第12話 衝突
明日は球技大会のため、今日の授業は半日になった。
残りの半日は設営に費やされるらしい。
たかが球技大会で何をそんなに準備する必要があるのか疑問だが、早く帰れるなら文句もない。
昇降口に向かって歩く円の進路に、突然三人の女生徒が立ち塞がった。
誰もがそこそこ整った顔立ちをしているけれど、表情には明らかな険がある。
そのため少しきつめの目尻が、ますます吊り上がって見えた。
「藍原円さん、大事なお話があるの。少々付き合ってくださいます?」
格の違いを分からせようとするような高慢な口調に、ため息を押し殺す。言いたくないが、知能指数が低そうなやり方だ。
けれど、嫌がらせのようなものが始まって一ヶ月以上経ったが、面と向かって責められるのはこれが初めて。
影でコソコソやられるより単純明快で、個人的には嫌いじゃなかった。
少し面倒だったが、円はテンプレ悪者集団に黙って従うことにした。
連れられたのは講堂の裏手。
日当たりは悪く、もちろんひと気もない。いじめっ子にはマニュアルでもあるのかと笑ってしまいそうになった。
「それで、何のご用でしょうか?」
先輩か後輩かも分からないので、一応敬語に気を付ける。
三人の中心に立つ女生徒は、顎を逸らしながら肩をそびやかした。
「話は簡単です。生徒会役員の方々に、金輪際近付かないでくださいませ」
想像通りのことを言われたので、予定通りに頭を下げた。
「ご不快な思いをさせてしまったなら、申し訳ありませんでした。ですが、生徒会の役員に近付いているつもりは全くありません」
陸と生活を共にすることは仕方ないとしても、学園では関わりを持っていない。
かんなと颯哉との接触はあの一度きりだし、優心とは途中まで一緒に登校する程度の仲だ。なので彼女達が言っているのは、おそらく大雅のことだろう。
「泉大雅君は、責任感で話しかけているだけです。特別な意味は一切ありません」
自分の意見をはっきり主張すると、取り巻きのように追従していた両脇の女生徒達が声を荒らげた。
「話しかけられること自体が問題だって言ってるのよ! 役員の皆さまに下心を持って近付かない。それが紫峰学園全体の暗黙の了解なの! みんながそれを守っているのに、あなたが和を乱しているのよ! 無知な庶民が学園の品位を乱さないで!」
「どうせ一人でいるのも、本当は大雅君の気を引きたいだけなんじゃないの!?」
無知な庶民が生徒会役員に近付くなんて許せないのだろうが、自分達の発言こそが彼らを貶めていることに気付かないのだろうか。
怒りに任せた行動が学園の品位を台無しにしていることも。
好きになるのは個人の自由だが、自分の考えを他人に押し付けるのはどうかと思う。余計なお世話だが、役員達だってその暗黙の了解という奴に迷惑していそうだ。
様々な反論が頭に浮かんだが、円は従順な言葉を選んだ。
「私ごときが彼の気を引けるなんて、一度も思ったことはありません」
「じゃあ、何だってあなたばかり……!」
「――陸君はどうなの?」
取り巻きの言葉を遮り、中央の女生徒が冷水のような声を発した。
女王然とした威圧感に、両脇の二人は黙り込む。円は鋭い瞳を見つめ返して答えた。
「藍原君とは、たまたま名字が一緒で……」
「下手な嘘はやめてちょうだい。ちょっと調べれば分かることよ。あなたの母親が、陸君のお父様に取り入って再婚したことくらい」
「……」
そう。隠していないのだから、調べれば簡単に分かること。けれどそこまでする人間が出てくるのは計算外だった。
それだけ陸の人気が高いということなのだろうが、円にとっては迷惑極まりなかった。
――こうなるのが、嫌だったのに。
病院に勤めている母が、そこの院長と恋に落ちて結婚。
円からすればたったそれだけのことなのに、上流階級の人間は偏見に満ちた妄想を膨らませる。院長夫人の座を狙って蘢絡したのではと非難する。財産目当てだと。
「そうだったの。卑しい生まれの女は、やることまで卑劣なのね」
「親の真似して陸君にベタベタするなんて、最低よ。彼も彼のお父様も可哀想」
反省している姿を見せ、穏便に済ませようと思っていたのに。
円はあまりに耳障りな中傷に、黙っていられなくなった。
「……人の親を蔑むような性格だから、役員の誰にも振り向いてもらえないんじゃないですか? 卑しい品性が透けて見えてますよ」
「な、何ですって?」
冷静であろうとしていた中央の女生徒が、屈辱に眉を寄せた。円はさらに挑発するつもりで、皮肉げに口角を吊り上げる。
「この程度でカッとするなんて、図星を指されたと自己申告しているようなものじゃないですか? 見苦しいですね」
「わ、私達に逆らうなんて、一体あなた何様のつもりよ!」
「そうよ、庶民が逆らうなんて生意気よ!」
庶民の何が悪い。
円は不敵な笑みを崩さず、ことさらゆっくりと腕を組んでみせた。
