第176話 亡国の姫君【其の十九】
クリオネが我が家に来てから、一週間が過ぎた――
「仕事先が決まったから、ここから引っ越すよ」
クリオネが朝食を運びながら、唐突に話を切り出してきた。
「えっ!? クリオネ……今日から一緒に寝られないって事なの?」
「フフッ。寝るって……住み込みの仕事なので、そこで暮らす事に決めたわ」
「どこの料理屋で働くんだ?」
「タリアの町に居を構えている、パトリシア王女の料理番よ」
「それは凄いな! でも家から通っても行けない距離ではないし、スカーレットが悲しむぞ」
「いい年したおっちゃんが、なに子供みたいな事を言ってるの! どちらか一方が声を掛ければ、すぐに会える距離なのよ」
「そ……そうよね」
スカーレットは、寂しげな表情で、小さく頷いた。
「そんなことより、せっかく美味しい料理を作ったんだから、冷めないうちにさっさと食べてよ」
彼女は、スカーレットの気持ちなど全く気にすることもなく、あっけらかんと言った。
俺はどのようなときも、自分本位でマイペースなクリオネに舌を巻いた。
朝食の後片付けを終わらせ居間に行くと、大きな荷物を抱えたクリオネがいた。
「おっちゃん、お世話になったわね」
彼女は俺の顔を確認し、玄関に向かった。その後ろをとぼとぼと、何も言わずにスカーレットがついて行く。クリオネは靴を履き、荷物を肩に担いでスカーレットをじっと見つめた。
「スカーレットと、同じ屋根の下に暮らして楽しかったわ」
「短い間でしたが……私もですよ、クリオネ」
彼女はクリオネに軽くハグをして、別れの挨拶を済ませた。クリオネは振り返りもせず、重い荷物を肩に背負い、よたよたした足取りで我が家から去っていった。そんな後ろ姿を二人で見送る。クリオネの背中が完全に消えたとき、彼女は顔を手で覆って泣きだした。彼女の気丈さに、俺も涙が出そうになるのをぐっと堪えた。
「今日も、レミたちと遊ぶんだろう」
話題を変えようと、泣き止んだスカーレットに、声を掛ける。
「いいえ、レミちゃんは仕事があるそうなので、昼から私もお仕事に行くだけですわ」
涙を服の袖で擦りながら、返事を返してくる。
「ああ、そうか」
俺は後ろを向いて彼女と会話している事に、今更ながら気が付いた――
――俺と彼女の関係は悪くはなくなっていたが、昼間までどう過ごそうか頭を悩ませた。
「そうだ……昼間まで予定がないので、お菓子を買いに行くから警護を付けてくれないかしら」
意外な言葉が、彼女から飛び出した。
「ああ、了解した」
ぎこちない調子で答えた。
道すがら、スカーレットは暇なのか、ずっと俺に話しかけている。彼女との最初の出会いを振り返ると、信じられないことだ。大通りに出ると、馴染みのお菓子屋が見えてきた。彼女は店のおばさんに軽く会釈して、二つの籠を受け取った。
「この串団子が一番のお勧めですわ」
新人お菓子ソムリエが、俺の籠の中にお菓子を入れてくる。
「わ、悪い……」
「あと、このお菓子も甘くて、すごく美味しいんですよ」
「これは旨そうだな! 雛鳥たちに沢山買っておいてやるか」
そう言うと、何故だかスカーレットに睨まれてしまった。店の商品を大人買いしながら、時間を潰す。小さな籠がいつの間にか、大きな籠になったので店から出た。
「おっちゃんは、買いすぎですわ」
彼女に怒られてしまった。
「子供の頃を思い出して、懐かしかったな」
「あら、子供の頃なんてあったのかしら」
くすくすと笑う。
(おいおい、ひでーや!!)これって駄菓子屋デートじゃない――俺は、はっと我に返り苦笑する。二人で買ったお菓子を食べ歩きながら、ギルドの酒場に向かう。
酒場の椅子に座り、彼女の働きぶりをぼーと眺める。最初はぎこちない姿で、空になった食器を運んでいたが、今では客から注文を受け取り、厨房から料理を運ぶまで仕事が出来るようになっていた。スカーレットは店の給仕と楽しそうにお喋りをしながら仕事を続けていた……。
「おい、ドワーフ国が戦争しているって本当なのか」
冒険者の一人がテーブルでうだ話をしている。
「大きな声では言えんが、武器を密輸している奴から聞いた話では、トカゲの国から戦争をふっかけられたらしい」
相方の冒険者は、少し声のトーンを低くして答えた。
「うひゃー、あのリザードマンの体格で襲われたら一溜まりもないな」
そんな彼の配慮など気にすることなく、隣席まで通る声で騒いだ。
「それが、ドワーフ国が圧勝したそうだ」
「マジ……か、あの良く切れる刀が物を言ったんだな!」
「それが違うのよ、ドワーフに肩入れした人間がいたそうだ。そいつが新兵器を彼らに伝えたらしい」
「おいおい、そいつは誰だよ!!」
テーブルから半分乗り出すような格好で尋ねた。
「名前までは分からんが。ドワーフ国では英雄扱いの、おっさん冒険者だとよ」
そう言った瞬間、『バン』とテーブルを叩く音が鳴った。店内がその大きな音で静まり返った。酒場の視線が全部スカーレットに集まる……。
「そのお話は、本当のことでしょうか!?」
スカーレットが、顔を真っ青にしながら、冒険者に詰め寄った。
「おい、ねーちゃん驚かさないでくれよ。これは噂話だよ……密輸している知り合いなんて、いるわけないぞ」
彼は目を泳がせながら否定した。
「お、おっちゃん!! これはどういう事ですか!!」
酒場中に、スカーレットの悲鳴ともとれる大声が響き渡る。そうして彼女は凶相を浮かべ、俺を睨み付けた。
「親父、すまないがスカーレットを、早引けさせて貰うわ」
「お、おう」
俺は何も言わずに、酒場から飛び出した。
「ねえ! 何か言って頂戴! あの話しは本当なの?」
「俺には関係ない話しだ。誰の事だかも、さっぱり分からん」
俺とスカーレットは、お互いに苦悶の表情を浮かべていた。
「嘘をつくんじゃありません! 私が貴方に預けられるとき、人間の英雄の家に預けるから命は心配するなと、ドワーフたちは言ったのよ。それに私たちが襲われたあと、おっちゃんは弓を片付けたのを覚えているの。あれは私たちが苦戦させられた武器、ボーガンだったわ、それを考えたのも、ドワーフ国で祭り上げられている
身体をわなわなと震わせながら、俺の後ろをついてくる。
「黙っていないで、何か言い返しなさいよ!!」
俺は観念した――
「ドワーフに、ボーガンの作り方を教えてやったのは俺だ」
スカーレットに真実を伝えたその瞬間、スカーレットに頬を平手で殴られた。
「さ、最低」
彼女は地面に倒れた俺を追い越し、我が家に向かって走り去っていった――
「あいつ、泣いていたよな……じゃあ、俺はどうすれば良かったんだよ……」
彼女の後ろ姿を目で追いながら、獣が呻くように声を発した。
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