第16話 キックベース観戦

 美形補正か何なのか、かんなと志郎も素晴らしい運動神経を兼ね備えていた。

 相手チームに先ほどの自分を重ね合わせ、やるせない気持ちになってしまうほどだ。

 三回までに十点以上の点差があったらコールドゲームになるらしいが、もしかしたらそのルールが適用されるかもしれない。

 相手チームもそこまで本気ではないだろうが、本気でなくとも地味に傷付くことを円は学習していた。

 彼らに慈悲はないのかと微妙な気持ちになりながら戦況を見守っていると、二年A組のベンチに近付いてくる人物がいた。

「お疲れ」

 ジャージを激しく着崩した大雅だった。

 ジッパーを全開にして派手な赤のTシャツを堂々とさらす姿は、彼らしいとも言える。

 生徒会役員が三人揃ったことで、観覧席の興奮は最高潮になっていた。遠く離れたベンチまでシャッター音が届く。

 轟く奇声に動じることなく、かんなが白い歯を見せながら笑う。

「大雅、お疲れ」

「おう、試合はどんな感じだ?」

「結構展開早いし、あと三十分もしないでゲームセットだと思う。そしたら次の試合まで、結構時間が空きそうかな」

 かんなはスコアボードを眺めつつ答える。

「俺と陸も次の試合終わりで、一旦体が空くんだ。せっかくだし、生徒会室で落ち着いて食おうぜ」

「大雅、今日お弁当なの?」

「一日中騒がれるって分かってんだ。学食なんかで飯食えるかよ」

 互いのスケジュールを確認したのは、昼食の時間を合わせるためだったらしい。

 志郎も賛成のようだし、役員同士は意外と仲がよさそうだ。

 試合を見ながらも会話に耳を傾けていると、目の前に人差し指が突き付けられた。

「って、さっきから気になってたんだが、こいつ何なんだよ?」

 一人だけサッカー部のユニフォームを着ている人間がいれば不審に思うのはもっともだが、不躾な指には腹が立つ。

 円が指を払いのけると、大雅は面食らって目を瞬かせた。

「いつも役員の責任がどうとか言ってるくせに、クラスメイトの顔も覚えてないの?」

「! お前……!」

 眼鏡を少しずらしてみせると、大雅の顔に驚愕が走った。

「先に言っとくけど、騒がないでね。そのための変装なんだから」

「いや、つーかそれ、俺のだから!」

「え? そうなの?」

 払った指が再び差したのは、ワイン色に鮮やかな青のラインが入ったユニフォーム。

 名前が記入されていないし、背番号で分かるほど大雅に興味もないため気付かなかった。今さらだが、ファンに背中を見られていたらとゾッとする。

「ごめんなさい、無断で着ちゃったわ」

 謝る円の隣で、かんなが首を振った。

「円が謝ることじゃないよ、勝手に持ち出したのは私だから。事後承諾でも許してくれそうなチョロい男なんて、大雅くらいしか思い当たらなくてさ」

 笑顔でさらりと失礼な評価を下すかんなに、大雅の怒りの矛先が変わった。

「はぁっ!? お前何を勝手に……」

「まぁぶっちゃけ、私が円に着せてみたかったんだよね。彼シャツならぬ彼ジャージ」

「俺はこいつの彼氏じゃねぇ! つーか欲望の赴くままに動くなよ!」

「でも、すごく似合うでしょ?」

 かんなが視線で示す先を、大雅ははたと見下ろした。自らのユニフォームに身を包む、円を。

 ウェーブがかかった栗色の髪が柔らかく胸元にかかり、いつものユニフォームの印象をガラリと変えている。

 黒縁眼鏡の向こうの瞳はどこまでも黒く、白目は青ざめているようでさえあった。

 サイズが合わないハーフパンツのせいか、やけに強調されて見える小さな膝小僧が裾からチラリと覗く。

 肘まで隠れてしまうユニフォームは体型が分からなくなるほどブカブカで、華奢な肢体を折れそうなほど頼りなく見せていた。

 大雅の頬が、じわじわと熱くなる。

 分かりやすい反応に、かんなは頬杖をついたまませせら笑った。

「ほらチョロい」

「チョ、チョロいって言うなー!!」

 大雅は全力で吠えたが、真っ赤な顔では少しも説得力がないことを自覚していた。

 当の円から非難の眼差しを受け慌てて口を塞いだが、それすら思い通りに操縦されているようで憤懣やるかたなかった。

 物凄く怒っていることだけは分かった円は、肩をすくめつつも再び謝罪した。

「だから悪かったって。そんなに怒らなくていいでしょ、あんたの私物って知らなかったのよ。安心して、ちゃんと洗って返すから」

「洗わない方が本人は嬉しいんじゃない? ねぇ大雅?」

「かんな! いいからテメーは黙ってろ!」

「あー、そういうこと」

 どうやら彼シャツだ何だと言って、純粋な大雅をからかって遊んでいるらしかった。

 円がどんな格好でいたって前世の悪行を知っている彼が興味をもつわけがないのに、幼稚すぎて呆れるしかない。

 ちなみに志郎はというと、我関せずといった様子で目を逸らしていた。

 ユニフォームを借りているという負い目もあって、円は哀れな純情少年に助け船を出すことにした。

「それにしても、役員って忙しいのね。お昼も遅くなるんだ」

