第10話 球技大会

 身支度を整えて階下に行くと、いつものように両親がいちゃついていた。

 この二人の新婚感は永遠に続きそうだ。

「おはようお父さん、お母さん」

「あら、おはよう円」

 最近では専ら父が朝食を作るようになっていて、母は隣で応援しているのみ。それでも楽しそうな両親には本当に頭が下がる。

「円ちゃん、もしかして具合が悪い? 少し顔色が悪いようだけれど」

 表情を曇らせる慶一郎に、円は首を振って笑顔を作った。

「いえ。ちょっと夢見が悪かっただけなので、大丈夫ですよ」

 夢見が悪かったのは本当だ。

 今朝の夢は最近見ていなかった前世のもので、『ラティカ』の辛い幼少期を追体験してしまった。陸との会話で前世に触れたからかもしれない。

 けれど今世での両親と触れ合うことで、少し落ち着いた気がする。

 彼らは本当に優しく、温かい。

 こうして心配されることも、面映ゆいけれど嬉しく感じた。

 気持ちが緩み自然な笑顔を作れるようになったところで、制服をきっちり着込んだ陸が下りてきた。

「おはようございます」

「おはよう、陸君。今朝はポーチドエッグよ。お酢を入れるのがコツなんて、私初めて知ったわ。あ、慶一郎さんの特製だから安心して食べてね!」

 色々と前科のある祐希奈が、調理に携わっていないことで味の保証をする。何とも情けない母に苦笑しながらも、陸は首を振った。

「お母さんが作るスクランブルエッグだって、僕はとても好きですよ」

「さすが陸君。円と違っていい子ね!」

 朝からお世辞を振り撒く陸に辟易としていたら、こちらに飛び火してきた。円はうんざりしながら祐希奈に半眼を向ける。

「……玉子の殻が入ったスクランブルエッグなんて、私は好きになれない」

「ひどい! たった一回の失敗をいつまでもネチネチと!」

「陸とお父さんの優しさに甘えてばかりじゃ成長できないって言ってるの」

 冷たく突き放すと、義弟が母を庇った。

「僕は今よりもっと甘えてほしいくらいだよ。円さん、あなたにも」

「……私だって、陸に十分助けられてるよ」

 円は白々しくない程度の笑顔を返した。

 騒がしい朝食を終えると、陸と共に玄関に向かう。姉弟が仲よくしているところを見せると、両親はとても嬉しそうな顔をする。

 その顔を見ているだけで不毛な努力も報われるというものだ。

「それじゃあ、行ってきます」

 家を出ると、円は途端に無言になった。

「円さん」

「陸、外では話しかけないでって言ってる」

「外じゃなきゃ、あなたは誤魔化すだけだ」

「つまり会話をしたくないってことでしょ。分かりなさいよ」

 陸とはあれ以来、前世に関する話は一切していない。

 二人きりになっても深刻な空気を避けているし、警戒心が高まって世間話にすら気を張ってしまう。

 特にあの瞳。またあの仄暗い熱を見るのが、どうしても嫌だった。

 もはや円にとって、彼の存在そのものが嫌がらせのようなものだ。

 嫌がらせといえばそちらも、毎日呆れるほど甲斐甲斐しく続いていた。

 特に犯人を特定しようとしないためか、やむ気配はない。けれど手口がエスカレートするということもなく、これもまた現状維持の状態だった。

 陸とは無言のまま駅で別れ、登校すると席について本を開いた。学園での空き時間は、大抵勉強か読書で消費している。

 するといつものように、真っ白なページに影が差した。

「……今度は何?」

 顔を上げて確かめるまでもなく、相手はやはり大雅だった。偉そうに見下ろす彼の眉間には、ぐっとシワが寄っている。

「今日は本当に用があるんだよ! お前だけだからな、六月の球技大会、希望種目の提出してねぇの」

 机にプリントを叩き付けられ、そういえばそんなイベントもあったなと思い出す。

 紫峰学園はセレブ校のわりに、一般的な学校と大差のない行事が目白押しなのだ。

 文化祭や体育祭、修学旅行。

 健全な精神の育成がどうのと能書きを垂れてみても、遊び盛りの子どもがやりたいことなんて、金持ちも庶民も大差ないのだろう。

「ホントにあんたは、いつも暑苦しい話題を提供するわね……」

 プリントを見下ろしてため息をつくと、大雅も不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「実行委員なんだよ」

