164:そのときの私は、ぜんぜんだめで。

 彼とのかかわりは、私が二十歳になる年、彼が十九歳になる年といったら、このくらいです。

 もう、ほんとうに、このくらい。

 これだけのことで――。



 繰り返しますが私はこのときほんとうにヤバかったです。中学生くらいのときもたいがいメンタルやばくて社会生活どころか日常生活もままならなかったのですが、このときのヤバさは、それに負けずとも劣らずでした。


 精神病、というやつです。

 薬も必要です。療養も必要です。

 鈍くなります。身体も頭も、動かなくなります。


 ほとんどもう廃人のようになっていて。

 文章を書いても、わけがわからないようなものばかりで。

 本を一冊、読むことすらつらく。

 廃人でした。

 もう、完全に、廃人でした。



 高校までの私を知るひとからは。

「変わったね」と、よく言われました、あるいはどっかでそんなようなことを言われていたらしいです。


 もちろん、悪い意味で、です。

 それはもう、納得です。

 自分でも、認めるのはつらい時期もありましたけど、でもやっぱりそうなんです。私は、あのとき、ぜんぜん魅力のない人間でした。


 私は、学園のころにはまだかろうじてもっていた、自分で言うのもなんですがある種の「魅力」のようなものを、もうおそらくこのときにはぐっちゃぐちゃに、失ってしまっていました。

 ただなくなるだけではなく、悪いところだけが残ってそれらを煮詰めに煮詰めて腐敗臭がする、もうほんとうに目をそむけたくなる人間に、成り下がっていた――とでも、いいましょうか。


 もともとべつにとくだん魅力がとくべつある人間、というわけではありませんでした。でもだれしもが「いいところ」があるよねというごくシンプルなレベルにおいてであれば、私にだって、そういうものはあったのです。たしかに。高校のときには、それがたしかにあったのです。だからこそ文芸部というコミュニティに馴染めたし、あんなにたくさん、明るいなかで学園生活を過ごすことができた。


 でもそのときの私はそれまでのいいところなんて、なにもない。人懐っこさは気味悪さに、愛想のよさは底抜けに愚かな気持ち悪さに、独創性は単なる異常性に、変質していたと思います。



 なにもなかった。

 いえ、嫌なものならなにもかももっていた、とでも申しましょうか。





 後輩くんの前では、私はまだそれでも学園の先輩のままでいられた。

 まだ。あのときの残滓で。貯金で。――あんなにも笑えるんだと、のびのびと振る舞えるんだと、彼とかかわるたび、思ってた。

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