第22話 動機

 勇者一行には、一人だけ女性がいた。

 彼女はさる国の第一王女という身分にありながら、桁外れの魔力を保有する魔術師でもあった。

 目映い金髪と甘やかな蜜色の瞳のため、『光の魔術師』、または『陽光の王女』と呼ばれ、広く親しまれていた。

 容姿に身分、能力にも恵まれた王女。それが、マーガレットだった。

 彼女を彩っていた黄金こそまとっていないけれど、分厚い眼鏡と野暮ったい前髪の向こうに隠された葉月の美貌は、王女のものと寸分違わなかった。

「あら。これにも驚かないのね?」

 高慢そうな瞳が、嘲るように細められる。

 マーガレットは昔からラティカを目の敵にしていたため、悪意をぶつけられても冷静でいられる。

「十分驚いてるわ。ただ、あの時『虚』が出現した場所に、私を殺したいほど憎んでる人がいるなら……それはマーガレット、あなたじゃないかと思ってたから」

 転生に法則があるとしたら、今のところ一緒に『虚』に呑み込まれたということだけ。

 あの中で、道連れになった勇者ルイス以外に、ラティカを強く憎む者――。

 それは、ルイスを一途に愛していたマーガレットしかあり得なかった。

「よく考えれば簡単なことだった。ホームに突き飛ばしたり、連絡手段なしで閉じ込めたり。一歩間違えれば大事故になりそうなことを、たかが嫉妬でするわけがなかったのよ。もし実行すればただの単細胞だし、そんな人この学園にはほとんどいないわ。リスクが高すぎるもの」

 些細な嫌がらせと、命に関わる攻撃。

 両者は、分けて考えるべきだったのだ。

 下駄箱のごみや正面きって嫌みを言われる程度なら、放置しても問題なかった。

 けれど彼女の犯行の根底にあるのは――明確な殺意。

 葉月は腕を組んで冷笑を浮かべた。

「フフ、残念だわ。友人に裏切られて傷付く姿を見たかったのに」

 今回用具室に閉じ込められた時、生徒会役員を真っ先に疑ってしまった。

 たがむしろ留意すべきは、スマートフォンを所持していないことを犯人が知っていた点にあったのだ。

 連絡手段さえあれば、そもそも嫌がらせとして成立しなかったのだから。

 犯人なんて一番側にいるクラスメイトしか思い浮かばなかった。

「聞いていい? 何で、素顔を隠してるの? 今でもルイスが好きなら、堂々と言い寄ればいいのに」

 葉月は今も、ストーカーまがいな行為をしながら陸を追いかけ続けている。

 生まれ変わっても想いがあるなら、告白するなり近付く手段はいくらでもあるのに。

 性格はともかく、彼女の顔は一級品だ。

 前世では魔王討伐に明け暮れていた陸だって、平和な今世なら恋愛の一つや二つ、楽しむ気にもなっただろうに。

 葉月は荒んだ顔で笑った。

「『虚』に落ちた者が生まれ変わってるって気付いたからよ。勇者様やシリウス様、メイズ様だけじゃない。『黒龍』も『金獅子』も、『緋色の魔女』もきっと転生してる。そして……あんたにも必ず会えると思った」