「クソみたいな人間のクソみたいな主義主張ほど、聞くに耐えないものはないわね。いっそのことクソに戻って出直した方が世のため衛生のためになるんじゃない?」
空気が一瞬で凍り付く。
少女達は、何を言われたのかさえ理解できない様子で絶句した。
前世にプラスして今世での庶民暮らしで培った皮肉スキルに、温室育ちのお嬢様が敵うはずもない。
彼女達の白い顔が、一気に朱に染まる。
「――っ!」
中央の女生徒が手を振り上げた。
頬を襲うだろう痛みを思って、ぎゅっと目を閉じる。
けれど、数秒待っても何も起こらない。円は恐る恐る目を開く。
目の前は、なぜかブレザーのライトグレーでいっぱいになっていた。
「し、志郎君!」
取り巻きの一人が震えながら声を上げる。
円には、すぐに誰のことなのか理解できなかった。
――志郎? って、あの子達の動揺ぶりからして、まさか……。
もし円の予想通りなら、生徒会役員との遭遇率が高すぎやしないだろうか。
身勝手な嫉妬は迷惑だが、八つ当たりしたくなる気持ちも少し分かってしまう。
「……もう、やめた方が、いい。お互いに」
独特の間合いで、背の高い男が低く呟く。たった一言だけれど、とても重く響いた。
女生徒達は、悔しそうに唇を噛み締めながら去っていく。
男のおかげか睨まれさえしなかった。
「……えっと、ありがとうございました」
何となくぎこちなくなってしまったのは、目まぐるしい状況の変化についていけていないからだ。
男が、ゆっくりと振り返る。
一八五センチ以上はありそうな身長で、ほとんど壁のように感じる。そのわりに顔は小さくて、精捍な顔立ちには見覚えがあった。
硬そうな黒の短髪も、鋭い黒瞳がやけに澄んでいるのも、始業式で見た通り。
「あの、外乃坂志郎さん、ですよね。私藍原陸の義姉で、藍原円といいます。ありがとうございます、本当に助かりました」
生徒会役員の一人、会計の外乃坂志郎が目の前にいる。円も信じられないような気持ちだったが、とりあえず無難に頭を下げた。
志郎はゆったりと首を振る。全体的にのんびりした性格らしい。
「多対一で、喧嘩を売るのは、無謀だ。怪我をしたら、陸が心配する。それに、さっきのは、明らかに言いすぎだ。メンタルを抉れば、逆上される可能性も、ある」
「あー……」
喧嘩を売る場面を見られてしまったようなので、少しだけばつが悪い。
しかもあの瞬間、穏便に済ませようという計算は吹き飛んでいたので尚更弁解のしようがなかった。
完膚なきまでに言い負かした方が今後絡まれにくいだろうという取って付けたような言い訳も、この場合は役に立たない。
円は笑顔を作ると、先ほどまでの一幕をきっぱり全てなかったことにした。
「外乃坂さんは、どうしてここに?」
「……体育倉庫に用があった。偶然通りかかったら、揉めている声が、聞こえた」
「あぁなるほど、球技大会の準備」
物言いたげにしながらも素直に答える志郎に、円は大げさに頷いてみせた。
ここは、大会準備に忙しくしている役員の出没地帯だったようだ。
彼女達は人目につかない講堂裏を選んだのだろうが、墓穴を掘っただけらしい。清々しいほどの間抜けぶりに怒りが少し鎮火した。
「……大丈夫、か?」
相変わらず表情に変化はないが、志郎の声音は傷口を庇うように慎重だった。
もしかしたら彼女達の心ない言葉も、聞いていたのだろうか。
喋り方は独特だが、今回の問いかけに限ってやけに言葉数が少ないのは、繰り返せば円が傷付くと考えているからかもしれない。
志郎の不器用な気遣いに、円は微笑んだ。
「心配はありがたいですが、大丈夫ですよ。それに正面きってケンカを売られる方が分かりやすいし、対応も楽ですから」
円はブレザーのポケットからスマートフォンを取り出した。ずっと起動していた機能を停止させる。
「この通り、バッチリ録音済みです。相手の家柄を考えると公にはできませんが、陸や大雅に聞かせると言えば牽制くらいにはなります。おそらく彼女達は、もう二度と手出しして来ないでしょう」
服の中からなのでどれだけ声を拾っているか不明だが、要は抑止力になればいいのだ。
いらぬ火の粉を避けるためなら、脅迫でも何でもする。生徒会役員だって利用する。
生き汚いところは前世から変わらない。
死んだ方がずっと楽だと分かっていても、円がいなくなったことを嘲笑う人間の顔が浮かべば、どうしても癪に障る。あんな奴らを喜ばせてたまるかと考えてしまうから。
ニヤリと悪どい笑みを見せると、志郎が思わずといったふうに吹き出す。
「……悪役が似合いすぎて、反応に困る」
「すいませんね。私は庶民なので、上品な戦い方は性に合わないんです」
「――ハハッ」
彼は今度こそ、声を上げて笑い出した。
非道な行為を笑い飛ばせる志郎の神経の方がどうかしていると、円は全く他人事のようにドン引いた。
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