2日目 12月19日 22:50 捜索

 大学から帰った僕は、部屋をゆっくり掃除して、レポートを仕上げ、トレーニングを行った。


 充実した、とても良い日だった。……チラチラと脳裏を横切る『あの光景』さえなければ。


「………………。」


 吐き気を覚え、僕は口許を押さえてトイレに駆け込んだ。今日になって何度吐いたかもう覚えていない。


 あの赤い光景が頭から離れない。

 あの男から逃げたときの恐怖が体に取り憑いたまま離れない。

 体の震えが止まらない。


「………くそっ!!」


 トイレの水を流し、僕は悪態をついた。


 このままではダメだ。食事も水分もろくに摂れず、勉強すらマトモに出来ない。

 ふらつきながらトイレを出た僕は、スマホに手を伸ばす。


「近くの精神科、一体どこなのだろう……」


 保険証も、出費は痛いがお金もある。とにかく、この症状を何とかしたい。


 暫くのあいだ、スマホで調べものをしていると、ふと、電話の着信があった。


 同じ講義をとっている今田いまだからだった。


 画面をスクロールし、電話に出る。


「もしも……」

「よう、並木ぃ!皐月町の鶏一で呑んでんだけど、雪乃ちゃんが良い感じに酔いつぶれたから、一緒に遊ばねぇか?車出してくんね?ついでにお前んち貸してくれよ!」


 どうやら間違い電話らしい。

 大分酔っぱらっているらしい今田は、僕を堂々と犯罪に誘ってきた。


「やるわけないだろ。ふざけたことをしていないで帰れ。飲酒については学校に報告しないでやるから。」


 僕は頭を抱えてそう言う。

 今田には前々から悪い噂が流れていたが、ここまで酷いとは思ってもいなかった。


 僕の返事に、今田はイラついたのか、大きながなりごえを上げる。


「じゃあ知らねーよ!雪乃ちゃんとは俺一人でゆっくり遊ぶことにするからな!せいぜい後悔してろよ!」


 今田はそう言うなりげたげたと下品な笑い声を上げ、電話をがちゃりと切った。最後まで僕が並木さんとやらでないことに気がつかなかったようだ。


 ふと時計を見てみれば、午後10時を越えている。いつから飲んでいたのかは知らないが、かなり長時間店にいたのではないのだろうか。


 ユキノさんとは、一体誰なのだろうか。かなり不憫である。……一応、知り合いにぼかして根回しをしておこう。都会の人付き合いは難しいものなのだ。




………



…………………




………………………………



 僕は、スマホを消し、深く息を吐く。


………どうしよう。ユキノさんとやらを助けに行ったほうが良いのだろうか。


 今田の電話での様子や普段の行いから、ユキノさんは無理やり酔わされたという可能性が高い。高い、というよりも、ほぼ100パーセントだ。


 哀れではある。かわいそうでもある。だが、見ず知らずの他人のために、わざわざ首を突っ込むべきか?


 僕は、暫く頭をかいたり、椅子から立ったり座ったりを繰り返し、最後に一つため息をついてから、このボロアパートの鍵をつかんだ。


 財布とスマホをポケットのなかにねじりこみ、上着を羽織り靴を履く。


「いってきます。」


 誰もいない部屋に挨拶をし、立て付けの悪い木の扉に鍵をかける。


 寒い夜空の下へ、僕は自ら足を踏み出した。


 月は分厚い雲に隠され、都会の眩しい蛍光灯の光だけが辺りを痛々しく、刺々しく照らし出していた。


 ◇◆◇


 最寄り駅、長月駅から4駅。


 皐月駅についた僕は、趣味の悪い客引きをかわしつつ、鶏一という名前の居酒屋へ走る。


 地図アプリはバスに乗るように指示してくるが、ただがた1,2キロでバスに乗るほうが遅くついてしまう。


 すれ違う酔っ払いやキャバクラの客引きを追い越し、目を痛めそうなネオンライトの下をくぐり抜ける。アルコールと香水の臭いが鼻につく。


 しばらく走ったあと、僕はスマホの電源をいれ、時刻を確認する。


 スマホの時計は22:46を示している。鶏一という看板はすでに見えている。

 スマホを操作して、録画機能をオンにしておいてから、鶏一とかいてあるのれんを押し開けた。


 アルコールと煙草の臭いの充満した店内には、見覚えのある人物が何人かいる。だが、今田はいない。


 煙草の臭いに顔をしかめつつ、僕は真っ赤な顔で机の上に突っ伏した、やや見覚えのある男性に声をかける。


「すいません、今田くん、いまどこにいるか知っていますか?車で迎えに来るように言われたのですが。」

「んァー?いまだぁ?あいつなら五分前くらいに店から出てったぞ。女の子と一緒にな。」


 男性は赤ら顔を少しだけ上げ、答える。アルコール臭い息が顔にかかる。


 少しだけお礼を言い、店の外に出る。


 ネオンがギラギラと輝く繁華街は、それなりに広い。宛もなく探し回っても意味はないだろう。


 僕はスマホをスクロールし、録画アプリを起動させたまま地図アプリを開く。

 地図によると繁華街のラブホは、やや西側に密集している。この店を出たのが5分前と言っていたことから、そこまで遠くには行っていないはずだ。


 僕は、再び走り出した。

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