 確か一斉に昼休憩に入ると聞いていたのだが、役員に限ってはそうもいかないらしい。

 話題を変えると、大雅はあからさまに安心した様子で乗ってきた。

「言っとくけど、お前も道連れだからな」

「へ?」

「さっき颯哉から聞いた。時間が押してるバスケの試合を、何とか昼休憩までに消化させたいらしい。一回戦敗退したお前には、昼休憩なしで試合の主審を任せるとよ」

「はぁ!?」

 思いがけない話に、円は目を丸くした。脳裏に颯哉の意味深な笑みが蘇る。

「ちょっと待ってよ! 私、バスケのルールなんかまともに知らないんだけど!?」

 大雅によると、バスケットボールの一回戦で怪我人が出たために、進行が予定より大幅に遅れているらしい。

 何とか修正するには、一試合だけ昼休憩内に行うしかないという。しかもその試合は、陸と大雅が出場するものだとか。

「副審と線審はバスケ部だっつーから、その辺はフォローされると思うぜ。それが終わればお前はいくらでも休めるんだから、何も問題ないだろ。ただの嫌がらせだ」

「問題だらけでしょ。恨みを買った覚えなんてないのに、何で私が嫌がらせされなきゃいけないのよ」

 面倒なことになったと円は頭痛を堪えた。

 ――こういうのって普通、その部活動をしてる生徒がやるもんじゃないの? バスケはバスケ部、キックベースは野球部とか。そうじゃなくてもこの二人の試合なら、審判やりたい女子がいくらでもいるでしょうに……。

 不満に思うも、薄々察しはついていた。

 審判をやりたがる女生徒は多いだろう。

 だが、役員を贔屓している生徒が審判を行えば、どうしても誤審の可能性が生まれる。

 なので実際には、適正がある男子生徒か、全く役員に興味を持たない者を指名するしかないのだろう。

 円は見事に選ばれたというわけだ。

 ――かんながいるから男子生徒にも油断はできないだろうしな。それに時々、熱視線で男の役員を見つめる男子もいるわけだし。

 とにかく全員揃ってあの美貌だ。男女関係なく惑わされるのも無理はない気がした。

 決まってしまったなら仕方がないとはいえ、円にとっては嫌すぎる任務だ。

 嫉妬から針のむしろに立たされることを思えば、ため息を止められない。

 どんより俯いていた円だったが、大きな手に頭を撫でられ顔を上げた。気遣わしげな眼差しの志郎と目が合った。

「……元気出せ」

 わしわしと少々荒っぽい手付きで撫でられたのは、これで二回目だ。髪を乱す強さが心地よく、円は自然に笑顔になってずれたウィッグを直した。

「あれ? もしかして大雅じゃなくて、そっちのルートだった?」

 一連のやり取りを眺めて不穏な発言をしたのは、かんなだった。

 不本意ながら、意味は理解できる。

 けれど乙女ゲームのヒロインなんて柄じゃない円は、顔をしかめて頭を抱えた。

「……かんなは私をどうしたいの」

 上流階級の人間が一体どこからそういった知識を得たのか興味はあるが、自分を観察対象に仕立てあげられるのはごめんだ。

 きつく睨むと、かんなは軽く謝罪した。

「ごめんごめん、逆ハーだったら面白いのになって、ほんの出来心で」

「それこそ生徒会の紅一点、佐屋月かんなの役割じゃない?」

 嫌味で返すと、かんなのほっそりした指先が顎に触れる。

 強引に向き合わされると、彼女の顔がひどく間近にあった。

「――私は円に攻略されたいのに?」

 妖艶としか表現できない微笑と共に、耳に軽く息を吹きかけられる。

 本人はちょっとした悪戯のつもりなのだろうが、艶かしく頬をなぞる指先といい、赤面せずにいられない。かんなのファンに睨まれたらどうするつもりなのか。

「あのね。冗談でもそういう態度を取られたら、変装しても無駄になると思わない? ますます会いづらくなるだけでしょ」

「うわぁ、それはまずいな。本当にごめん」

 半眼になって見据えると、彼女は焦った様子ですぐに距離を取る。

 安堵の息をつきながら、円はようやく冷静になれそうな気がした。

 人生において一度もドキドキしたことのない円を追い詰めるなんて、恐ろしい魔性だ。

 魔性、という言葉が、ふと心に引っ掛かった。そういえば、ラティカの養い親だった人は、魔王領にその名を轟かせる魔女だった。

 苦笑するかんなを見つめる。

 前世とほとんど変化のない者ばかりだったため、容姿は変わらないものと決め付けていたけれど。もしかしたら、別人のように様変わりしている者もいるのではないだろうか。

 頭を掠めた疑問をはっきりと掴もうとした時、グラウンドに高い笛の音が響いた。

「ゲームセット!」

「あ」

 観戦をするはずが、ほとんど何も見ない内に試合が終了してしまった。これでは雑談のために来たようなものだ。

 ため息をつき、大雅と志郎を見上げる。

 乙女ゲームの話題に全くついてこれなかったようで、彼らは未だに首を傾げていた。

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