番外編

第25話 クリスマスの災難 1

 寒い冬。街路樹はすっかり葉を落とし、空もどこか色褪せて見える。

 けれど街角では胸が踊る音楽が流れ、行き交う誰も彼もが明るい表情をしていた。

 そこかしこでイルミネーションが輝き、冬の景色を賑やかに彩っている。

 クリスマス。

 キリストを信じているわけでもないのに、この国の国民達はその日を盛大に祝う。

 大切な家族と。気の置けない友人と。

 そして、大切な恋人と。

 とぼとぼと歩く男は一人、寒さに身を震わせながら苦々しく吐き捨てた。

「リア充、爆発しろ……!」


   ◇ ◆ ◇


 藍川円がクロゼットから取り出したダウンジャケットを見た瞬間、母の祐希奈は顔をしかめた。

「え。円ってば、せっかくのクリスマスデートくらい可愛い服着ればいいのに」

「デートじゃないし。そもそも強制的におつかいを押し付けて来たのは誰よ?」

 母と義父は、今年再婚したばかり。

 せっかくなので家族全員でディナーをしようと提案したのは、確か陸だった。

 昔から友達の少ない円はクリスマスに誘われる経験もなかったため、特に何も考えず了承した。だが、もしあの時からこうなることを予測していたのなら、本当に義弟は末恐ろしい。

 足りない食材に慌てた母が円にお使いを頼んだのは、およそ三十分前のこと。そしてその後どういった話し合いがあったのか、気付いた時には陸の同行まで決定していたのだ。

 彼が粗びき胡椒と卵に何かしらの細工をしていたのだとしても、もう円は驚かない。

「ホント、お母さんとあの男が一緒にいると、ろくなことがない」

「だってぇ、陸君たら『せっかくのクリスマス、やっぱり父さんと二人きりになりたいですよね?』なんて言うんだもの」

 年がいもなくしなを作って可愛い子ぶる母に、円は頬を引きつらせた。

 利害が一致したからといって、そんなにも簡単に娘を売るものではない。

「それに、こんなにも娘を思ってくれてるなら、何か協力したくなるじゃない?」

 陸はたとえ家族の前であっても、円に対する好意を隠そうとしない。

 両親を混乱させるかもという懸念は、彼らの見守り態勢を見ていれば無駄な心配だったと分かる。

「こんな堂々と義理の姉弟の恋を応援する親とか、絶対おかしいと思うんだけど」

 母の反対を押し切って、ダウンに袖を通しながら愚痴をこぼす。

 祐希奈はおかしそうにクスクスと笑い、エプロン姿でキッチンに立つ父を振り返った。

「そうかしら? やっぱり血は争えないのねぇ、としか感じないけど。だって私も、一目見た瞬間から英一郎さんが気になったもの」

「僕の方こそ、祐希奈さんに運命を感じたんだよ」

 英一郎が、話の流れなどお構いなしに祐希奈への全肯定を返す。愛情深い彼は、母の問題ある行動さえ受け入れてしまう。

 陸は藍原家の跡取りだ。

 そんな彼が、何も持たない円を選んでいいと本当に思っているのか。突飛な母の言動に付き合っているだけなのか。

 義父に面と向かって確認したことはなかった。

「あなたと二人きりになりたいあまり、娘達に買い物を押し付けて……私って駄目な母親かしら」

「子ども達を優しく見守ることのできる祐希奈さんは、最高の女性だよ」

「英一郎さん……」

「祐希奈さん」

「はいはい。じゃあ行ってきます」

 平常運転でいちゃつきだす両親を放って、円は玄関に向かった。

 円とて、買い物に行くことを面倒だと思っているわけではない。今日のために時間を開けてくれた両親を、二人きりにしてあげたい気持ちだってある。

 編み上げのくるぶし丈のブーツを履き終えて、ドアを開ける。そこには、既に義弟が待っていた。

「行こうか、円さん」

 ただそこにいるだけで際立ってしまうのが、藍原陸という男だ。今も、偶然そこに居合わせた近所の住人達が、時を忘れたように彼に釘付けだった。

 陸がふわりと優しく微笑む。

 どうしても釈然としないのは、何だかんだで全て彼の思い通りになっているということだった。

「あんたって、昔からいけ好かない男よね」

「そうかな。僕は昔から円さんを愛しているけど。円さん、今日も誰より可愛いね」

 照れるな。はにかむな。

 主婦の皆さまの視線を痛いほど感じ、円は陸を置いてさっさと歩き出す。

 ものともせずに追い付く彼の方は見ず、苦虫を潰したような顔で吐き出した。

「あんたホント、前世イタリア人か何かなの?」

「嫌だなぁ、知ってるくせに」

 ちらりと送られた目配せの意味は、分かる人には分かる。

 円達には、前世の記憶がある。

 他にも彼の幼馴染み達や、同じ高校に通う同級生。学園の頂点に君臨する生徒会の面々まで、同様に異世界を生きていた記憶を持っている。

 中でも前世の陸とは因縁が深く、そのためつい過剰な対応をしてしまう面もあった。

 円の中にはずっと罪悪感があったが、最近では憎まれ口しか叩かない自分に愛を囁き続ける陸の方が異常なのではと思い始めていた。

 今も、彼はさも愛おしいと言わんばかりに表情をとろけさせていた。

「僕とのデートのためにその服を選んでくれたんだと思うと、それだけで胸がいっぱいだよ」

「選んだっていうか、その辺にあった服を適当に着ただけなんだけど。それにデートじゃないって何回言えばこの誤解に終わりがくるの?」

 ただのニットとダウンジャケットは、既に何度も着ている普段着だ。

 陸も分かっているはずなのに、少し困ったように眉尻を下げた。

「ただ、可愛いすぎて心配ではあるかな? ねぇ円さん、お願いだから僕以外の男を魅了しないでね」

「魅了なんて、人類が日常会話で口にする単語じゃないわよ。それにあんたこそ、そこら中の女の子から見られてるけど」

 シルエットの綺麗なライトグレーのコートに、細身のパンツ。アイボリーのニットから覗くシャツはワインレッドで、彼の上品さを引き立てている。

 それでいて口元に浮かべる穏やかな笑みのおかげで気取らない雰囲気が漂い、ありとあらゆる年齢層から熱視線が送られていた。

「ホラ、彼氏と一緒にいる人まであんたのことじっと見てるじゃん」

「嬉しいな、嫉妬してくれてるの?」

「彼氏に同情してんのよ」

「他の男のことなんて考えないで。僕の方が嫉妬に狂いそうだ」

「どうしよう。会話が成立しない……」

 たかが買い物に行くだけなのに、なぜこんなにも疲れを感じているのか。ついでに女性達から注がれる嫉妬の視線も円を追い込んでいた。

「やっぱり一人で来ればよかった」

「僕という虫除けなしに外出なんかさせないよ? できることなら誰の目にも触れさせず閉じ込めておきたいところなのに、GPSで譲歩してるんだから」

「GPS!? そんな恐ろしいもの付けてるの!?」

 焦って全身を探ると、陸は極上の笑みを向けた。

「円さんてば、慌てちゃって可愛い。そんなの冗談に決まってるでしょ?」

 果たして、その言葉をどこまで信じていいのか。

 これまで彼が披露してきたヤンデレぶりが頭の中をよぎって、円は思わず遠い目になった。

 学校終わりは家に直帰しなければ、息継ぎなしの質問攻めにあった。

 外出の際は必ず目的地と帰宅時間を申告。もちろん五分でも遅れようものなら彼が迎えに来た。

 この調子だからか円の性格的な問題からか、編入してもうすぐ一年が経つというのに、未だに校内で友人と呼べる者は少ない。

 あまりに干渉がひどいので、最近では陸と外出するようになっていた。一緒に行動していれば彼も口うるさくならない。

 それすら彼の作戦の内なのかもしれないが、数々の束縛を煩わしく感じるのと同時に、どこか安堵している自分もいた。

 誰にも必要とされなかった、一人ぼっちの前世。

 歪んだ愛情と分かっているけれど、あの頃に比べてどれだけ救われているかしれない。

 ーーそんなこと、口が裂けても言えないけど。

 円が長いこと黙り込んでいると、陸は途端に情けない顔になった。

「さっきのは本当に冗談だからね、円さん。ごめんね、怒ってる?」

 必死に許しを請う姿は小犬のようにさえ見える。それを可愛いと思ってしまっているのだから、円も大概だった。

「……別に。そもそもGPSなんて、全然本気にしてなかったし」

 けれど今日も素直になれず、円は赤くなる頬を見られないよう足を速めた。


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