第27話 クリスマスの災難 3
◇ ◆ ◇
一方その頃。陸は、無言で先導する背中を追っていた。
静謐な空気を持っているために繊細な印象を受けるけれど、陸よりも肩幅は広い。年齢のせいもあるだろうが身長も負けている。
スッと伸びた背筋、優雅な物腰。歩調に合わせて揺れる艶やかな黒髪。
構成する全てに複雑な感情を抱くのは、円が彼にだけ特別な顔を見せるからだろう。はにかむような笑顔や、少し甘えた仕草も。
「……それで。一体僕に何の用ですか?」
ひと気のない荷物の搬入口まで来ると、陸は性急に訊ねた。
彼は分かりやすい態度を笑うことなく、大人の余裕で受け止める。
「つれないね。同じ生徒会のよしみで」
その笑みは涼やかでありながら、どこか凄艶な色香をまとう。
生徒会長である赤羽颯哉だった。
いつも冷静で、誰に対しても分け隔てなく接する颯哉を、陸は尊敬していた。
けれど、彼が編入したての円を気にする素振りを見せた時から、ずっと内心警戒していた。前世が『ミラロスカ』であると知って以降は隠すつもりもなくなった。
養い親だったという理由であっさり円の特別に成り上がった颯哉を、妬まないはずがないのだ。
「何で会長までこんなところに……」
大騒ぎする面々の向こう、気配を殺して手招きする彼を見付けてしまったばかりに、せっかくのクリスマスデートだというのに円と離ればなれになってしまった。彼女も心配していることだろうし、この恨みは大きい。
そもそも学園付近に住んでいるはずの颯哉が、なぜ電車で何駅も離れたこのショッピングモールにいるのかという話だ。
陸の疑問を受け、彼がおもむろに突き出したのは一枚のチラシ。
いかにも小さなショッピングモールで作成されましたと言わんばかりの紙には、やたら綺羅綺羅しいスーツに身を包んだ男達が胡散臭いほど白い歯を見せびらかすようにして笑っていた。
「奥様方に大人気の男性歌謡コーラスグループ。ついさっきまでライブをやっていたんだけど、みんな結構いい体してるんだよ」
見応えがあったといたって真面目に頷く颯哉に、陸は脱力した。
どこまでが真剣でどこまでが冗談なのか、本気で判断つかない。
「……あの、普通に話して結構ですよ」
「あら、いいの? これはこれで強烈すぎるかしらと控えてたんだけど」
コロリと雰囲気を変えられ、確かにダメージは感じる。
颯哉のおねぇ口調はなかなか衝撃的だ。
「いえ、会長モードでああいう発言を聞く方が、役員としては辛いものがあるので。……それに、ラティカの養い親として、僕に話があるんでしょう?」
真っ直ぐ見据えながら切り込むと、颯哉は口角を上げた。残虐で冷酷と言われた『緋色の魔女』を彷彿とさせる笑みに、彼は間違いなく『ミラロスカ』なのだと実感する。
彼女の恐ろしい噂は、『ラティカ』を引き取ったのちパタリと消えている。
消滅したのではとまことしやかに囁かれていたけれど、何のことはない。
単に彼女は、誰かを心の底から愛し、慈しむ気持ちを知っただけだ。
「一度あなたとは、腹を割っておこうと思ってたのよ。円がいれば言いづらいこともあるでしょうし」
案の定、彼が切り出したのは円について。
『ミラロスカ』が『ルイス』と二人きりで話す用件などこれしかなかった。
とはいえ『ラティカ』でなく『円』と、颯哉の口から聞くのは抵抗がある。
例え彼の前世が『ミラロスカ』であっても、今はただの男だ。
陸の葛藤などお見通しなのか、颯哉はからかうように肩を揺らした。
「あの子は、どう? 現世の家族とはうまくやってる?」
想定していなかった質問に、陸は目を瞬かせる。てっきり、義弟という立場を利用し言い寄っていることを咎められると思った。
「……関係は良好なつもりです。僕らの両親は円さんを愛してますし、円さんも家族を大切にしてます」
彼女が大切にする家族という枠に自分が組み込まれているのか、果てしなく疑問だが。
陸としては素っ気ない扱いは前世で慣れているため問題ない。懐かない黒猫のようで、可愛らしいとすら思ってしまう。
陸の答えに、颯哉は頬を緩めた。
それは艶やかで挑発的な笑みではなく、どこか温かみを感じさせるものだった。
「安心したわ。昔より健康的だし、幸せだろうと思ってたけど、やっぱりはっきり聞くと違うわね」
彼はそのまま、陸を瞳に映した。
「……『ラティカ』が親に愛されていなかったことは、言わなくても分かるでしょう?」
「それは、まぁ……」
敵対関係であったため本人から直接聞いたことはないが、何となくは察せる。
魔力の象徴でもある赤い瞳を持って生まれた彼女が魔族の養い子になるまでには、壮絶なものがあったに違いない。
折れそうなほど華奢で、年齢のわりに小柄。赤い瞳は養い親以外を一切信用してなかった。人間を、世界を、憎みさえしていた。
