第11話 生徒会
生徒会室に在室しているのは、生徒会長の颯哉とかんなだけだった。陸や優心など他の役員は外出しているようだ。
これほど騒がしくしているというのに颯哉は我関せずといった調子で、書類から顔を上げもしない。
「それじゃあ、ここに座っていて。好きに寛いでいていいからね」
かんなが誘導したのは、座り心地がよさそうな二人がけのソファだった。
恐る恐る座ると驚くほど体が沈む。デスクと書類棚、テーブルセットがあるだけの学生らしい部屋だと思っていたけれど、一つ一つは高価なものなのかもしれない。
かんながティーワゴンを押して戻ってくると、ティータイムが始まった。
「藍原さん、ミルクとお砂糖は?」
「あ、ストレートでお願いします」
「嬉しいな。ダージリンのファーストフラッシュは、ぜひストレートで楽しんでほしかったんだ」
ティーポットに茶葉を入れ、電気ケトルで沸かしていたお湯を少し冷ましてから注いでいく。目の前で優雅に紅茶を淹れるかんなはとても楽しそうだ。
優心と同じく中性的な美貌だと感じていたが、かんなは趣が違う。彼女を表現するなら、艶めかしい。その一言に尽きた。
「ダージリンの茶葉には春、夏、秋と三回の旬があるんだけどね、それぞれ風味が全然違うんだ。この春のファーストフラッシュは、瑞々しく若い味わいが魅力だよ」
砂時計の砂が落ちきると、かんなは白磁のカップに紅茶を注いだ。液色は、円が見たことのないほど鮮やかなレモンイエローだった。器の白色との対比が美しい。
「わぁ……」
部屋を満たしていく清々しい香りに、円は素直に感嘆の声を上げる。かんなはにこりと微笑むと、紅茶を差し出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
音を立てないように気を付けながらカップを手に取ると、まずは香りを楽しんだ。
どことなく甘さを感じるフルーティーな香りだ。一口含んでみれば、味わいが口一杯に広がった。
「何というか、とても爽やかなんですね。渋味も少なくて飲みやすいです。佐屋月さん、紅茶淹れるのお上手ですね」
「ありがとう。でも、茶葉のおかげだよ」
かんなは颯哉のデスクに無言で紅茶を置くと、自分の分を持ってソファの隣に腰を下ろした。立ち振舞いが美しく、カップを傾ける姿まで素晴らしく絵になっている。
思わず見惚れる円に気付くと、かんなが微笑んだ。
「藍原君と区別が付きやすいように、円ちゃんって呼んでいいかな? 私のこともかんなと呼んで」
「分かりました、かんなさん」
「かんな、だよ。それに同い年なんだから敬語もいらない」
「はぁ。では……かんな?」
相手は役員なので一応の遠慮を見せたが、乞われるがままに呼んでみる。すると、かんなはあどけない顔で笑った。
「フフ、いいね。何だか、親密になれたみたいで嬉しいな」
「……」
円は赤らんでしまっているであろう頬を隠すため、カップに口を付けた。
一緒に紅茶を飲んでいるだけなのに、うっかり口説かれているものと勘違いしそうになる。女子人気が高い本当の理由を垣間見たような気がした。
屋上にある鐘が五時を告げると、かんなはハッと顔を上げた。
「いけない、忘れてた。風紀委員から五時までにって頼まれてた資料があるんだった」
彼女は立ち上がると、焦った様子でデスクの分厚いファイルを手に取った。
「ごめんね円ちゃん、自分から誘っておいて。この埋め合わせは必ずするから」
「いえ、こちらこそ忙しいのにありがとう。とても楽しかった」
社交辞令ではなく、本当に心から休まる時間だった。
周囲には前世で因縁のある相手ばかりで、陸との良好な関係を演じるために両親にも気を張って。
些細な嫌がらせに陸の本心に、考えなければならないことが多くあるというのに、あげく今朝の夢だ。
知らない内に抱え込んでいた鬱屈を、紅茶の香りが吹き飛ばしてくれた。かんなのまとう雰囲気も、磨り減った心を安らがせる。
円が本心からの笑みを浮かべると、かんなも嬉しそうに笑った。
「私もとても楽しかったよ。よかったら、ゆっくり飲んでいってね。片付けは私がするからそのままにしておいて」
慌ただしくも凛々しくそう告げると、彼女は足早に生徒会室を出て行った。
かんなが出て行ったことで颯哉と二人きりになってしまうのだが、円は特別気にしていなかった。
今まで互いに名乗りもしていないし、別空間にいるようなものだと考えていいだろう。
少なくとも、このおいしい紅茶をしっかり味わってからでないと帰れない。
円に善し悪しは分からないが、高価なものに決まっているのだから。
お言葉に甘えて図々しくも寛いでいると、部屋に静かな声が落ちた。
「藍原陸とは、義理の姉弟なんだって?」
涼やかでよく通る低い声。円でないのなら、発したのは一人しかいない。
「……そうですけど、誰から聞きました?」
颯哉の問いを放置するわけにもいかず、円は問い返した。
彼なら無闇に騒ぎ立てることもないと思うので、知られても困らないのだが。
「長谷川優心だよ。見事な姉弟愛の超大作を聞かせてもらった」
