第15話 卓球

 第三体育館は生徒会長である颯哉の人気を受け、超満員だった。

 ――は、入りたくない……。

 外にいても伝わってくる熱気に、引き返したくなってしまうのは円だけではあるまい。

 けれど、もうすぐ試合開始の時間になる。前の試合が予定より早く終わっていたら、もう円の到着待ちかもしれない。

 団体行動は苦手だが、他人に迷惑をかけるのは不本意だ。円は意を決して体育館に足を踏み入れた。

 特に白熱することもなく消化されていく試合。ソフトバレーの会場と異なり、応援席以外は落ち着いた雰囲気だった。

 円は安堵して指定されたコートに向かう。

 第一部の対戦はいよいよ佳境といったところで、両者の実力は拮抗しているようだった。点差もほとんど開いていないというのに、本人達はあくまで緩いノリだ。

 球技大会への意気込みに相通じるものを感じ、卓球を選んでよかったと心から思った。

 流れる景色のようにぼんやり眺めていると、円の肩を叩く手があった。

「次、よろしくね」

 振り向かなくても、艶やかな声で誰なのか分かる。ついでに、観覧席からの悲鳴じみた絶叫でも。

「会長……」

 二年A組と当たると知って、嫌な予感はしていた。それでも颯哉がダブルスを組んでいるとか色々な可能性を期待していたのだが、不幸は重なるものらしい。

 円はぎこちなく振り返り、間近にある美形の笑顔を直視する。

「あの、こちらこそよろしくと言いたいところですが、あまり近付かないでいただけると助かります」

 周囲の視線が痛い。自分がどれだけ注目されているか分かっているはずなのに、笑顔を振り撒いたりして。

 素知らぬふりをしているが、もしかしたら確信犯なのではと思えてくる。

 距離を取ると、颯哉は楽しそうに笑った。

「あなたは相変わらずだね。本音を包み隠すのは、日本人の美徳だと思ってた」

「包み隠してほしいなら、そちらがまず実践してみるべきでは?」

「僕は隠しているつもりだけど」

「ではお互い様ですね」

 無理やり会話を両断すると、彼はますますおかしそうに笑った。

 どこからともなくシャッター音が聞こえてくるが、颯哉が気に留めていないので円も知らないふりをする。

 ――会長と対戦とか、拷問だ……。

 果たして円は、体育館から無事生還できるだろうか。近い将来降りかかる災難を考えると、乾いた笑みしか出てこない。

「せめて、他の誰かならよかったのに。何でよりにもよって会長……」

「実は子どもの頃から、卓球は得意な方でね。意外だった?」

 颯哉は失礼な物言いなどものともしない。

 どうせどんなスポーツだって得意なんだろうと考えながら、円は素直に頷いた。

「そうですね。どちらかと言うと、弓道とか剣道の方がイメージに合います」

「球技大会という定義をまるっと無視した解答だね。しかもそれは僕が和顔って皮肉?」

「会長が和顔なら、私なんかのっぺらぼうでも厚かましいですよ」

 フォーマルが似合いそうな顔でジャージまで似合うとか、彼に欠点はないのだろうか。

 凛とした美貌に筋肉質で引き締まった体躯というのも、思っていたより違和感がない。

 ――たった一年でもこんなに違うんだな。

 高校一年生の義弟と比べて、体がほとんど完成している。

 素直に感心していた円だったが、ハッと我に返った。警戒していたはずなのに、なぜか会話が成立している。

 しかも、かなりの気安さで。

 軽快なやり取りに、また懐かしい感覚が呼び起こされる。

 名状しがたい気持ちに首を傾げていると、合図の笛が鳴った。どうやらいつの間にか、第一部の試合が終了していたらしい。

「お手柔らかにね」

「それもこっちの台詞です」

 互いに言葉を交わし、対戦が始まった。

 卓球とは、素人同士ならば男女の力量差がほとんどないスポーツ。……のはずだった。

 開始から二分。現在の得点は六対0。

 想像通り、彼との実力差は圧倒的だった。

 まず、サーブが鋭すぎて返せない。

 辛うじて拾うことに成功しても、ピンポン玉の軌道は右や左に激しく曲がり、卓球台を飛び出してしまう。

「何これ……」

「スライス気味の回転をかけてるから」

 笑顔での説明に嫌みを感じるのは、円がひねくれているからだろうか。

 応援席はうっとりしているようだし、実際そうなのだろう。

 颯哉の情けで奇跡的にラリーが繋がっても、円に届く手前で急に落ちたり浮いたりして、捕球さえままならない。