「書記やって部活もやって、実行委員までやってるの? 体育バカね」

「いいだろ、好きなんだから。お前にとやかく言われたくねぇ」

「……確かにその通りね。悪かったわ」

 好きなことを否定する権利などないし、今は希望種目を提出し忘れて彼を煩わせている円が悪い。

 素直に謝るとは思っていなかったようで、大雅は目を白黒させている。円は気にすることなく競技の確認をした。

 ソフトバレーとバスケットボール、サッカー、卓球。この選択肢なら答えは一択だ。

「卓球。それもシングルで」

「だと思った。どうせチームプレーするのが嫌なんだろ」

「当然でしょ」

 チームプレーは嫌というより、できない。これほど邪魔者扱いされているのにすごすご乗り込んでいったら、かえって迷惑になる。

「ちなみにあんたは何なの?」

「サッカーは選べないから、バスケにした」

 部に所属している者は、その競技に出られない。どこの学校にもありがちな措置だ。

「よかったわ、カブってなくて」

「それはこっちの台詞だっての」

 円は黒いオーラを撒き散らし、大雅はピキピキと口角を引きつらせながら笑い合う。

 朝から漂う剣呑な雰囲気にクラスメイトは青ざめていた。

 人気者達が原因で嫌がらせをされているとばかり思っていたが、円の性格の悪さも要因かもしれないと遅まきながら自覚する。

 大雅自身も言っていた通り、学園の頂点に君臨する生徒会に面と向かって文句を言うような考えなしはいないのだろう。例えどんなに暑苦しくても。

 その時ふと、同じく生徒会の一員である陸や優心が何を選択したのか気になった。

 鈍い大雅に限って察してくれたとは思えないが、彼はタイミングよく円の疑問に解答を寄越した。

「ちなみに陸も俺と一緒のバスケ、優心はバレーだったかな」

 目立つ人間はバスケットボールやソフトバレーに集まっているようだ。

「よかった。卓球は静かになりそうだから、一安心だわ」

「フン。どうだかな」

 何かをほのめかすような物言いに、円は片眉を吊り上げた。

「どういう意味よ?」

「言わねぇ。教えたくねぇ」

 大雅はニヤニヤするばかりで真相を語らない。珍しくやり込められるような形になって、微妙に腹立たしい。

 円は八つ当たりでプリントを突き返した。

「大雅、書いて提出しておいてよ」

「何でだよ。テメーで書け」

「いいじゃない。あんたの字、綺麗だし」

 机に置かれたプリントには、赤字で円の名前が書き込まれている。何度か目にしたことのある大雅の筆跡だ。

 書記に選ばれただけあって、彼の書く字は美しい。外見からは想像が付かないほどきっちりと手本通りで、癖がない。

 にっこり笑うと、大雅は信じられないとばかり円を凝視した。まるで異常なものでも見る目付きだ。

 円はものともせず、彼の筆致を指先でゆっくりとなぞっていく。

 意味深に、まるで睦むように。

 参考は、数多くの男を翻弄していた『緋色の魔女』、ミラロスカだ。

「――大雅の字、綺麗でとても好き」

 仕上げに上目遣いでトロリとした笑みを見せれば、純情な青少年の顔は火を噴く勢いで真っ赤に染まった。

「か、からかってんじゃねぇぇっ!!」

 大雅の絶叫が、今日も教室にこだまする。円は流れ作業で耳を塞いだ。

 クラスメイト達も防御体勢を整えている点から、話が筒抜けであること、そして彼らにとってもこれが日常化しつつあることが分かる。中には照れる大雅に向けてシャッターを切りまくる強者もいた。

