第5話 嫌な顔触れ

『虚』に落ちた人間を救うだなんて不可能だ。どんどん肥大していくものなので、巻き込まれないためには回避一択なのに。

「あんた、何で、」

「いいから早く捕まって! そっちの手を伸ばすんだ、ラティカ!」

 苦しげに顔を歪めながら、それでもルイスは手を離さない。

 ラティカはますます混乱した。勇者にとっては迷惑な存在でしかなかっただろう。そんな相手を、なぜ。

「ラティカ! ラティカ!」

「危ないから下がってなよ、『緋色の魔女』! 行くならオレが行く!」

 今にも駆け寄ろうとしているミラロスカを、金獅子が引き止めてくれているようだ。悲痛な声で名を呼ばれ胸が痛んだが、彼女にだけは絶対近付いてほしくない。

 オレが行くとわめいている金獅子は、普段はラティカを見下している素振りだったので少し意外だった。おそらく黒竜も、無口だが優しいその気質のために、我が事のように動揺しているだろう。

 気のいい奴らなのだ。魔族だからという理由で滅ぼされるのが、許せないくらいには。

 ラティカにとっては、人よりも余程愛すべき存在だった。だから守りたかったのに、まさかこんな結末になるなんて思ってもみなかった。無力な人間でも、少しは力になれると思い上がっていた。