「あぁ、それ全部デマなので、信じないでくださいね」
颯哉が笑う気配がしたが、彼のデスクは背後にあるため確かめることができない。
場繋ぎのための世間話であることは理解しているので、わざわざ顔を突き合わせる必要性も感じなかった。
互いの名前は認識しているけれど、改めて名乗り合うこともなく世間話は続く。
「大雅とも仲よくしてるって聞いたけど」
「あちらが、義務感に駆られて話しかけてくれてるだけですよ。私がぼっちなんで」
「自分でぼっちとか、よく言えるね」
「事実ですから」
紅茶の最後の一口を、ゆっくり飲み込む。かんなはああ言ってくれたが、せめて自分のカップだけでも洗おうと円は立ち上がった。
すると横から、ソーサーごと空いた器を引き取られた。
いつの間にか颯哉が隣に立っている。
「馬鹿にしたわけじゃないよ。自分の現状を冷静に把握できるのは、強い人だけだ」
颯哉は、思いの外優しい笑顔で円を見下ろしていた。
弧を描く唇がほのかな色気を漂わせていて、思わず距離を取りたくなる。
片付けを引き受けてくれているのだと分かるから、何とか踏み止まったけれど。
「……私は、強くないですよ。そうありたいと願ってはいますけど」
強い人ならどんな相手とも仲よくできるだろう。傷付けるかもと怖れることなく、前世の因縁を気にすることもなく。
円が本当に強かったら、前世の両親のことだって許せているに違いないのに。
給湯室にいる颯哉に、円の呟きは聞こえていないだろう。聞かれたくない本音が漏れたことに少々ばつが悪くなって、礼だけ告げて立ち去ろうとする。
すると、後ろ手を引かれた。
至近距離で視線が絡む。緩い力で握られた腕を、振りほどくことができなかった。
優しく細められた颯哉の黒瞳は、間近で見ると灰色を帯びている。
雪がうっすらと積もった大地ようで、とても繊細な色合いだった。
――やっぱりこの人の雰囲気、何でか懐かしく感じる……。
眼差しの温度も、距離感も。それが当然のように体に馴染む。
細く美しい鼻梁に、硬質そうな黒髪に、触れてみたくなる。広い胸に体を預けたら、どれだけ安心できるだろう。
際限なく膨らむ欲求に思考を奪われていると、颯哉が頬に触れた。円は我に返り慌てて視線を外す。
「ご、ごめんなさい。綺麗だったのでつい」
間近にある唇から、クスリと笑みが溢れ落ちた。彼の指先が優しく、けれど逆らえない力で円の顎を持ち上げる。
灰色の瞳を見れば、どうしても目が離せなくなってしまう。
「あなたの瞳こそ綺麗だよ。吸い込まれそうなくらい、深い黒だ」
颯哉は秘め事のように囁く。
「僕は、清く儚いだけのものを綺麗だなんて思わない。本当に美しいものは、強い意志の中にこそある」
円の瞳を綺麗だと称したその口で、強さを語る。自らの眉が寄っていくのが分かった。
「……結構意地が悪いんですね。さっきの、聞こえてましたか」
颯哉は肯定も否定もしなかった。ただゆったりと笑みを深める。
掴み所のない人だと警戒していると、突然第三者が割って入った。
「…………陸?」
いつの間に生徒会室に来ていたのだろう。
無表情の彼は円の腕を掴むと、颯哉から強引に引き離す。陸の眼差しはひたすら颯哉だけに向けられていた。
「――義姉が、ご迷惑おかけしました。今日のところはこれで失礼します」
「いや、非常に有意義な時間だったよ」
学園の頂点に君臨する生徒会長は、後輩の鋭い視線にも余裕の笑みを返すばかりだ。
しばし無言で見合うと、陸はペコリと頭を下げた。そのまま義弟に引きずられる形で、円も生徒会室を辞去する。
「ちょっと、陸!」
非難の声を無視し、陸はずんずん廊下を進んでいく。円は痛いくらいに掴まれた腕を、力任せに振りほどいた。
彼がなぜ不機嫌なのか見当もつかないが、横暴な振る舞いが腹立たしい。
もう少し颯哉と話してみたかったし、誰が見ているかも分からない場所で陸と二人きりになんてなりたくなかった。
「何イラついてんのよ。私が会長に、危害を加えてるとでも思った?」
騙したり傷付けたり、前世のラティカのような行動を疑っているのだろうか。
学園の主要人物相手に、わざわざ波風立てるような真似はしないのに。
けれど陸が指摘したのは、思いもよらないことだった。
「あんなに間近に見つめ合っておいて、本当に何もないなんて言えるの?」
「え?」
「少し、不用意すぎるんじゃない? あんな嫌がらせを受けてる最中なのに、わざわざ生徒会長に近付くなんて。あの人に関わったら、さらに嫉妬を煽るだけだ」
向き合う瞳に苛立ちはあれど、それは円を案じるからこそだと分かる。
けれど相手が陸だからこそ、素直に謝るなんてできなくて。
「あ……」
困惑から口ごもる円に、彼は傷付いた顔を隠しもしない。
陸の優しさも、姉を気にかける姿も、全てが演技とはとても思えない。
なのに前世の確執が頭をちらついて、信じきることもできないのだ。
彼の本心は、一体どこにあるのだろうと。
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