第36話 突きつけられた辛い現実
”各務グループ”
組織の中核は乳製品の輸出入・加工製品の
製造・販売を主とする総合商社『各務』だが、
近年外食産業分野での成長が目ざましい
コングロマリット。
そんな大企業の経営者一族なら
結婚して子供を作り、
お兄さんと共にグループを盛り立てて
行かなければいけない。
私みたいな平民の小娘に現を抜かしている
場合ではない、というのがお兄さんの考えだろう。
自宅に帰り、シャワーを浴びて布団に
潜り込んでも頭の中を”結婚”の文字が
ぐるぐる回って寝付けない。
ザワザワと胸の奥がざわつく。
―― 気持ちが悪い。
結婚という文字が浮かんだだけで
胸が締め付けられるように痛い。
不意にパーティーでのいち場面が脳裏に
くっきり蘇った。
あの子が彼の結婚相手。
先頃までイギリスのオックスフォード大学に
留学していたそう。
才色兼備のお嬢様。
神宮寺のご令嬢と各務家の次男の結婚……
成立すれば世紀のビックカップルの誕生だ。
おめでたい事、なのに……素直に喜べない。
胸の奥で疼き、渦巻くこの感情は……嫉妬?
匡煌さんと出逢うまでの私は、自他共認める
八方美人。
特に自分の好みなど関係なく、
好きだと言われれば付き合ったし、
体を求められれば肌を重ねた。
自分は淡白だってずっと思っていたから、
胸が締め付けられる程の痛みで、
たった1人の男(ひと)を強く恋い焦がれる日が
くるなんて、考えもしなかった。
宇佐見匡煌という男が私の全てを変え、
唯一無二の存在になった。
けど、今夜、お兄さんによってお互いの身分差と
現実の厳しさを突き付けられ、
やっぱり夢は夢でしかないんだと、
思い知らされた。
溢れる涙が止められず、頬を濡らす ――
あぁ、ったく、ホントに情けない!
いい大人がみっともないくらい、子供みたいに
泣きじゃくった。
もう、途中からは何に対して、こんなにも辛く
悲しいのか?
それすら分からないまま、ただひたすら泣いた。
***** ***** *****
ブブブブ ―― ゴト ゴト ゴト ――
スマホの着信を知らせるヴァイブレーションで
起こされた。
もうっ、泣き疲れて寝ちゃうなんて、
マジ子供かよ。
まだ、寝ぼけ眼のまま、まくら元を探って
手にとったスマホを、ついうっかりいつもの癖で
すぐ応答に出てしまった。
『もしもし、かずっ!』
発信者は匡煌さんで。
彼の声は心なしか怒気を含んでいるように
聞こえた。
「あ、まさ ――」
『あ、じゃねぇよっ! いきなり姿暗ましたら
心配するだろ』
えっ、じゃあ、私があそこにいた事……。
でも、私は姿を暗ましたんではなく、
自宅に帰っただけなんだけど?
*********** **********
その頃俺は、和巴の自宅へ向かって
愛車を爆走させていた。
さっきのパーティーでかなり酒が入ってるので、
ネズミ捕りに捉まれば一発免停だ。
『あ、えっ、と、ごめん、なさい……』
言葉尻にグスンと鼻を啜る音がして、
こいつは今まで泣いてたんだ、と思った。
1人ぼっちで泣かせちまった自分に
心底腹が立った。
諸悪の根元は……兄・広嗣。
「……今、家だな?」
『う、ん』
「OK、今からそっちに行く」
『ええっ?! そんな、ダメだよ』
「なんで? 俺のいない間に違う男連れ込んでる
とか?」
『そ、そんな訳ないでしょっ!』
「なら、いいじゃん。
どうしても今話がしたい」
『だけど、もう、夜遅いし……』
「顔、見るだけでもいい」
『でも、疲れてないの?』
電話口の和巴の口調は明らかに弱々しくなっている。
よっしゃー、あともうひと押し。
「……会いたくねぇ?」
そんな自分なりの決めゼリフの後 ……
和巴からの声がしばらく途絶えた、そして――
『……あ、いたい』
「すぐに行く!」
俺はアクセルを目一杯踏み込んだ。
***** ***** *****
もう既に切れてしまったスマホを握ったまま
和巴は固まっていた。
「……匡煌さんが、来る……ここへ?」
ハッと我に返って自分の姿を思い出し、
狭いユニットバスへ飛び込んだ。
鏡に映る腫れぼったい瞼に、深いため息。
おっと! こんな事してる場合じゃない。
バシャバシャと冷たい水で顔を洗い。
アイスパックで瞼を冷やす。
あぁ、早くしなきゃ間に合わない。
もう1回シャワーする? 時間がないっ。
じゃ着替えが先? それとも部屋の掃除?
夜中の1時近くにバタバタと騒々しい事
この上なく。
無駄に部屋中を右往左往していると ――
”コン コン”玄関のドアが小さくノックされ。
和巴はだるまさんがころんだ状態で
ピタリと動きを止めた。
まだ、パジャマのままだし、
布団だって敷っぱなしだ。
ドアが再度静かにノックされ、
和巴は小走りで玄関口へ行きドアを開けた ――
「コラッ、来訪者の確認はしたか?」
「あ……」
「これだから1人じゃ放っとけねぇんだよ」
って、いたずらっぽくニッコリ微笑み和巴を
そっと抱き寄せた。
「匡煌さ……」
汗とタバコとアルコールの混ざり合った香りが
和巴を包み込む。
ホッとして気が緩んだ和巴の瞳から
堰を切ったように大粒の涙がポロポロと
溢れ出る。
ホントに泣き虫なんだなぁ……
呆れたように苦笑し匡煌は和巴を
宥めるようその背中を何度も撫でた。
「ヒック ―― ごめ、なさい……
ホントにごめ……」
「もういいよ。泣くな、お前に泣かれると
俺はどうしたらいいか分かんなくなる……」
「匡煌? 好き……大好き」
聞き返したくなるほど小さな声だったが、
それは、匡煌の耳へ心へ、確かに届いた。
それに対する匡煌の答えは ――
「愛してる、和巴」
その言葉に応えるよう、和巴は自分から
匡煌に唇を重ね合わせた。
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