「勇者様ー!」

「何をやってるんだ、お前は!」

「あなたは魔王を打ち倒すことのできる、唯一の人間なのですよ! こんなところでお役目を放棄するつもりですか!?」

 一方で、ルイスを引き止める声が聞こえる。ラティカなど見捨てて戻ってこいと。今ならまだ間に合うからと。

 それでも彼は、決して離れようとしない。

 ――馬鹿な男……。

 敵味方なく騒然とする中、ラティカは彼に行ってきた数々の非道を思い出していた。

 騙して窮地に立たせるなんて当たり前。ひどく罵ることもあれば、真っ向から戦闘を仕掛けたこともあった。

 笑ってしまう。こんな時にまで、彼は偽善を発揮するのか。どんな相手でも見捨てられないのか。

 ラティカは助けられたくらいで、改心するような人間じゃないのに。

 そうこうしている内に、ルイスが足がかりにしていた場所まで『虚』に飲み込まれようとしていた。

 ラティカは目を閉じる。

 口元に皮肉げな笑みを残したまま。


   ◇ ◆ ◇


 陸とは約束通り、電車を降りたところで別行動をとった。

 距離を取るためにゆっくり歩いていくと、遠目にも際立つ巨大な建物がその威容を露にしていく。

 円は、紫峰学園の外観に絶句した。

 地元では有名なセレブ校。噂には聞いていたが、わざわざ見物に行くほどではないと侮っていた。

 中高一貫校だからなのか、あり得ないほど敷地が広い。

 都会とは言いがたい場所とはいえ、ゴルフ場なら軽く収まるのではないだろうか。

 何となくゴルフ場を連想してしまったのは、綺麗に刈り揃えられた芝生が一面に広がっていたためだ。ここまで整備された学校を、円は初めて見る。

 真っ白な校舎は春の陽光を反射し、荘厳なまでに輝いていた。

 校舎の中央が尖塔のようになっていて、その頂上には黄金の鐘がある。壁面には時計もあり、文字盤の穴からぜんまいの精巧な仕組みが垣間見えた。

 ――今日からここに通うのか……。

 庶民にはものすごくハードルが高い。

 藍原家は上流階級だが、円は一般的な感覚を捨てるつもりはなかった。いずれは普通の会社に就職して自立する身だ。

「はぁ、行くか……」

 学園の昇降口が遠い。昇降口と呼んでいいものか分からない規模だけれど。

 まだ早い時間なのに、やけに人が多い。

 その誰もが訝しげに円を見ることに辟易する。中高一貫校のため、中途入学者はそれだけで目立つのだろう。

 この調子なら、既に教室内でも集団が出来上がっているだろう。面倒な派閥争いなどに巻き込まれないよう、ひっそり生きることを心に誓った。

 居心地の悪さをひしひしと感じながら、教員室で挨拶を終える。

 面倒見のいい担任は教室までの案内を申し出たが、場所だけ聞いて辞退した。距離感の近い人間は苦手だ。

 円が編入する二年E組は、西校舎の三階にある。階段を上り教室が見えてきたところで、階下から黄色い悲鳴が轟いた。

 何事かと窓から顔を出す。

 下は中庭のようで、春の花が賑やかしく咲き乱れている。けれどそれを上回る騒々しい人だかりが、すぐに目に留まった。

 少女達が頬を染めながら取り囲む、集団の中心。遠目なので顔までは判別つかないが、あまりの熱狂ぶりについじっくりと眺めてしまった。

「――あれはね、生徒会のメンバーだよ」

 突然声をかけられ、円は振り向いた。

 視線の先にいた少女はにっこり微笑んでいるようだったが、分厚い眼鏡のレンズで表情が読めない。

 無言で見返していると、少女は親しげな口調で言葉を重ねる。

「あなた、編入生でしょ? 見たことない顔だからすぐに分かった。外から来た人には理解できないノリかもしれないけど、うちの学園、生徒会のメンバーがみんなイケメンなんだよ。取り巻きの子達はそれぞれのファンクラブの会員」

 饒舌な様子で、聞いてもないことを教えてくれる。けれど彼女のおかげで、早い時間なのにやたらと生徒が、しかも女生徒が多い理由が分かった。

 ひっそり生きるには、生徒会など絶対関わるべきではないということも。

「教えてくれてありがとう」

「学園生ならみんな知ってることだし、大したことじゃないよ。私、一之瀬葉月。二年E組だよ」

「あー、私も同じクラス。藍原円」

「藍原? 藍原ってあの……」

 葉月が何かを言いかけたところで、黄色い声が一層高くなる。

 ふと視線を送ると、円達がいる窓の真下まで集団が近付いてきていた。

 近付いたことで、数名の男子生徒の顔がよく見えるようになった。

 それぞれ方向性は違うものの、確かに整った造作をしている。ただ立っているだけで取り囲まれてしまうのも頷けるというものだ。

 その中の一人から、目が離せなかった。

「ウソでしょ……」

 金色のド派手な髪に、いかにも軽薄そうな容貌。印象とは裏腹に、意外と思慮深い一面があることも知っている。

「……あの男、何て言うの?」

「あぁ、泉大雅君? 彼も二年E組。今年から書記になるって話だよ」

「うっそ」

 葉月からの返答に、円は思いきり顔をしかめた。同じクラスとは運が悪い。

 きっと衝突は避けられないだろうと考えていると、大雅の隣の男が不意に仰向いた。

 艶やかな黒髪に白析の美貌。生命力でギラギラしている大雅とは対称的に、凛とした静かな眼差し。

 それでいてどことなく色気もあるため、彼を取り巻く空気の色さえ違うように思える。

「キャアッ! 信じらんない、今会長、絶対こっち見たよね!」

「会長?」

「赤羽颯哉君! 去年、入学早々生徒会長への就任を果たした、この学園の不動の頂点! 彼は確か二年A組だったかな」

「詳しいね」

「生徒会役員のクラス、名簿番号、生年月日、血液型、好きな食べ物、趣味と特技は網羅してます!」

 自慢げに胸を張る葉月の眼鏡が不気味に輝いている。個人情報が漏洩しすぎていることにうすら寒さを感じたものの、円に害はないので目をつむることにした。

 もう一度中庭に視線を戻す。再び颯哉と目が合った。今度はハッキリと、円だけを見つめていた。

 颯哉の目元が、ふわりと和らいだ。

 周囲を固める集団に気付かれない程度の、ほんのかすかな変化。

 その瞬間、全く面識はないはずなのに、なぜか胸が懐かしさで軋んだ。

「円さん!」

 名状しがたい感覚の理由を探ろうとした円だったが、呼びかけに思考を遮断される。

 とても聞き覚えのある声だ。

 嫌々振り向くと、焦った様子の陸が廊下を駆けてくるところだった。うんざりした表情になるのを止められない。

「何であんたがここに……」

「教員室に行ったら、あなたが担任の案内を断ったって聞いて。迷っていないか心配になったんだ」

「子どもでもあるまいし、そんな簡単に迷子になるわけないでしょ。そっちこそ、こんなとこにいる暇あるの?」

「円さんの方が大切だよ」

 キッパリ言い切られて二の句が継げない。

 というより、言い返すのも馬鹿馬鹿しい気分になる。

 死んだ目になった円の耳に、一人分の拍手の音が届いた。

「互いを想って庇い合う。あぁ、何と美しい愛の形でしょうか」

 よく見ると、陸は一人じゃなかった。

 背後にいたのは、繊細な硝子細工のような美少年。落ち着いた栗色の髪は肩に届く長さで、黒い瞳はぱっちりと大きい。

 中性的な線の細さと、詩をそらんじるかのような理解できない言動。先ほどの大雅と同じく、非常に覚えがあった。

「何で、こいつらまで……」

 目眩がする。

 彼らはおそらく、いやほとんど間違いなく――――勇者一行の一員だった。


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