外伝 幻の食材【前編】

 冒険者が狩りで仕留めてくる獲物の中で、狙って狩れない獣がいる。その魔獣は数が少ないというのはもちろんのこと、人の気配を感じれば直ぐに逃げ去るという臆病な性質があった。数年に一度、ギルドに持ち込まれるぐらいで、山で働いている冒険者でさえ、その魔獣の姿を目撃することは希であった。


 全身真っ黒な毛並みをしたブルルと呼ばれるイノシシに似た魔獣がいる。イノシシと大きく異なる点は、上下の歯から大きな牙が生えている。性格は温厚とはいえず、自分の縄張りに入ってきた動物を襲う性質があった。その変異種こそが狙って狩れない『ピンクブルル』と呼ばれる希少魔獣である。身体に覆われている体毛が白く短かったので、体色が透けてピンク色という、極めて分かりやすい特徴をしていた。

 

 そして、肝心の味は山で捕れる獣の肉とは、比べようのない美味しさだと冒険者の間では伝わっていた。数年に一度捕れたというピンクブルルは、金貨という食材に変わるので、冒険者の口に、まず入る事はなかった。


 そんなレアな魔獣が俺の目の前にいた。否、十メートルほど先で、川の水を一心不乱に飲んでいた。俺は運良く風下でピンクブルルを見付けたので、冒険者家業で培った技術を総動員して、魔獣に詰め寄っている最中だ。


 九メートル、八メートル、七メートル……自分の心臓の鼓動が、魔獣に聞こえるぐらい早まっているのが分かる。六メートル、五メートル、四メートル……薙刀を延ばして一歩踏み込めば、届く距離まで近づいた。


 三メートル……足を踏み出そうとした瞬間、後ろ足から「パキン」と河原石の割れる音が小さく鳴った。


 「ブピー」とピンクブルルが一声鳴いて、俺の目と鼻の先から消え去る。しまった!!という悔やんでも悔やみきれない感情が脳内を駆け巡る。ただ身体だけが、その後悔を取り返すように反応し、腕一杯に延ばして振り抜いた薙刀から、かすかな振動が伝わってきた。


「ピギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」


 バランスを崩したピンクブルルが河原に転がる。薙刀の刃先が魔獣の後ろ足にわずかに届いた……。俺は慌てて魔獣の腹に薙刀を突き刺す。今度は肉を切り裂く柔らかな感触が、刃先からしっかりと伝わってくる。ピンクブルルは「ブビイィィ」と小さく鳴いて、川縁で息を引き取った。


「獲ったどーーーーーーーっ!!」


 昔流行ったお笑い芸人の名文句を、河原で大きく叫ぶ。


 川辺に転がっているピンクブルルの体高は、八十センチ弱の大きさだった。解体するとそれほど沢山の肉は取れなかった。ただ、家に持ち帰り雛鳥に食べさすぐらいであれば余裕の量があり、食べきるまでに腐らすのは目に見えるほど肉は余っていた。


 俺は解体した肉をソリに乗せ、道すがらこの肉をギルドで換金するか大きく悩むことになる――何故ならまずこの肉の味が知りたくて、食べたかったからである。ただ食べるなら解体したときに出る細切れ肉で十分であったが、雛鳥たちに与える量としては到底足りない。正直、こっそり食べても美味しいとは思えない。では、これを金貨に変えても良いが、我が家のエンゲル係数からいえば、俺の稼ぎでは到底支えておらず、家主の威厳を維持するには、この食材は絶好のアイテムだった。


 山を下り、ギルドの門を潜るまで悩みに悩み続けた。その結果――


「マスター肉の差し入れだ!!」


 俺は平静を装い、ギルドに併設する飲み屋の店主に、モモ肉を一本差し出した。


「すまんな! ありがたく頂戴するよ。おっ……旨そうなブルルの肉だ」


 流石、料理も担当しているので、その肉の種類もある程度は判定出来る。


「いや……それはピンクブルルのモモ肉だぞ!」


 そう言うと、店主の目が一瞬丸くなる


「ハハハ、つまらん冗談はよせやい」


 完全に信じていない顔を俺に向けて笑う……。


「そのまま味の分からない、冒険者にそれを食わせるかはマスター次第だが、泣き言でお代を返されるのは勘弁してくれよ」


 ニッと口元を吊り上げ、店主に背を向けた。


「ま、まじでピンクブルルなのか……」


 店主は呆けた様子で、背中越しに返事を返してくる。


から真相は闇だけどな」


 俺は振り返り、この世界で伝わらないウインクを店主に飛ばし、ギルドを後にした。

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