第28話 クリスマスの災難 4
一体何の騒ぎだろう。クリスマスという特別な日に行われるイベントか。
そうでないことは我先に逃げようとする人々の動きで分かっていたが、あえて流れを逆行する。
あいにくこの程度の修羅場で動じるような神経を、円も陸も持ち合わせていない。
二階の吹き抜けにたどり着き、一先ず物陰から周囲の様子を探る。
吹き抜けの手すりが、紙きれのようにひしゃげていた。真っ白だった床も煤けて黒ずんでいる。
「あれは……火薬?」
賑やかに飾り付けられたディスプレイは焼け落ち、ひどい惨状。鼻を突く独特の臭気に円はたまらず顔を歪めた。
「マジの爆弾じゃない……」
吹き抜けには逃げ遅れ座り込んでいる人が数名と、不穏な空気を放ちながら仁王立ちしている男の姿があった。
二十代半ばくらいに見える男は手にリモコンのようなものを持っており、それを虚空に掲げている。
彼が爆発を起こしたと仮定するなら、あれは操作のための道具かもしれない。
爆心地付近で荒んだ薄ら笑いを浮かべる男からは、聖夜を台無しにしようという明確な意図が窺える。
「はぁ。何かつくづく……ついてないわ」
葉月に駅のホームから突き落とされかけたり、なぜかよく危険に遭遇している気がする。ここは平和な日本ではなかったのか。
円の呟きに、陸はそっと目を逸らした。
「ついてないっていうより……円さんって前世から、結構な巻き込まれ体質だよね」
「どういう意味よ?」
変わった者に振り回されることは頻繁にあったが、それも望んで得た状況ではない。こちらに責任を押し付けられるのは心外だ。
じろりと睨むも、陸は決して目を合わせようとしない。
こそこそ小競り合いを繰り広げていると、ホールに立つ男が突然絶叫した。
「リア充なんて、リア充なんて、本当に爆発すればいいんだー!」
「うわ、ダサ」
思わず呟いた感想が、思いの外響いた。
男の耳にもしっかり届いており、彼は顔を真っ赤にしながら屈辱に震えている。
「ーーおい! そこで今悪口言った奴、隠れてないで大人しく出てこい!」
円は苦いため息をついた。
見つかってしまったのなら、もはや隠れている意味はない。円達は物陰から出て男のいる方に向かって歩き出す。
「何で買い物に来ただけなのに、こんなことに巻き込まれなきゃいけないわけ……?」
「今のは完全に円さんが悪いと思うけど」
「仕方ないでしょ。『リア充爆発しろ』なんて久しぶりに聞いたんだし。はっきり古いと言わないだけ優しい方よ」
ぶつくさと文句を垂れるも内容が悪い。男はますます逆上する。
「リア充が、俺を馬鹿にしやがってー!」
喚く男を尻目に、円は周囲を見回した。
壁際に座り込んでいた女性を、外に繋がる階段へと目顔で誘導する。
女性はハッと正気に返り、目立たないよう座った姿勢のまま動き出す。
「……本当に、円さんは優しいよね」
男から視線を外さないまま、陸が囁く。
「わざと聞こえるように喋ったんでしょ? あの男が僕らに気を取られてる隙に、逃げそびれていた人達が避難できるもんね」
からかい混じりの口調に対し、円はわざと声を張って返した。
「別に善意の行動ってわけじゃないわ。私は単に、自分の鬱屈に見ず知らずの他人を巻き込んで平気な顔してる人間が、大っ嫌いってだけだから」
既に挑発のつもりはなく、紛れもない本音だ。ヒタリと睨み据えれば、男は怯んで肩を揺らした。
距離を詰めようと踏み出す。
リモコンを奪われまいとしているのか、男はその辺のものを手当たり次第投げ始めた。
爆破でツリーから外れた雪の結晶のオーナメントもさることながら、床材の破片はほとんど凶器だ。
けれどそこは昔とった杵柄、円と陸は余裕をもってかわしながら軽口を叩く。
「煽りすぎだよ、円さん」
「だってムカつくんだもん。どうせクリスマスに一人でいるのが耐えきれなくなったとか、そういう動機でしょ? 馬鹿馬鹿しくてやってらんない」
「こういうのはクリスマスだからこそ憂鬱になるんだよ。やっぱり僕だって、今日を円さんと過ごせることに特別な喜びを感じるし」
「この殺伐とした状況でも嬉しいって、どうかしてるんじゃないの?」
「うん。僕は円さんに対してだけ、どうかしてるんだ」
「リ ア 充 共 め !!」
全て聞こえていたらしく、男が頭を掻きむしりながら叫んだ。
「どいつもこいつも幸せそうに! そうだよ俺はクリスマスなのに一人だよ! 誰にも誘われなかったし、電話もLINEも一件も来なかった……! みんな、俺くらい不幸になればいいんだ!」
