開幕ノ断章

「おれの仕事は文筆家。…………志望の、無職だったり」

 尻すぼみな声でそう言って、ギィはティーカップを手にとった。茉莉花ジャスミン星見草ヤグルマで香りづけをした、特製のはなちゃが注がれている。一口すすって目を細めたのは、美味ゆえか、はたまたその逆か。前者なら、うれしいのだが。

「ベリベリグッドテイストだね。

 ――それで、二十歳になろうって長男が無職じゃ世間体も悪いし、両親はさっさとデビューするか、家業のパン屋を継げってうるさいの。おれはもちろん、文筆業以外で食っていく気なんか毛頭ない。でも、じゃあデビューできるのかって訊かれたら、それはなんとも言い難く」

 よくしゃべる青年だ。文節の合間合間に花茶を飲み、茶請けのビスケットをかじる。見ていて疲れるほど、落ち着きのない動きだった。

「いい小説を書くには、まず、いいテーマ。それを探して、都の噂話ひとつひとつに耳を傾けるうち、君の存在を知ったってわけ」

 わたしは、ビスケットに伸ばした手を止めて、思わずギィの顔を凝視した。

 都で、わたしのことが噂になっている? ――まさか。それは、あり得ないことだ。ことのはずだ。いったい、どういう……?

「100年にわたり禁忌の山ハルナーゼに住み続ける、銀髪の少女。幾度となく望遠鏡でその姿を確認されながら、会ったという者も、ましてや言葉を交わしたという者もいない、謎の存在。きっと、君のことだよ。メル・アイヴィー」

 そこで、ギィは一旦、言葉を切った。軽快に冗談めかした口調とは裏腹に、その瞳には、怖いくらいの真剣さが見てとれる。

 ギィの眼差しを受け流して、わたしは安堵のため息をついた。

 ――よかった。これまでの記憶消去に、不備があったわけではないようだ。

「そう……。たぶん、わたしで間違いないと思う」

 答えて、花茶で唇を湿らす。

「この山で、他の人間に会ったことはないから」

 これは、真っ赤な嘘だ。

 禁忌の山ハルナーゼと呼ばれるこの山にも、時おり人がやってくる。禁忌なんぞ糞食らえという冒険者や、下界に居場所をなくした世捨て人。そういった者たちと会ったことは、これまで何度かある。

 だが、それをわざわざ言う必要性は感じなかった。

「そっか。半信半疑だったけど、来てみてよかったよ。この出会いに、乾杯」

 有言実行、とカップを乾して、ギィはおかわりを要求してきた。気に入ってくれたみたいだ。うれしい。

「さて……そろそろ、君のことを教えてもらおうかな」

「嫌」

「ずばり、君の正体は?」

「嫌」

「ずっとここに住んでるの? だとしたら、なぜ?」

「嫌」

「リーザ教徒? ジブ教徒? それ以外?」

「嫌」

「メル・アイヴィーは本名?」

「嫌」

「異端で異形って、どういう意味?」

「嫌」

「スリーサイズを教えないで」

「嫌……じゃない!」

 思わず声を荒げるわたしを見て、ギィは心底おかしそうに笑った。

「オーケー。君から話を聞くには、もっと仲良しになる必要があるみたいだ」

 降参、とばかりに両手を上げて、ギィはイタズラっぽく微笑んだ。

「とりあえず、家事の分担から決めようか。こう見えて几帳面だから、掃除をやらせて右に出るやつはいないと思うよ」

「……あなた、何を言ってるの?」

「しばらく一緒に住むわけだし。後で揉めたくないでしょ?」

「ど」

 どこまで図々しいの、あなたは――そう言いかけたわたしの口は、しかし、無意識のうちに動きを止めていた。

 なぜ?

 理由はいくらでも作れるけれど、たぶん、一番シンプルなのは――

 それほど「嫌」じゃ、なかったからだ。



 こうして、メル・アイヴィーとビルギィの、奇妙な同棲が開幕した。

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