負わされたのが幸いしたのかもしれない。まだ直接尋問されていないし、探しものの特徴は本人の口から語られてはいない。


 それでもリトにも、レイゼルの探しものが何なのか確信に近い答えを見出していた。


「ああ。ずっと考えていたが、きっとあいつらはこれを探していたんだろう」


 長い指先でシャツの胸ポケットから取り出したのは、黒い布の袋だった。見たことのないそれに、ライズの目は釘づけになる。


 紐を引っ張ると閉まるタイプの袋だ。よく見ると、単色の黒ではなく、濃い色合いの糸を織り合わせている。おそらく、リトの独断で作成した魔術具マジックツールなのだろう。


「この袋には魔法不干渉の術式がかけてある。だから、レイゼルとやらは俺を捕らえた時にこれを見つけられなかったのだろうな」


 一旦、言葉を切ってリトが袋の中から取り出したのは、ひとつの指輪だった。


 結晶石でできた鉄色のリング。内側には魔法の術式が描かれており、外側にはアメジストが埋め込まれている。その宝石を目を凝らして見れば、細かい光の粒子が入っており、キラキラしていた。


「……これは何の魔法指輪ルーンリングですか?」

「この指輪には【制約ギアス】を封じてある」


 得意気に、リトの口端がつり上がる。


制約ギアス】とは、闇属性の高位魔法のひとつだ。発動すると一つの禁止命令を与えることができ、抵抗に失敗した対象者はいかなる手段をもってしても破ることができない。解呪の魔法によって解くことはできるが、その魔法も稀な者にしか使えない高位魔法なので、まず簡単に解くことができない。


 つまり。


 リトの言葉が本当ならば、この魔法指輪ルーンリングははめた相手に【制約ギアス】をかけることができる代物だ。


「……」


 手のひらにのせられた【制約ギアス】の指輪を見つめたまま、しばしの沈黙の後。


 ライズは眦をつり上げると、噛み付くように叫んだ。


「なんてものを作ってんですかー! これがどれだけ危険なものか、分かってるんですか!?」


 一つだけとはいえ命令を相手に与え、本人の意思とは関係なく強制的に従わせる呪い魔法を封印した指輪。陰謀や野心を抱く貴族連中には喉から手が出るほど欲する代物だろう。


「……作ってしまったものは仕方ないだろう」


 落とさないように、リトは指輪を握りこむ。

 開き直って言い返すと、ますますライズは怒りを露わにした。


「仕方ないで済む問題ではないですよ! 研究所で保管してあるアメジストの魔石が一個足りないと思っていたら、また所長が着服していたんですね。どうせ研究所にきた依頼の品物ではないでしょう!? 無許可でそんなものを作って何に使うつもりだったんですか!」

「完成した時には使う理由がなくなっていたから、ただ持っていただけだ。俺はもう誰かに使うつもりはない」

「当たり前ですよ! 本当に分かっているんですか。これひとつで国家転覆だってできちゃう代物なんですよ!?」


 隣の部下からの怒号を聞き流しながら、手のひらの中にある【制約ギアス】の指輪を黒い袋に入れる。それを再びシャツのポケットに戻してから、リトは不敵な笑みを浮かべた。


「それなら、レイゼルは国家転覆を目論んでいるんだろうよ」

「ナニ悠長に構えてるんですか。結局、オレは所長に巻き込まれてここにいるってことじゃないですか! あのヒトが本当にそんなことを企んでいるんだとしたら、どんな手を使ってでもその指輪を手に入れようとしますよ。所長、一度殺されかけてるんだから少しは危機感を持ってくださいよ!」


 吠えるように怒鳴るライズを、リトは真顔で見た。熱で火照った頬は少し赤みをおびていたが、闇のような黒の両眼はまっすぐ彼を見ていた。


「ああ。だから、俺は明日にでもここから脱走しようと思っている」


 ライズは目を丸くする。驚きを隠すようなことはせず、彼は言った。


「……所長、それはいくらなんでも無茶ですよ。魔法を封じられているんですよ? 武器はあるんですか?」

「いや。どうやら取られたままのようだ。多分、レイゼルが持っているんだろう」


 炎狼フレイムウルフに襲われた時に手放した片刃剣。そもそも黒幕であるレイゼルがリトアーユに武器を返すわけがなかった。


「だったら、丸腰じゃないですか。それに所長は剣術がそんなに得意じゃないでしょう。それこそ無茶を通り越して無謀ですよ。牢に入れられているこの状況が我慢ならないのは分かりますけど、ここは機会をうかがって抜け出す手段をゆっくり考えるべきです。早急に事を運ぶなんて、いいことないですよ」


 真面目な顔をして言い諭してくるライズから目を逸らし、リトは天井を仰いだ。飾り気のない石でできた天井が妙に重々しい。


「……時間がないんだ」


 牢の壁に頭をあずけたまま目を閉じた。ライズに言われるまでもなく、気持ちが焦っていることはリト自身も十分に自覚しているのだ。

 だが――。


「俺は、ルティにすぐ戻ると言って出てきたんだ」

「ルティちゃんにですか?」


 ライズの問いに、ああと肯定してさらに続ける。


「夜になっても帰らないんだ。心配したルティはきっと俺を探しにくる。彼女は嗅覚と聴力に長けた獣人族ナーウェアだ。必ずここにたどり着くだろう。俺はルティを巻き込みたくない」


 ルティリスの年頃はまだ子どもの域で、リトを襲った狼は狐の部族ウェアフォックスである彼女にとって天敵だ。以前、自分勝手な都合と行動で彼女を怯えさせ傷つけたことのあるだけに、ルティリスにこれ以上こわいものを見せたくはなかった。


「んー……分かりました。それならオレも頑張りますから、一緒に逃げましょう」


 視線を戻すと、ライズは自信がなさそうに笑っていた。リトは口元を緩める。


「【銀酒シルヴァリキュール】はまだあまっているか?」

「はい、まだありますよー」


 へらっと笑って、ライズは白衣のポケットから液体が入った三日月形の瓶を取り出す。なみなみと入っているその原液を確認すると、黒髪の魔族ジェマは笑みを深めた。


「十分だ。明朝、抗薬を打ってから決行するぞ」

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