渾身の力で振りかぶられた瓦礫が、円と陸を目がけて飛んでくる。
難なく避けることができたけれど、逆方向に動いたため互いの距離が開いた。
円は手すりがなくなった吹き抜けに踏み込みかけ、危ういところで制止する。
「は? そんなひがみ根性丸出しだからモテないし友達もいないんでしょ? クリスマスに寂しいのも自業自得でしょうよ。爆弾を一から作る努力をするくらいなら、もっと建設的なことしなさいよ。行動が既に非モテっぽいのよね」
肝を冷やしたことなどおくびにも出さず、円は腕を組んで続ける。
「周囲に八つ当たりしたって意味ないことくらい分かんない? そもそも、公共の場で故意に爆発物を扱った時の罪の重さを、あんたちゃんと考えてるわけ? テロ行為と見なされれば相当ヤバいわよ」
「うるさいうるさいうるさーい! 正論ばっかり言うなぁ! 普通に傷付く!」
「あげく逆ギレとか見苦しすぎるわね」
「円さん、そんなに追い詰めたら……」
男は、存在を主張するように再度リモコンを頭上にかざした。
「まだ爆弾は仕掛けてあるんだ! 俺がこのボタンを押したら、お前達もただじゃ済まない! こうなったら地獄へ道連れだー!!」
リモコンを守ろうとする素振りからも察しはついていたが、やはり爆弾は一つじゃなかったらしい。
自爆をほのめかすような物言いといい、もしかしたら色あせたジャケットのどこかに隠し持っているのかもしれない。
ーー昔のドラマで見たような、全身に爆発物を巻き付けた姿だったら、いっそ笑うしかないわね……。
妄想で漏らした笑みをどう勘違いしたのか、男のリモコンを持つ手が震えた。
「俺だって、俺だってこんなことしても意味ないってことくらい分かってる……!!」
男は膝を付き、涙を迸らせていた。しゃくり上げながらも、懸命に言葉を繋いでいく。
「寂しくて辛いってわめき散らして! スマホの前で馬鹿みたいに連絡待って! 待つくらいなら勇気出して自分から連絡すればいいのに、臆病で動けなくて! 情けないって分かってるよ! ……でももう、ここまで来たらあとに退けないんだ!」
「ーー分かってるならいいじゃない」
慟哭を柔らかく包んだのは、静かな肯定。
「確かに甘えて色々やらかしちゃったけど、気付いてるなら大丈夫。ちゃんと自分と向き合えるなら、すぐに変われるわよ」
円はゆっくり歩み寄ると、目を瞬かせている男に手を差し伸べる。
彼はどこか呆然としていた。
「さあ、リモコンをこっちに渡して。そしたら、どうにもならないかもしれないけど、少しくらいなら庇ってあげられるし」
「……あ、ありがとう……」
「そこお礼言うとこ?」
「でも、こんな俺が優しくしてもらえるなんて、思ってなかったから……」
「何でよ。私だって頑張ってる人に追い討ちかけるほど鬼じゃないわよ」
「いや、さっきまではなかなかの鬼畜っぷり……いや、何でもないです」
冷ややかに睨んだにもかかわらず、男はおかしそうに肩を揺らす。
張り詰めていた空気が緩んだところで、背後から陸のわざとらしいため息が聞こえた。
「ホラ。そうやってすぐ魅了する」
「してないし。逆にこの人に失礼だから」
男は手の中のリモコンをじっと見下ろしていたけれど、小さく頷いた。
「よ、よろしくお願い……」
彼の手は可哀想なほど震えていた。
それが原因だろう。
円へ差し出そうとしたリモコンが、まるで生き物のように手の平から逃げていく。
「あ」
二人の間抜けな声が重なる。
そして運の悪いことに、リモコンはーー赤い起動スイッチを下にして落下した。
ドォォォォンッッ
耳をつんざくような爆音と、突風に巻き上がる粉塵。
爆発が起こったのは一階ーーおそらく方向的にエントランス付近だ。
道連れだなんだと言っておきながら、まさか爆発物が手元にすらないなんて呆れてものも言えない。
この類いの人間には、自死する度胸すらないのだ。少し考えれば分かることだった。
二度にわたる建造物破壊。
本当に凶悪犯として捕まる気かと問いたかったけれど、できなかった。
あらぬ方向から吹き付ける容赦のない爆風に、対処が遅れた。
咄嗟に靴底に力を入れたけれど踏ん張ることができず、体ごと引きずられるように後退していく。
背後には安全柵のない吹き抜け。
ズルッ
まずい。
そんな焦りを感じた時には、足が空を踏み抜いていた。
地面が、ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます