第23話 ルイス

「……どういうこと?」

 呆然と聞き返したのは、円だった。

 正直、今でも混乱している。

 最後まで、ラティカの手を離そうとしなかったルイス。

 彼は敵であろうと救うという、己の信念に従い行動した。その結果道連れのような死に方になってしまったのは、不運以外の何者でもないはずだ。

 それを、自殺?

 どうにも聞き間違えにしか思えなかった。

 それなのに陸はあっさりと続ける。前世の自分になど、何の執着もなさそうに。

「単にルイスは、ラティカのあとを追っただけなんだよ。あなたがいない現実になんて、価値が見出だせなかった。僕はただ、あなたが生きる世界を守っていただけなんだから」

 品行方正、清廉潔白。正義の塊のようだった男から飛び出すとは到底思えない言葉の羅列に、頭が追い付かない。

 陸が、笑う。今までただ柔らかく穏やかだと思っていた笑顔なのに、なぜか恐くなる。

「……僕を『ルイス』と呼んでくれた人が、一体どれだけいたと思う?」

 消え入りそうな声音が、夏のじっとりした暑さに冷たい水滴を落とした。

「勇者として正しい姿で、必死に生きていただけだ。その内誰もが、『ルイス』じゃなく『勇者』という人格で扱い始めた。いらなかった。必要とされなかった。――勇者でない僕なんて」

 好きだ愛してると迫り続けたマーガレットでさえ、『正義の味方』である彼を愛した。

 勇者という、永遠に終わらない孤独。

 円は、彼の両頬を挟み込むようにそっと包んだ。肥大した虚無を抱える瞳は何も映していない。

 暗い色は、前世の『ラティカ』の瞳とそっくりそのままで。

 ようやく気付いた。『ラティカ』と『ルイス』は、よく似ていたのだ。

 虚ろだった瞳が、やっと円を視界に映す。

 途端、彼の目には光が宿り、安堵が顔中に刻まれていく。

 円の両手を、陸の手がゆっくりと握った。彷徨い続けた末に見つけた光を、大切に慈しむように。

「……あなただけだった。確かに、何かと突っかかられて、最初の内は困るばかりだったけど――――嬉しかったんだ」

 特別な存在だと勝手に崇められ、かつての友人達にさえ壁を作られる。

 住む世界が違うのだと身を引かれるのは、拒絶と何も変わらなかった。

『ルイス』という個が掻き消されていく中で、『勇者』なんてくだらないと唾棄したのは、あとにも先にもラティカだけ。

「あなたは『勇者』じゃなく、『ルイス』を倒すために挑んできた。何度も何度も。おかげで僕は、僕を忘れないでいられた。あなただけだったから。『勇者』でない僕を見てくれたのは」

 陸の手の力が、ぐっと強まった。

 瞳の熱量もやけに増していて、これは家族の距離感だろうかと不意に疑問がよぎる。

「だから今世こそは、あなたを守り抜くと誓ったんだ。本当は円さんが、ホームで何者かに突き飛ばされたのも気付いてた。ずっと注意していたにもかかわらず手出しされるとは、痛恨の極みだったよ。それからはさらに警戒を強めて、いつでも円さんを助けられるように気を付けてたけど、球技大会という隙を衝かれてまたいいようにされて」

「……ん?」

 円はようやく、何かおかしいと気付いた。

「待って。あの日あんた、体調が悪くて生徒会の仕事を早めに切り上げた、とか言ってなかった?」

 確かにホームから転落しかけたあの日、陸が駆け付けるにはタイミングがよすぎると思ていた。それこそ、彼が犯人なのではと疑うくらいには。

「その直前に円さん、講堂裏で女子に絡まれてたでしょう? 無事家に帰るまで心配だったから、見守ってたんだ」

「あれも見てたってわけ!? あんたそれ立派なストーカーよ!?」

「危険から守りたかっただけだよ」

「その考え方がストーカーなんだって! 自分を客観視できてない一番危険なやつ!」

 まさか、尾けられていたとは予想外だ。

 慣れない大声を出したために、円は肩を上下させた。どれだけ叫んだところで、衝撃が冷めやらない。

 ずっと、復讐される可能性を考えていた。

 なのに彼の執着は、想像していたものとは真逆の感情のように思える。

「……あのさ。私、あんたが大嫌いだって、何度も言ったわよね?」

 怖々窺うと、陸の瞳はトロリと細まった。

「嫌いと言いながら、真っ正面からぶつかってくるあなたが、堪らなく愛しかった。レーザーみたいな眼差しの威力も」

 嫌悪にまみれた瞳で睨み付けるくせに、『ラティカ』は決して逃げなかった。

「深紅の瞳に映るたび、震えるほどの歓喜を覚えたものだよ。いつも『緋色の魔女』のことばかり優先していたあなたも、その時だけは僕のもの」

 恍惚と語る義弟に、円はほとんど逃げ腰だった。嫌いと言い続けた相手に好きと告げられた葉月の気持ちが、今とてもよく分かる。

 ふと我に返り周囲を見回すと、彼女は円以上にドン引きしていた。

 何というか、もう途方もなく距離を置かれている。そのままサッと目を逸らされた。

「私は、勇者様を道連れにしておきながら、姉弟の立場に収まって優しくされてるあんたが許せなかった。勇者様の懐の深さにつけ込んで、加害者なのに愛されて。けど……」

 葉月は出入り口に手をかける。

「考えを改めるわ。まぁ、お幸せに」

 あっさり逃げられ、円はポカンとしてしまった。あっという間に陸と二人きりだ。

 情熱的に愛を告げられた直後だというのに、ドキドキと言うよりヒヤリと感じるのはなぜだろう。

「……僕の未練を、あなたは聞いたよね」

 陸が静かに呟く。

「僕は、あなたに会いたかった。あなたにもう一度出会って、あなたが微笑む姿を見たい。あなたを傷付けるものがあれば全力で守るし、あなたの頬を涙が濡らすなら僕が拭ってあげたい。あなたの側で共に生きたい。――あなたの全てでありたいんだ」

 あなたと連呼されすぎて、ゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。

 呪文のようで頭がクラクラする。

 陸の手が自然な動作で背中へと回り、すっぽりと包み込まれる。

 危険だと頭では理解しているのに、なぜか拒絶する気が湧かなかった。

 むしろ温かく、信じられないほど優しい。不思議と体から力が抜けていく。

 円はせめてもと、憎まれ口を叩いた。

「……信じらんない。前世の天敵相手に」

「僕は、そもそも天敵だなんて思ってなかったよ。僕の心を動かせるのは、前世と今世を合わせたって、あなた一人だけだ」

 陸のくぐもった声が、直接体に響く。

 髪の毛をくすぐる穏やかで低い声。

 出会った頃は華奢で幼かったのに、いつの間に彼はこれほど男らしくなっていたのだろう。相変わらず容貌だけは繊細だから、変化に気付かなかった。

 頬が勝手に熱くなる。

 これほど強く求められた経験は前世でもなく、戸惑いが隠せなかった。

「あ、あんたは、私のせいで死んだのよ」

「あれは、さっきも言った通り、僕としては自殺と変わらないものだったよ」

「『ラティカ』が、どれほどの悪事に手を染めてきたと思ってるのよ」

「……神様は、生まれ変わってもあなたの悪事を許すなと言うのかな」

 陸が少しだけ顔を離す。

 吸い込まれそうに綺麗な瞳が、円だけを映していた。灰色がかった明るい茶色の瞳。

「前世の罪は、今世で償うものじゃない。あなたは、『藍原円』なんだから」

 彼の指先が、頬を緩く撫でた。

 あやすような手付きが心地よく、円は瞳を細める。その時だった。

「――ラティカ、その男から離れなさい!」

「はいぃ!」

 無茶ぶりに近い命令に、ほとんど条件反射で体が動いていた。小動物のように素早く陸から距離を取る。

 そんな自分自身の反応に、一番驚いているのは円だ。

 懐かしく、物凄く覚えのある感覚。

「……い、今の、会長が?」

 葉月と入れ替わるように屋上へ上がってきたのは、颯哉だった。彼も陸に協力して、円を捜していたのだろうか。

「私の可愛い子を洗脳しないでくれる?」

「会長? 私って……」

 怪訝そうに眉を寄せる陸から離れ、円はフラフラと歩き出していた。

 颯哉の瞳が優しく細まる。

「――おいで。私の可愛い娘」

 頭は真っ白で何も考えられないまま、ただ本能的に駆け出した。

「ミラロスカッ……!」

 弾丸のように飛び込む円を、颯哉は小揺るぎもせず受け止める。

 彼の温もりに包まれて気が付いた。

 ほんのりと鼻先を掠める、落ち着いた花と石鹸の香り。澄んだ月のように凄烈な気配。

 用具室にいた円を見つけ出してくれたのは、この人だ。

「フフ。いつまで経っても甘えん坊さんね、ラティカ。いいえ、円」

 養い親の懐かしい言葉、馴染んだ気配。

 そのわりに声だけは低く、どうしても違和感が拭えない。何と言っても涼やかな颯哉の美貌でおねぇ口調なのだ。

 円は彼の胸から顔を上げた。

「ミラロスカ? 本当に、本当にミラロスカなのよね?」

「はいはぁい。円ちゃんの大好きなミラロスカ母さんですよ~」

「その顔で茶化さないでよっ。てゆーか、何でミラロスカだけこんな別人に……」

 何人か転生者を知っているが、色彩が異なるだけで誰もが一目でそれと分かる容貌をしていた。なぜミラロスカは、性別すら変わっているのか?

 ミラロスカは――颯哉はむずがる子どもを宥めるように微笑んだ。

「うーん、それが別人じゃなかったりするのよねぇ。あなたにはずっと隠してたけど、実はこっちが私の本来の姿なのよ」

「……え?」

 円は、言われた意味が分からなかった。

「だって……『緋色の魔女』でしょう?」

 魅惑的な肢体に妖艶な美貌。鮮やかな青の髪は、魔力を放つと燃えるような真紅に変化する。それが、『ラティカ』の知る『緋色の魔女』だった。

 颯哉が口角を魅力的に吊り上げた。そうすると、確かにミラロスカの姿に重なる。

「そりゃ百年以上も女の姿でいたら、人間達に魔女と思われても仕方ないわよねぇ。私自身、昔の『残虐伯爵』だなんてダサい呼び方は嫌だったから、あえて否定しなかったし」

 それまで静かに成り行きを見守っていた陸が、初めて口を挟んだ。

「……『残虐伯爵』って、悠久の時を生きると言われていた、伝説の吸血鬼の二つ名だったはずだよ」

「た、確かにミラロスカは、幻術魔法が得意な吸血鬼だったけど……」

 彼女は、美男子を誘惑しては血を吸っていたが、教育に悪いからとラティカには見せないようにしていた。相手が干からびないように気を配ってもいた。

 そのために円には、ミラロスカが吸血鬼だという認識が薄い。

 その上さらに、男だったと?

「さすが勇者だけあって詳しいわね。まぁ、驚かせちゃったけどそういうことよ。ミラロスカは、正真正銘オ・ト・コ。魔族には『変体』なんて、簡単なことなのよ~う」

 しなを作って笑う颯哉に、体が勝手に戦慄いた。ミラロスカが男。

「変体……変態……」

「あら? 今違う意味で言わなかった?」

「だって! い、一緒にお風呂とか……!」

 円の頬は、羞恥でみるみる真っ赤になった。女同士だと油断していた当時の、恥ずかしい思い出が次々に蘇る。

「し、信じらんない! 初めに言っておいてくれれば、私だって……!」

「安心して。心は女の子だもん」

「今さらそんなとんでもないカミングアウトされて、安心できると思う!?」

 力一杯の怒声はヒラリとかわされてしまう。だが逃げを許さない男が、たまたまこの場には居合わせていた。

「――――一緒にお風呂、だと……?」

 表情を失った陸が、地を這うような声で呟く。先ほど綺麗だと思ったばかりの瞳は、今やすっかり濁りきっていた。

「り、陸?」

「悪いわね、円! 私もう行くわ!」

 颯哉の判断は素早く、すぐに身を翻した。

 陸が、狩りを行う獣のようにそれを追う。

 二人が巻き起こす風が、一瞬後に円の髪をフワリと揺らした。

 その日の放課後。

 全速力で駆ける生徒会長と、それを据わりきった目で追いかける生徒会庶務の疾走劇が、校舎を舞台に繰り広げられたという。

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