開幕ノ断章
「おれの仕事は文筆家。…………志望の、無職だったり」
尻すぼみな声でそう言って、ギィはティーカップを手にとった。
「ベリベリグッドテイストだね。
――それで、二十歳になろうって長男が無職じゃ世間体も悪いし、両親はさっさとデビューするか、家業のパン屋を継げってうるさいの。おれはもちろん、文筆業以外で食っていく気なんか毛頭ない。でも、じゃあデビューできるのかって訊かれたら、それはなんとも言い難く」
よくしゃべる青年だ。文節の合間合間に花茶を飲み、茶請けのビスケットをかじる。見ていて疲れるほど、落ち着きのない動きだった。
「いい小説を書くには、まず、いいテーマ。それを探して、都の噂話ひとつひとつに耳を傾けるうち、君の存在を知ったってわけ」
わたしは、ビスケットに伸ばした手を止めて、思わずギィの顔を凝視した。
都で、わたしのことが噂になっている? ――まさか。それは、あり得ないことだ。あり得てはいけないことのはずだ。いったい、どういう……?
「100年にわたり
そこで、ギィは一旦、言葉を切った。軽快に冗談めかした口調とは裏腹に、その瞳には、怖いくらいの真剣さが見てとれる。
ギィの眼差しを受け流して、わたしは安堵のため息をついた。
――よかった。これまでの記憶消去に、不備があったわけではないようだ。
「そう……。たぶん、わたしで間違いないと思う」
答えて、花茶で唇を湿らす。
「この山で、他の人間に会ったことはないから」
これは、真っ赤な嘘だ。
だが、それをわざわざ言う必要性は感じなかった。
「そっか。半信半疑だったけど、来てみてよかったよ。この出会いに、乾杯」
有言実行、とカップを乾して、ギィはおかわりを要求してきた。気に入ってくれたみたいだ。うれしい。
「さて……そろそろ、君のことを教えてもらおうかな」
「嫌」
「ずばり、君の正体は?」
「嫌」
「ずっとここに住んでるの? だとしたら、なぜ?」
「嫌」
「リーザ教徒? ジブ教徒? それ以外?」
「嫌」
「メル・アイヴィーは本名?」
「嫌」
「異端で異形って、どういう意味?」
「嫌」
「スリーサイズを教えないで」
「嫌……じゃない!」
思わず声を荒げるわたしを見て、ギィは心底おかしそうに笑った。
「オーケー。君から話を聞くには、もっと仲良しになる必要があるみたいだ」
降参、とばかりに両手を上げて、ギィはイタズラっぽく微笑んだ。
「とりあえず、家事の分担から決めようか。こう見えて几帳面だから、掃除をやらせて右に出るやつはいないと思うよ」
「……あなた、何を言ってるの?」
「しばらく一緒に住むわけだし。後で揉めたくないでしょ?」
「ど」
どこまで図々しいの、あなたは――そう言いかけたわたしの口は、しかし、無意識のうちに動きを止めていた。
なぜ?
理由はいくらでも作れるけれど、たぶん、一番シンプルなのは――
それほど「嫌」じゃ、なかったからだ。
こうして、メル・アイヴィーとビルギィの、奇妙な同棲が開幕した。
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