災禍ノ断章
「大きな
「え、それは……シャレ抜きに怖い」
狩りから帰ってきたわたしの報告に、ギィは顔を青ざめさせた。
どんなときでも飄々としているようなイメージのあるギィだけれど、身近に命の危機があると知れば、さすがに平静ではいられないようだ。
「ギィはしばらく、小屋から出ないで。次に見つけたら、わたしが退治しておくから」
獲物の
「ギィ?」
「……また、
「それは――」
まずい。ギィは、怪しんでいる。
広い自然界の中でも、
それを、あっさり『退治しておく』なんて、言葉の吟味が足りな過ぎた。
「――もちろん。それとも、正面から棍棒でも持って、立ち向かっていくっていうの?
あふれた言葉はわざとらしくて、後ろにばれたくないことを隠しているのが、ギィにも丸わかりだっただろう。
「メル、おれは、きみの……」
ギィは、続く言葉を絞り出すかのように、自分の頭をぐしゃぐしゃと引っ掻き回す。だが、やがて諦めたのか、寂しげな微笑を頬に浮かべた。
「お腹すいたね。
「……フィレがおいしい。つけあわせは、
ギィは優しい。
その優しさに、わたしはぐったりと凭れかかっている。なんて、さもしい人間なんだろう。いや。人間ですら、ないのか。
*
真夜中、断崖絶壁から落ちる夢を見て、目が覚めた。不安定な心の表れだ。
背中に、嫌な汗をかいている。寝間着を替えようと思い、上半身を起こした。
「……嘘」
隣を見て、驚愕のつぶやきが漏れる。
ギィがいない。ギィの使っていた毛布だけが、そこにぽつんと残されていた。
突然の事態に、頭が真っ白になる――なんてことは、なかった。予見、もとい、覚悟はしていたのだ。いずれこの時が来ても、傷つかないように。
「帰ったんだ……都に」
いつまで経っても、わたしが自分のことを話さないから。ついに、愛想を尽かされてしまったのだろう。一刻も早く文筆家として名を上げたいギィにとって、煮ても焼いてもうまみをださないわたしは、きっと、無用に違いない。
覚悟はしていたのだ。
覚悟はしていたのだ。
覚悟はしていたのだ。
泣くわけが、ない。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
外から、ギィの叫び声が聞こえてきた。
反射的に飛び起き、扉へ向かう。三歩目を踏み出したところで、何かに躓いてすっ転んだ。慌てて確認すると、それはギィのリュックだった。
ここを出ていこうという人間が、まさかリュックを忘れていくはずがない。とするとギィは、お花摘みでもするために寝床を抜け出していたのだろうか。己の勘違いに、頬が熱くなる。だが、二度目の絶叫が聞こえてきて、羞恥なんて頭から吹き飛んだ。扉を蹴り開け、外に出る。
「ギィ!」
なんてことだ。ギィが仰向けで、地面に横たわっている。その腹の上に、
ギィの首にかぶりつこうとするように、
その瞬間、わたしは迷いなく息を吸い込んだ。躊躇するべきか否かという思考すら、時間軸の彼方に置き去りにしての行動だった。
だって、ギィが。ギィが。
わたしは旋律を紡ぐ。ただ心の赴くままに、ただ唇のわななくままに、音階を音律を音素を音域を、世界という箱の中で響かせる。言葉に意味は求めない。そこに喜はなく怒はなく哀はなく楽はなく、ただ、純粋な祈りだけを篭めて。旋律はやがて旋律を超越し、虚空を満たす
わたしが歌い終えるのと同時に、
「メル。きみは、いったい……」
ギィは両手でしきりに腹をさすりながら、むっくり上半身を起こした。寝間着は深紅に色づいているが、出血そのものは、もう止まっているはずだ。
顔が真っ青になっているのが、月明かりに照らされて、よくわかる。その原因は、失血だけではないだろう。
「わたしは」
もう、これまでだ。隠しおおせるはずがないし、これまで通りギィの優しさに甘えたところで、わたしの心の重荷が消えるわけでもない。
「わたしは異端。わたしは異形。わたしの名前はメル・アイヴィー」
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