「……ちょっと。地味に無回転ボールとか、やめてもらえますか」

 十一対0で一セット目を取られ、コートチェンジをする。

 その僅かばかりの休憩時間になったところで、円は半眼になってぼやいた。

「へぇ、これが無回転ボールだって、よく気が付いたね」

「ピンポン玉のロゴの位置が、全く変わってませんから」

「動体視力がいいね、スポーツ向きだよ」

「余裕で勝ってる人に言われても信憑性がありませんからね?」

 勝負の結果はすぐに着いた。

 円は結局三セット先取される間、一点たりとも取ることなく終わった。卓球は完封してはならないという、暗黙の了解を知らないのだろうか。

 ここまで大人げなく本気を出されるとは思わなかったが、相手は大人じゃないのだからと諦める。むしろ前世の記憶がある分、円の方が大人になるべきだろう。

「ありがとうございました」

 ゲームセットになってさっさとその場を離れようとする円に、颯哉が声をかけた。

「そんなに悔しそうでもないね」

「早めに負けた方が、あとが楽ですから」

「ふぅん。本当に楽ができたらいいね?」

 彼の意味深な笑顔に嫌な予感を覚え、円は思わず足を止めた。

「含みのある言い方はやめてもらえませんか。もうそういうフラグにはうんざりです」

 大雅の発言も大概だったが、颯哉の場合どこか予言めいて聞こえるから質が悪い。

 何か見えざる力で、運命さえねじ曲げてしまいそうだ。

 颯哉は肩をすくめると、用は済んだとばかり去っていく。

 取り残された側の後味の悪さを、少しも考慮していない態度だ。

 円は肩で息をつくと、自らも歩き出した。



 やって来たのは広いグラウンド。キックベースの会場だった。

 役員が二人出場するとあって、こちらも観覧席はいっぱいになっている。

 かんなとの約束を果たすために来たのだが、さて、座る場所を確保できるか。

 空席を探してキョロキョロしていると、見知らぬ女生徒が近付いてきた。

「あなたが藍原円さん?」

「そう、ですけど」

 相手からは敵意を感じないが、好意もまた感じられない。一体何者かと真意を窺っていると、彼女は無言で引き返していく。

 展開について行けずに戸惑う円を、立ち止まり顔だけで振り返った。

「私は、かんな様からの指示を受けています。どうぞこちらへ」

『様』という敬称に若干挙動不審になったけれど、かんなの名を信用してあとを追った。

「あの、あなたは?」

「私はかんな様の親衛隊の隊長を勤めております、白瀬と申します」

「親衛隊……」

 人生十六年、日常に『親衛隊』という言葉が出てきたのは初めてだ。円は絶句したが、何とか足を止めずに済んだ。

 案内されたのはひと気のない更衣室で、無言で中へと促される。

 恐る恐る踏み込んでみると、籠に衣服が一式用意されていた。おそらくこれに着替えろということなのだろう。

 慎重に検分してみても不審な点はなかったので、袖を通してみる。

 だぼだぼのユニフォームは、サッカー部のものだろう。それに、栗色の緩いウェーブがかかったウィッグと黒縁眼鏡。どう考えても変装だった。

 着替え終わって更衣室を出ると、一通り確認した白瀬と名乗る女生徒が再び先導を始める。素直に従っていると、なぜか二年A組側のベンチに誘導された。

 待ち構えていたかんなと志郎と目が合う。

「あの、これはどういうことなのか……」

「円。そういう格好もいいね」

「いやそれ説明になってないから」

 詳しく聞くと、変装自体は理にかなったものだった。 

「陰湿なことをされてるって志郎から聞いたよ。でも変装してれば誰か分からないし、ベンチまでは手出しできないでしょう?」

「気遣いはありがたいけど、A組じゃない人がベンチにいるわけには……」

「大丈夫。これくらいのことで、誰も文句言ったりしないよ」

 実際、ベンチの人間で円を気にする者は一人もいない。志郎も問題ないとばかりに頷くので、お言葉に甘えることにした。

 確かに空いている席を見付けるのは難しそうだったし、ファンの群れに飛び込むのも恐ろしいと思っていた。

 一応の納得を見せてベンチに腰を下ろす円の耳元で、かんなが素早く囁いた。

「似合ってる。すごく可愛いよ」

 目を丸くして見返すと、間近にある端整な顔が、いたずらを成功させた子どものような笑みを浮かべていた。

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