第14話 大会当日
大会当日。円の心境とは裏腹に、空は気持ちよく晴れ渡っていた。
バスケットボールは第一体育館、ソフトバレーは第二体育館。
キックベースはグラウンドで、卓球は一番小さい第三体育館で行われる。
その会場全てには、なぜか観覧用の本格的な座席が設営されていた。
――たかが球技大会だっていうのに、何このお祭り騒ぎ……。
観覧席を飾るのは、キラキラしたモールで縁取られた応援看板。蛍光色がふんだんに使われており、かなり目に痛い。
もちろん書かれている名前は生徒会役員だ。写真入りのうちわを振っている者もいて、まるでコンサート会場のような盛り上がりぶりだった。
しかもそれらの装飾は、卓球会場である第三体育館にも設置されていて。
その看板全てに颯哉の名前が踊っている理由など、問わずとも分かる。彼の参加種目が卓球ということだ。
「なるほど、盲点だったわ……」
静かに卓球ができると安心していた円に、大雅がにやついていたのはこういうことだったらしい。
なぜ颯哉が卓球にと思ったが、かんなと志郎がキックベースに参加すると聞いてすぐに察した。
おそらく生徒会役員が綺麗にバラけることで、一極集中の混乱を避ける作戦なのだ。
わざわざ観覧席が用意されているのも、万が一の事故を防ぐためのものなのだろう。
そこまでしなければならない役員の人気に呆れるばかりだが、ファンが有志で行ったであろう本格的な飾り付けを見れば納得せざるを得ない。颯哉が開会の宣言をした時も、恐ろしい熱狂ぶりだった。
もうすぐどこの会場でも、第一回戦が始まる。面積的な問題から一度で消化しきれないため、円が卓球をするのは一回戦の第二部。
対戦相手は二年A組となっていたが、あまり深く考えないようにしている。自ら悪いフラグを引き寄せたくない。
とにかく、時間的にはまだ余裕がある。円は第三体育館に向かいのんびり歩いていた。
第二体育館の前を歩いていると、丁度笛の音が鳴った。二面あるコートの両方で、ソフトバレーの試合が始まる。
体育館の外まで轟く黄色い声援を受け、無意識に視線が吸い寄せられる。
そこには、今にもサーブを打とうとしている優心がいた。
体操着から伸びる腕には締まった筋肉がついており、バネのようにしなやかに動く。
前世の彼は治癒師だったが、魔王城まで旅をするにはそれなりに強くなくては足手まといになる。少女めいた顔立ちと穏やかな気質ばかりが目立っていたが、やはり陸同様、運動神経は抜群だった。
跳躍は高いし、ソフトバレーなのに球速も早い。柔らかい球だと分かっていても手出しに躊躇するほどで、レシーブは失敗した。サービスエースだ。
応援席から悲鳴のような声援が上がる中、お見合いになってしまった相手チームの生徒達が互いの肩を叩き合う。
――これじゃ、応援に呑まれちゃって試合にならないかもしれないわね……。
内心相手チームに同情していた円だったが、そうは簡単に進まないようだ。
再びサーブを打ち込もうとしていた優心が、なぜか雷に撃たれたように驚愕する。
はずみで、彼の手は弱々しくボールにぶつかった。威力の半減したサーブは敵陣地に届くことなくネットへ。
サーブ権が相手チームに移り防御態勢に入るべきなのに、優心はまだうっとりと瞳を潤ませている。
「――あぁ、失敗しても健闘を称え合う美しい友情! これぞ青春の一ページに相応しいスポーツマンシップ! 感動しました!」
「わーっ、とか言ってる間にサーブが!」
チームメイトの忠告など聞こえていない彼の前に、ボールが落ちる。
せっかくサービスエースを決めたというのに、あっという間の逆転だった。
それからも優心の守りががら空きすぎて、いい的にされ続けていた。
試合中にこぶしを握り妄想していれば、当然と言える。抜群の運動神経を持ちながら足を引っ張るとは、何という宝の持ち腐れ。
――チームワーク乱しまくりでしょ……。
頭を抱えたくなったが、試合が進んでいく内に悪い影響ばかりではないと気付いた。
「そっち行ったぞ!」
「任せろ!」
「長谷川君は私達が守る!」
「流れ落ちる汗、互いを鼓舞するかけ声……素晴らしい友情ですね!」
