第174話 亡国の姫君【其の十七】

 もう誰とも会いたくない……スカーレットはベッドの上で膝を抱えながら、毎日を過ごしていた。部屋に閉じこもってから、もう何日経ったのかさえ分からなくなっきた。おっちゃんが扉の前で声を掛けてくれるが、喋る気にはなれなかった。だってレミが家に来たと伝えに来ているのが分かっていたから。


 友人と思っていたレミに、怪物と言われたとき、自分がこの国では異端の存在であることを思い起こされた。人間になりたかった訳ではない、ただ同じ目線で彼女と付き合っていた時間が心地よかった。母国では数え切れないほどの友人がいる……もちろんその中には、親友とよべる友もいた。しかし身分を偽って過ごしたこの一ヶ月、それとは全く違う関係に胸が躍った。その関係が無残にも崩れ去った。


 どうして私はこんな所にいるの……自問自答するが答えなど出るはずもない。何も考えず、流されるまま今まで生きてきたのだから。あのとき、私はおっちゃんに助けられず、暴漢に殺されていた方が、どんなに楽だったとさえ思った。


 また扉の前から、おっちゃんの声が聞こえてきた……。


「ふはっ……」


「何百回目の溜息だよ! 辛気くさい!! スカーレットが部屋に閉じこもったぐらいで、くよくよすんなよな。扉の前に置いた料理はちゃんと空になっているし、彼女が死ぬことは絶対にね―よ」


「そうなんだが……なんとかこの件が上手く解決してくれないもんかな……」


「レミに正体がばれた訳ではないから、後は彼女の心の問題だと思うぞ。レミちゃんが毎朝、家に来る姿が健気すぎて見てられん」


「うんうん」


「それより早く夕食を作ってくれ、このままだとオレたちの方が死んじまうよ」


 レイラが辛気臭い話しをぶった切る。


 カランカランと玄関の呼び鈴が鳴った。三人の雛鳥たちは、何故か俺の方を一斉に見つめた。俺は渋々席から立ち上がり、玄関に向かった。


 今度は呼び鈴を使わず、玄関の扉を足で蹴って音を鳴らしてきた。こんなデリカシーの無いことをする訪問客は一人しかいない。俺は仏頂面でその客人を招き入れる事にした。言うまでもないことだが、客人の名前はクリオネだ。


 クリオネはいつものように挨拶もせず、靴を脱ぎ居捨て部屋に入ってくる。いつもと少しだけ違ったことは、彼女は大きな鞄を背負って、沢山の荷物を持ち込んいた。


「なーーーー! どうしてこの部屋にトカゲ人間がいるの!?」


 部屋の奥から、クリオネの大きな声が聞こえてくる。俺は慌ててスカーレットの部屋に駆け込んでいく。部屋の中で唖然としている、スカーレットがいた。


「この客間は、俺の知り合いが使っているんだ。しかし失礼にもトカゲとはどういう事だ」


「だって、あの人はトカゲの顔をしているじゃない」


 そう言って、スカーレットを指差した。


「おい……彼女が人間に見えないのか?」


「どう見たら、あれが人に見えるわけ! おっちゃんの目はそこまで耄碌したとでもいうの」


「とりあえず、この部屋は客人が使っているから居間に行こうか」


 クリオネの背を押しながら、部屋から出ていった。


「客人はトカゲではなく、女性のリザードマンだ。彼女には人間に見えるように、偽装魔法を掛けているんだが、どうしてクリオネには効かなかったんだ?」


「たぶん、私の置かれている環境のせいじゃないかしら。王家なんて魑魅魍魎ちみもうりょうの巣窟でしょ。そんな中で料理番に混じったヤバイヤツなんかも、見付けなきゃいけない訳だし、魔法を見抜く能力が必然的に発揮したのね。そもそも私は人間じゃないし、魔法の素養も十分あるからね!」