 憎悪に満ちた視線を向けられたが、彼女の睨みには慣れている。

 円にはむしろ、『黒龍』や『金獅子』、それに養い親までもが『虚』に落ちてしまっていたことの衝撃の方が強かった。

「ミラロスカが? そんな……」

 すると、突然空気を切り裂くように重いこぶしが飛んできた。

 唸るような音で迫る攻撃を、ギリギリのところで何とかかわす。頬を撫でる拳圧に、まともに受ければ顔が変形するだけでは済まないだろうとゾッとした。

 おそらく、頬骨が粉砕する。

「あんたって、本当に何なの!? 私のことなんか眼中にもないわけ!?」

 息をつく暇もなく第二波が襲いかかる。

 上段の蹴りを紙一重でかわし、腹を狙って放たれた肘鉄を、後退することで回避する。さらに回し蹴りからの正拳突き。

 型の美しさや拳筋の鋭さは、明らかに素人のものではない。

 前世ではそれなりに荒事を経験している円だが、今世では平和に生きてきた。正直、かわし続けるだけでも辛い。

「ちょっ、もしかして格闘技習ってる?」

「こっちに来てから空手と合気道、剣道も始めたわ! 全ては、あんたに復讐するためよ! それにやっぱり強くないと、陸君に相応しくないしね!」

 少しでも気を逸らそうと会話を試みるも、葉月は攻撃の手を緩めない。

 というか正直、いかにもなオタク少女の出で立ちでここまで強いと、ギャップ萌えとか呼べるレベルじゃない。

 優しい陸にも荷が重いのではないか。

 葉月のように鍛えていないので、さすがに息が上がってきた。

 明らかに首を狙った手刀を避けきれず、右腕で何とかいなす。

「くっ、」

 もろに衝撃を受けた腕がビリビリと痺れた。思わず舌打ちがこぼれる。

「ならこんな、陰湿なことやめて、真っ向からボコボコにすれば、よかったじゃないっ」

「それこそ陸君に嫌われるでしょ!?」

 体勢を崩したところで、葉月が追い討ちの一撃を放つ。今度こそ避けきれない――。

 奥歯を食い縛り衝撃に備えるも、なかなか痛みがやって来ない。

 恐る恐る目を開くと、広い背中が視界を埋め尽くしていた。

 誰かの危機には必ず駆け付ける彼を、前世では都合がよすぎると思っていた。見返りがなくても当然のように手を差し伸べる姿を、偽善だと嘲っていた。

「陸……」

 なのに、なぜだろう。

 こうして救われると、泣きそうになる。

 それは、天敵同士だった前世でさえ、確かに抱いていた感情で。

「――よく、分かってるじゃないか」

 陸が、思いがけずも冷たい声を発する。

 こぶしを力任せに押し返されていた葉月が、急激に顔色を失っている。

 想い人に暴力沙汰を見られたためだろうと思ったが、どうやら違う。必死で下げようとしているこぶしを、痛いほど強く握られているためだ。

 それでも葉月は、陸をキッと睨み上げた。

「勇者様! あなたはこの女が憎くないのですか!? あなたほどのお方なら、『虚』から逃れることも可能だったはずです! この女さえ助けようとしなければ……!」

「あなたは、マーガレット姫だったのか。円さんのクラスメイトの、一ノ瀬葉月さん」

 陸は一体、どれほど力を込めているのか。彼女の額には脂汗さえにじんでいる。

「ちょっと陸、落ち着きなさいよ!」

 彼が女子どもに暴力を振るうなんて信じられず、思わず円が割って入ってしまった。

「大体、あんた何でここが分かったの?」

 正面に回って見上げると、彼はようやく右腕から力を抜いた。

 瞳に、いつもの穏やかな光が戻ってくる。

「授業が終わってすぐ、昇降口であなたを待ってたんだ。なかなか現れないから、おかしいと思って教室に向かった。あなたは真っ先に教室を出て行ったと、大雅から聞いた。嫌な予感がしたから、あとはとにかく校内中を探し回ったんだ」

「あんた……何もそこまでしなくても」

 駆け付けてくれたことは十分ありがたいが、少し過保護すぎるような。

 何なら、最初の昇降口での待ち伏せから常軌を逸しているように思える。

 だが彼は、もどかしげに首を振った。

「するよ。するに決まってる。言ったでしょう? 円さんは僕にとって大切な人だって」

「……陸」

 彼は前世の因縁に関わらず、無条件に家族と受け入れてくれている。胸が熱くなった。

「ありがとう。……でも、今は何も言わずに見てて。私は、話し合いで解決するために来たんだから」

 陸から離れ、葉月と真っ直ぐ向き合う。

 彼女はこぶしを庇いながらも、未だ憎悪に燃える目で円を睨んでいた。

「何よ。私は絶対、謝らないわよ」

 背後の義弟の威圧が一気に膨らんだが、円は振り返らなかった。彼を宥めていては話が進まない。

「謝ってほしいなんて思ってないわ。用具室に閉じ込められたことはムカつくけど、いいの。でも――さすがにホームから突き落とすのはやり過ぎよ。もし本当に落ちてたら、どれだけの人に迷惑がかかったと思ってる?」

「……は?」

「私一人のために電車のダイヤが乱れて、何千何万の足に影響するところだった。あなた、その責任がどれだけのものだと思う?」

 動かなくなってしまった葉月に延々説教を垂れていると、再び陸からの横槍が入った。

「えっと、ちょっといいかな円さん。……その、自分が死ぬかもしれなかったんだよ? そこに関しては怒ってないの?」

 義弟の疑問を、円は歯牙にもかけない。

 彼と同様の理由で葉月が硬直していることにも気付かず、当然とばかり肩をすくめた。

「迷惑だけど、恨まれたって仕方ないもの。私は私の生き方を曲げられない。なら葉月さんにだけ変わってもらおうなんて、むしのいいこと言えないわ」

 好きな相手が目の前で死んだのだ。

 その原因となったラティカを恨むななんて、口が裂けても言えない。

 ましてその当時のことを、円自身に謝るつもりがないのだから。

「嫌いなものは嫌い。それでいいじゃない。周りに迷惑がかからない嫌がらせくらいなら受けて立つわ。痛くも痒くもないし、それくらいで私はあなたを嫌えない」

 未だ信じられないものを見るような目付きでいる友人に、円は笑いかけた。

「クラスで話しかけてくれる女子なんて、あなたくらいだったもの」

 言い放った途端、彼女はガックリと脱力した。なぜか陸まで。

「馬鹿じゃないの……あなたって、本当に前世から理解できないタイプ」

「私も、あなた以外に仲良くしてくれる友達がいれば、そうやって嫌えたのかもしれないけどね。実際前世では、自分と正反対のあなたが嫌いだったし」

 一国の王女という身分も、才能も。

 ラティカと違い人に好かれる容姿も、全てが羨ましかった。

 今の取り繕っていない彼女は、王女の時と同じくきつい性格だ。容姿も色彩以外は変わっていない。

 けれど不思議と嫉妬が湧かないのは、出会い方が異なっているからだろうか。

 それとも、今世では周囲の優しさや愛情に恵まれて育ったから?

「うーん、でもやっぱり無理かしら。もう、あなたを好きって認識しちゃってるもの」

 葉月が苛立たしげに再び噛み付いた。

「ほんっとうに大馬鹿! 私は、勇者様を道連れにしたあんたが嫌いなんだってば!」

「……逆恨みにもほどがあるな」

 罵声を遮るように、陸が体を割り入れた。再び憤りのにじむ声に戻っている。

 円は落ち着かせる意味も込めて、彼の肩を叩いた。

「逆恨みではないでしょ。ルイスが私を助けようとして死んだのは、事実だもの」

 前世の彼の死を謝るつもりはないけれど、責任を逃れるつもりもない。

 ぶつけられる憎しみを淡々と受け入れる円に、なぜか陸の方が悔しそうに顔を歪めた。

「逆恨みなんだよ。だって、『ルイス』の死因は――――言うなれば、自殺だ」

「………………はぁ?」

 円と葉月の訝しげな声が、間抜けなほどピタリと重なった。

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