第175話 亡国の姫君【其の十八】

 寝ぼけ眼でトイレに行くと、台所から良い匂いが漂ってくる。台所を覗くと金髪のエルフが、鼻歌を歌って手料理を作っていた。普通に考えれば、俺は勝ち組のはずが、全く勝った気がしないのは何故なのかしら……。寝間着のまま食卓に座るのは、なんとなく気が引けたので、部屋に戻って着替えてきた。


「おはよう」


 朝の挨拶をクリオネにする。


「もうすぐ朝食が出来るから、座って待っていて」


 と、男が言われてみたい言葉トップ十に入る返しが来た。そういや母親が家にいた頃は、こんな言葉を吐いていたと思い直す。台所の匂いに釣られた雛鳥たちも、寝間着姿で食卓に現れどかりと腰を下ろす。


「うーーす」


「お早うございます」


「おはー」


 三者三様で、俺たちに朝の挨拶をした。


 テーブルの上には、フルーツがふんだんに添えられたサラダと、オムレツ、スープ、籠の中には沢山のバケットが敷詰められていた。オムレツの上には、香りの強いソースが掛かって食欲をそそる。どの料理にも、俺が市場で買ってきた食材が使われている。作り手が変わるとこんなに素晴らしい物が出来るのだと、改めて彼女の腕に驚いた。


「先に食べていて」


 クリオネはそう言ってから、お盆に乗せた食事をスカーレットの部屋に持って行く。


「お言葉に甘えて、頂くとするか」


「「「いただきます」」」


 雛鳥たちは料理を口に運ぶ――


「「「「旨っっ!!」」」」


 この合図をきっかけに食卓から会話が消え、雛鳥たちの食器を鳴らす音しか聞こえなくなった。一心不乱に朝食をがっつく彼女たちの姿は、何度見ても楽しいものだ……俺は自分の食べる料理を確保して、ゆっくりとクリオネの手料理を味わった。


 雛鳥たちは食事を終えると、慌ただしく仕事に出かけた。それを見送り、後片付けを済ますと何もすることが無くなる。


「クリオネは、これからどう過ごすんだ?」


 居間で寝転がっているクリオネに声を掛ける。


「そうね……仕事を探そうと思っているわ」


 意外な言葉が返ってきた。


「まあ、探すといっても、仕事の当てがあるところに寄るだけだけどね」


 クリオネは柔らかな笑顔を向けてきたので、ふーんと間抜けな返事をしてしまった……。そんな態度を見て、彼女はクスクスと笑い声を上げ、俺の顔が真っ赤に染まっていく。


           *      *      *


 クリオネが来てから一週間が経過した。特に変わったこともなく、少し実情が変化したとすれば、クリオネが引きこもりの部屋に、直接手料理を運んでいる事ぐらいだ。


「どうして、私がこの部屋にいるって聞かないの?」


 スカーレットがクリオネの目をじっと見つめた。


「聞く必要はあるの? それとも私に聞いて欲しいのかしら」


 挑発するでもなく、当たり前のようにクリオネは質問を質問で返した。


 スカーレットはここに来た経緯と、ここでの生活の様子を彼女に伝える。


「人の器って、人それぞれ大きさが決まっているのよ。同じ大きさの器を持って生まれても、その中に物をどう詰めるか、どんな物を入れるかで、容量や美しさがおおきく変わっちゃうの。私が素晴らしい料理を作っても、汚い皿に盛りつけたら台無しになってしまうわ。スカーレットの器は大きくて、真っ白の器。その中には、まだ沢山の物が入れられるし、器の色はどんな色にも染められる」


「よく分かんないんだけど」


「いま貴方の器の中はぐちゃぐちゃで整理が出来ていない。それをもう一度整理してみるの。どれが一番重要で、どれを一番に解決するのか。私から見れば、貴方はまだ何も失っていないのに等しいのに、勝手にいじけて部屋に籠もっている、小さな女の子にしか見えないわ」


 クリオネは、スカーレットが出した答えを聞かずに部屋から出て行った。彼女はクリオネが出て行った扉をじっと見つめる――。暫くすると彼女と入れ替わりに、おっちゃんがいつものように扉を叩いてくる。


「外出の用意をしますから、レミには少し待って貰うように伝えて下さい」


 俺はその言葉を聞いて、心から安堵していた。


 玄関の扉が静かに、スカーレットの手によって開かれる――


 そこには氷で固まったかのように、硬直したレミが突っ立っていた。


「スカーレットちゃんゴメンね……せっかく助けてくれたのに貴方を傷つけてしまって……」


 レミの目からは、大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。


「レミちゃん、顔を上げて下さい、せっかくの可愛い顔が台無しですわ。私は貴方の言葉で傷付いたんじゃありません、言葉で伝えるのは難しいけど……」


 彼女は言葉の代わりに、レミの身体を思いっきり抱きしめる。


「これで元通り……せっかく働いたお金が無駄になるから、早くお菓子を買いに行きましょう」


 彼女は胸の中で泣いている子をあやすように、そう言った。


「お金はどれだけあっても、邪魔にはならないの」


 大きなの腕に抱きしめられながら、小さながぴしゃりとした口調でいさめられていた。


「そうよね……」


 スカーレットは表情をやや暗くして、彼女の言葉に同意した。


「スカーレットの警護をするから、出かけてくる」


 俺はクリオネに声を掛け、薙刀を手に持った。


「はい、いってらっしゃい。あ・な・た」


 彼女は、新妻のような顔をして、おっちゃんを見送る――


 ――俺はクリオネにからかわれているのは分かっていた。それなのに頭から熱い湯気を出しながら、我が家を後にした。



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