「ああ、クリオネちゃんの凄さは十分理解出来た。で、久しぶりに此処に来た理由はなんだ?」


「つれないおっちゃんよね! ここのところ来れなかったのは、王国内で政変が起こったからよ」


「なーーーーーーっ!!」


 俺ではなく、テレサが素っ頓狂な大声を上げた。


「おい、気持ち悪い声を出すなよ」


 レイラは身体をビクッとさせて、テレサを睨みつける。


「政変が起こってたって、本当か!?」


「あわわわ、クリオネ! そんな極秘情報を一般市民に教えるなんて、どうかしてるぞ」


 テレサが声を大きくする。そんなことお構いなしに、クリオネは俺たちを見回す。


「ここで少しの間だけ暮らすから、みんなよろしくね」


 そう言って、彼女はぺこりとお辞儀をした。


「政変が起こったのは理解したが、宮廷調理人のお前が、どうしてここで暮らすのかが繋がらんぞ」


 俺は疑問を呈した。


「新しい王様は、私に手を出そうと、昔から狙っているのよ」


「うへっ……」


「私が売られたのは話したかしら……その私を買った王様に守られていたから、王子は手が出せなかったんだけど。今回そのタガが外れたので、彼がいつ私を妾にしてもおかしくなくなったのね。今はまだ王位を継いだことにはなっていないので、忙しすぎて私まで頭が回っていないの。けれど王位さえ我慢出来ずに、父親を殺した男よ、いずれ私に牙を剥くのは必然だとは思わない? だから泣く泣く宮廷調理人を辞めたの」


 クリオネは、世間話でもするような気軽さでそう口にした。


「おいおい、サラリと恐ろしい話しを聞かせてくれるよな、クリオネはお金がないのかよ」


「失礼なおっちゃんよね……小さい頃から王宮で働きずくめなので、数えたことはないけど、唸るほどお金は持っているはずよ」


「お前の腕なら、好きな料理が作れる店を、出せばいいんじゃないか」


「宮廷料理の食材は、お金に糸目を付けないので魅力的な職場ではあるのよ……その、料理屋は決まった料理しか出せないので、今はまだやりたくないの」


「じゃあ、店は出さなくても、どこかの宿か家を借りればいいと思うが……」


「えっ!? ここにいては駄目なの……」


 俺から想像もつかない事を言われたみたいで、クリオネの目には、涙が溜まる。


「べ、別に良いけどよ」


 まさか彼女を泣かせるとは思わず、許可を出してしまった。


「ふふふ、安心して。当分の間は私がこの家の料理番を担当するから、おっちゃんは楽にしてくれればいいのよ」


「「「うおーーーーーーーっ」」」


 三人の雛鳥たちは、手を叩いて喜び合う


「おっちゃんの存在価値は、なくなったな」


 俺の肩を叩いて、レイラがぽつりとそう漏らした。


「ぐぬぬ」


 確かに稼ぎも少ないこの家での、俺のアイデンティティは、料理だけかもしれないと、クリオネに突き付けられてしまう。


 俺たちは、彼女の料理に舌鼓をうちながら歓迎会を催した。これは俗に言う只の飲み会だが、最近部屋の中が湿った状態だったので、クリオネの料理に救われた。テーブルにある料理が半分になった頃、クリオネは眠たくなったから先に休ませてもらうわと言って、席を外した。


 彼女はふわわと可愛い欠伸をしながら、スカーレットのいる部屋に行く。そうしてノックもせずに、ずかずかと部屋の中に入っていった。


「美味しいから早く冷めないうちに食べてね、私はもう疲れたから寝るわ」


 そう言って、彼女に暖かい料理を差し出し、ベッドに潜りこんた。


「あの……ベッドは一つしかないんだけど」


 スカーレットは口を尖らせて、小声で文句を言う。


「私は小さいから、十分なスペースが余っているじゃない」


 クリオネは毛布にくるまって、目を閉じた。


「この子は誰よ?」


 すやすやと寝息を立てているクリオネを、呆れた顔で見つめながら、スカーレットはご飯を食べ始める。


 スープを一口すすると、不思議と温かい気持ちになる。気のせいだと思いつつ。二口、三口と口に運ぶ。料理の温かさとは別の何かが、ほわっと心を温める。只のスープにしかみえないその味が、私の身体を優しく包み込んでいく。なんて美味しい料理なのかしら。


 引きこもりの部屋に、一匹のエルフが転がり込んできた――

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