他を拒絶する眼差しに圧倒され、美しいと感じた。それを自分だけに向けてほしいと願う『ルイス』は、どこかおかしいのだろう。
彼女だけが、勇者ではない『ルイス』を肯定してくれた。泣きたくなるほど。
けれどそれが『ラティカ』の不遇な半生の上に成り立っていることくらい、陸だって理解していた。
颯哉は吐き捨てるように笑う。
「あの子の家族がどんな下劣な生き物だったかは、語らない。ただ、愛されなかったからこそーー『ラティカ』は誰より家族という形に固執してる」
それはずっと、陸も感じていたことだ。
円は陸を毛嫌いしている癖に、家族の前では仲のよい姉弟を演じている。
それを利用している自覚はあるので、理由を問い質すことはなかった。
彼女の中の問題が解決してしまえば一緒にいられなくなるからと。
「……今世では、円さんの家庭環境は良好です。あなたが心配する必要はない」
きっと前世では癒されなかった傷も、ゆっくりと癒されていくはずだ。
甘い考えを、彼は鼻で笑った。
「その恵まれた環境を、壊そうとしている張本人がよく言うわ」
突き付けられた言葉に、陸は息を呑んだ。
「壊そうなんて、僕は……」
「現に義弟にもかかわらず堂々と言い寄ってるじゃない。例え誰が許しても世間が許さないのよ。藍原家を継ぐ立場のあんたを誘惑したって、不当に貶められるのは円だわ」
両親は賛成してくれているし、円を不幸にするつもりもない。反論は次々と浮かぶけれど、どれも言葉にならなかった。
我欲のために、円を縛ろうとして。
本当に自分は、彼女が守ろうとしているものを不用意に侵していないか。
青ざめていく陸を嘲けるように、颯哉は目を細めた。
「もしこの先、あの子が泣くようなことになったらーー問答無用で私がさらうわ」
脅しや警告ではなく本気で言っていることが分かるから、陸は表情を険しくした。
「……今世でそんなことをしたら、立派な犯罪ですよ」
「あらあら。男が女を合法的にさらう方法くらい、あなたも子どもじゃないんだから分かるでしょう?」
颯哉の魅惑的な笑みに頬が引きつった。
言わんとしていることは分かる。が、決して理解したくない。
「あなたは、前世で『ラティカ』の養い親だったんですよね? そういう発言は非常識だと思わないんですか?」
義理の姉弟である自分を棚に上げて非難すると、颯哉は軽く肩をすくめた。
「元魔族に常識を求めないでちょうだい。あの頃から私、男でも女でもイケたし。何なら今は男性体なのだからむしろ健全よ」
「……っ、円さんは渡しません!」
「それを決めるのはあの子。まあ、せいぜい好かれる努力でもしなさい。あなたが駄目でも、替えならいくらでもいそうだし」
思案げに唇をなぞる姿は、まさに魔性。
陸でさえ役員の面々が容易に浮かぶ。
喧嘩は多いけれど何だかんだ円を気にかけている大雅や、無表情ながらかなり懐いている様子の志郎。親しさで言えばかんなですら油断できない。
それでも誰より注意すべきなのは、やはり目の前にいる彼だ。
言いたいことを言ってすっきりしたのか、颯哉は綺麗に微笑むと身を翻した。
「じゃあ、私は帰るわね。一応これでも家では品行方正で通ってるの」
早く円の下に帰らなければ。悪態をつきながらもきっと心配している。
そう思うのに、陸は去り行く背中を見つめ、しばらく動くことができなかった。
◇ ◆ ◇
人混みの中、円は陸を捜す。
はぐれた場所から離れるのは得策ではないと聞くため、捜すといってもあまり動くことはできない。
しばらくウロウロしていると、目立つ姿はすぐに見つかった。
「あんた、どこいたのよ?」
開口一番文句を言うと、陸は微笑んだ。
「捜してくれたの?」
「不本意だけどね。一緒に出かけたのにバラバラに帰ったら不自然でしょ」
彼はふと表情を消し、円の頬に手を伸ばす。けれどはたき落とすよりも先に、繊細な指先は宙を泳いだ。
触れそうで触れない距離。
躊躇うように彷徨っていた熱が、ゆっくりと離れていった。
「……ごめん。こんなことしてたら、ますます円さんに嫌われちゃうね」
いつも通りの穏やかな声、完璧な笑み。なのにひどく辛そうで、円は眉をしかめた。
前世で『ルイス』が愛想を振り撒いていた時に似ている。
出会ったばかりの他人にも向ける、張り付けたような仮面の笑み。
「陸? あんたーー……」
円の言葉を突然の轟音が遮った。
ブーツの底から伝わる微かな振動を不審に思った一瞬後、さざめくように悲鳴が広がっていく。
尋常でなさそうな事態に、円達は顔を見合わせた。
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