 まだ頬の熱がおさまらないらしい大雅が、悔し紛れに捨て台詞を吐いた。

「お前それ、自分で生徒会室に持ってけよ! 期限内に提出しなかったお前が悪いんだからな!」

 ドスドスといつもより足音荒く去っていく彼の命令に、円はため息をついた。楽をするはずが面倒事を増やしてしまった。

 ミラロスカを真似てみたつもりだったが、慣れないことはするものではない。

「……好きなのは、ホントなんだけど」

 頭を冷やすためかなぜか教室を出て行こうとする背中を見守りながら、円はほんのり微笑んだ。



 放課後、円は言いつけを素直に守って生徒会室へ向かっていた。

「卓球だって言ってるんだから、適当に処理しといてくれればいいのに……」

 窓の外の部活動に励む生徒達を眺めながら、一人ごちる。面倒な事態を招いたのは自分自身なので、文句を言うのは筋違いだと分かっているのだが。

 広大なグラウンドにはサッカー部も見える。金銭の発生しない肉体労働に従事するなんて考えられない円は、もちろん帰宅部だ。

 大雅を見つけて、円は立ち止まった。

 騒ぎ立てる外野の女子には見向きもせず、楽しそうにボールを追いかけている。

 その姿は真夏の太陽のように眩しくて、円は目を細めた。

 自分とは対極の存在だと思い知る。

 ――やっぱり、もう話しかけないでって、ちゃんと言わなくちゃ……。

 仲間と肩を抱き合う大雅から視線を外すと、円は再び歩き出した。

 生徒会室にたどり着く。

 特に装飾が激しいわけでもない、一般的な教室。何となくお城の一室のような想像をしていたのは、円の偏見だったらしい。

「失礼します。クラスメイトの泉大雅に言われて、球技大会に関するプリントを提出しに来ました」

 ノックをし、来訪目的を告げる。スライド式のドアは内側からすぐに開いた。

 さらりと長めの前髪を揺らして顔を出したのは、副会長の佐屋月かんなだった。

 間近で見るのは初めてだが、儚げな顔立ちをしていた。

 華奢な肩幅、細い手首も女性らしい。

 けれど高い身長を包む男子用の制服と、襟足で切り揃えられた黒髪が彼女を男性らしく演出しており、その危うい均衡がより美貌を際立たせていた。

「球技大会のプリント? 実行委員が集めていた、希望種目を書くやつかな?」

「それです。私が提出期限内に、出し忘れてしまって」

 かんなの声は高くも低くもなく、口調も性を感じさせない。

 性差を超越した雰囲気に憧れる女子の気持ちが、分かる気がした。

 差し出したプリントを受け取りつつ、かんなは不思議そうに首を傾げた。

「だとしても、実行委員が持ってくるべきだと思うけど。B組ってことは大雅だよね?」

「まぁ、嫌がらせの一貫ではないかと」

 円が肩をすくめると、彼女は幼げに目を瞬かせた。あどけない仕草をすると、やや女性に傾くらしい。

 かんなは、親しみやすい笑顔になった。

「君、面白いね」

「ウケを狙ったつもりはないんですが」

「狙っていないところがいいんだろうね」

 かんなは笑みを浮かべたまま、円の手を取った。普段なら馴れ馴れしさを不快に感じるはずなのに、ちっとも嫌な気持ちにならないのが不思議だ。

「せっかくだし、お近づきの印に生徒会室へ案内させてほしいな。おいしい紅茶をごちそうするよ。もし嫌じゃなければ、だけど」

 おどけたように片目をつむってみせる彼女の誘いに、円は知らず知らずの内に頷き返していた。


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