無防備な優心を守るために、いつの間にかチームが一丸となっていた。
その中心で未だトリップしている彼に、もう突っ込む気力も湧かない。
――やっぱり、ノリが違うわ……。
見ているだけで疲れてきて、円はよろよろと第二体育館を離れた。
改めて目的地に向かう。
生徒会役員の応援で忙しいのか、出歩いている生徒は少ない。特に女生徒はほとんど見かけないと言ってよかった。
なのでまるで待ち伏せのように溜まっている女子達に気付いた時、円は俯いて眉尻を下げた。胸元でこぶしを握り、頼りなげな風情を演じる。
おどおどと彼女達の前を通過する。
無言で円を眺めていたと思ったら、急にクスクスと笑い出した。
「思ってたより地味な顔よね?」
「やだ失礼よ。聞こえたら可哀想じゃない」
「だって、あまりにもみすぼらしくて」
「もう、行きましょう。庶民の臭いが移っちゃうもの」
聞こえるくらいの声量で話しているくせに、何とも白々しい。
女生徒達が陰湿な笑いを溢しながら去っていくと、円はすぐに態度を改めた。満足げな背中を呆れながら見送る。
「……大丈夫か」
「わっ」
声をかけられ、ようやく外乃坂志郎の存在に気が付いた。この巨体が一体どこに隠れていたのか。
「外乃坂さん。いたんですか」
「いた。全部、見ていた」
「それはお見苦しいものを」
何だか彼には、こういう気まずい場面ばかり見られている気がする。円が思わず頭を下げると、志郎は首を振った。
「君が謝る、必要はない。それより本当に、大丈夫なのか?」
相変わらず訥々とした口調で心配される。
円は安心させるように少し笑った。
おそらく誰が相手であっても弱者の側に付くような、根っからの心配性なのだろう。
「大丈夫ですよ。あの手のタイプは面と向かって言わない分、逆上したら何するか分からないので、放っておくのが一番です。堪えた様子がないと満足してくれないから、ちょっと傷付いたフリをするのがポイントですね」
気弱そうな演技をしたのも作戦の内。
打たれ強い人間だと認識されれば、何度も標的にされて厄介なことになる。
本気で怖がっていると思っていたのか、志郎は普段より多めに目を瞬かせた。
「……逞しいな」
「ちなみにあの時の三人娘も、今のところ何も言ってきませんよ。安心してください」
笑顔を見せながらも、本当に怖いのはああいった有象無象ではないと考えていた。
怖いのは、円をホームから突き飛ばした人物。今もどこかに潜んでいる、鋭い悪意を隠し持った者。
犯人の見当は未だつかないでいる。
波風立てないように生きているつもりだが、万人に好かれようとも思っていない。
どこでどんな恨みを買っているかなんて、予想もできなかった。
「……三人娘、というおかしな呼び方は、どうかと思う」
状況にそぐわない明後日な指摘に、今度は円が目を瞬かせた。暗い思考に囚われかけていた心が思いがけず和む。
彼の優しさは、まるでずっと側にあったみたいに身に馴染む。この懐かしさに似た感覚は、一体どこから来るのだろう。
「そういえば、キックベースの試合、見に来るらしいな」
「はい。かんなに誘われたので。外乃坂さんも同じクラスなんですよね。応援してます」
笑顔で頷き返すと、志郎は僅かに目尻を緩めた。もしかしたら、彼なりの笑顔なのかもしれない。
意外なものを見た心地になり、ポカンと無防備な顔をさらけ出す。
彼は弧を描くように目を細めると、円の頭をくしゃりと撫でた。
「名前で、いい」
「え?」
咄嗟に意味が分からず聞き返す。彼はいつも通り淡々と答えた。
「俺も、同学年だ。志郎と、呼んでくれ」
「……はぁ。じゃあ、私も円で」
あくまで淡々としているのに、どこか嬉しそうに感じるのは気のせいだろうか。
なぜか人懐っこい大型犬のように思えてきた円の目には、彼の頭上に犬耳が見える。
「円。応援、よろしく」
「はぁ……」
よく分からないが、懐かれた気がする。
淡々と去っていく志郎の後ろ姿にブンブン揺れる尻尾まで見え、円は頭痛を禁じ得なかった。
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