第4話 二人の因縁
両親に見送られ、円と陸は家を出た。
外はポカポカちょうどいい気候で、円はよく晴れた綺麗な空を見上げる。
柔らかく滲んだ春の青空は、季節を通して一番好きかもしれない。
最寄り駅までは徒歩五分。そこから電車で三駅移動した先に、紫峰学園はある。
春のうららかな通学路を進みながら、円は忌々しげに傍らを見上げた。
「――ねぇ。何で私達、わざわざ一緒に登校してるわけ?」
隣を歩く陸が、清涼な笑みを浮かべた。
「出会いが出会いだったからね。僕らが仲良くしている方が、両親も安心でしょう?」
記憶に新しい失言を思い出し、円は顔をしかめた。つまり今この瞬間も、彼にフォローされているということか。
「へぇ。気遣いのできる義弟で、姉さんは嬉しいわ」
冷めた表情で言い捨てると、陸は気にした様子もなく肩をすくめた。
「そこまで嫌みを言い続ける必要あるの?」
「これが私の通常モードですけど?」
「僕としては、円さんともう少し仲良くなりたいんだけどな」
「何で」
「家族だし、そうでなくとも仲良くしたいと思っているよ」
優等生の返答を、円は鼻で笑った。
過去の因縁は水に流そうと言わんばかりの態度も気に入らなければ、すまして歩く姿も気に入らない。
ついでに一つ年下のくせに見上げねばならないことも屈辱的だし、さりげなくこちらの歩調に合わせてくれているのも腹立たしい。
とにかく円は、彼のやることなすことに苛立つのだ。
「つーかあんた、その喋り方どうにかできないの? いつまでも他人行儀だって、お母さんが気にしてるんだけど」
「分かっているつもりなんだけど、前世からこうだったから、今さら矯正が難しくて」
敬語ではないものの、馬鹿に丁寧な口調。病院で同じ年頃の少年と話す機会があるだけに、祐希奈は壁を感じているようだ。
円は前世での彼を知っているので、むしろ今どきの若者らしい砕けた口調の陸を想像できなかった。
親しくなりたいと考えていないので、会話すらしないで済むとありがたいのだが。
「そういえば幼稚園児の時、急に話し方が変わった僕に、父さんも驚いていたっけ。それまでは、年相応な子どもだったと思うから」
「……ふーん。あんたは幼稚園の頃に、思い出したんだ」
前世を思い出した時の混乱は、円にも覚えがある。生活習慣の違いだけでなく、いきなり幼児に若返ってしまったことへの衝撃はひどいものだった。
ひた隠しに隠しても、咄嗟の行動までは偽れない。自分にとって当たり前の言動が、周囲の目には奇異に映る。
だから円は、母以外の人間からは距離を置いて生きてきたのだ。
小学生の円でも大変だったのだから、幼稚園児で思い出してしまった陸の苦労は相当なものだったに違いない。
異端児のように扱われなかったのは、ひとえに慶一郎の人柄の賜物だ。
「円さんは、いつ頃?」
「私は小学生の時。とにかく感覚の擦り合わせをする方法がなくて、テレビから知識を吸収したわね」
小さな子どもに世界情勢や政治のあり方などを真面目に教えてくれる大人はいない。最低限度の知識を身に付けなければ常識はずれの行動を取ってしまいそうで、とにかく当時は焦っていた覚えがある。
珍しく会話をする気になったというのに、なぜか陸は肩を震わせ笑いを堪えていた。
「……何よ?」
「いや、だからなんだなと思って。あなたと母さん、やけに芸人のネタを引用するから」
「昔からテレビっ子なんでね。分かるあんたも結構なもんだと思うけど」
手当たり次第詰め込んだために、無駄な知識が付随してきた感は否めない。
今となってはバラエティ番組ばかり見るごく普通の現代っ子だ。
遠くに駅舎が見えてきた。
これといった特徴のない、古びた四角い建物。ラッシュにはまだ早いため、人の姿は少なかった。
円は駅に着いたのを機に、陸から距離を取ろうとする。
けれど遠慮を知らない義弟が先ほどよりもさらに近付こうとするため、駅舎前の広場をグルグル回る羽目になった。
何とも間抜けな攻防がしばらく繰り広げられる。躍起になって離れようとしていた円だったが、段々馬鹿馬鹿しくなってきた。
義弟にべったり取り憑かれたまま、ホームへと移動する。
「あんたと姉弟だって知られると面倒だから、学園では近付かないでほしいんだけど」
「学園の近くになったら、ちゃんと離れるつもりだよ。両親の気持ちとあなたの立場を鑑みた、最良の選択でしょう?」
自分の外見が目立つことを理解しての気遣いに、円の頬が引きつった。容姿が優れていることは事実だが、何となくムカツク。
「両親の気持ちを考えるなら、私は駅までで十分だと思うけど」
「僕の気持ちは考えてくれないの? 僕は円さんと、もっと互いを理解し合って、密接な関係を築いていきたいんだ」
陸が普段から浮かべている薄い笑みは、彼の人当たりのよさの象徴とも言える。
それが、本心を気取らせないための鎧に思えて仕方がない。
もう、姉弟ごっこも限界だった。
「――――白々しい。一体何が目的なの?」
円は立ち止まると、喉元を切り付けるような冷笑を浮かべた。
陸も戸惑いながら歩みを止める。
「目的?」
「あんた、よく平然としてられるわよね。……私のせいで死んだようなもんなのに」
ホームにひと気はないため、荒唐無稽な話だって気にせずできる。
「私はあの時、あんたが道連れになる時、ざまぁみろって思ってた。それでも仲良くしたいと言うなら、あんたは頭がおかしいわ」
円は口端をつり上げて笑った。
目の前には、かつての宿敵である義弟。
彼がどんな考えを持って友好的に接してくるのか知らないが、ここまで露骨に挑発すれば本心を垣間見れると思った。
けれど陸は、どこか傷付いたように目を伏せるばかりで。
「僕は――……」
彼が口を開きかけたところで、電車がホームに到着する。
それなりに降車する人が多く、対峙する二人の間をすり抜けるようにして、足早に進んでいく。円は絡まる視線を外した。
「行きましょう。遅れるわよ」
「……うん」
会話を打ち切り、電車に乗り込む。俯いたままの陸は放置して、ドアに体を預けた。
円は車窓を眺め、前世のことを考える。
ちょうど今の円くらいの年齢で死んだ、ラティカのことを。
◇ ◆ ◇
昼と夜のあわい。逢魔が時の空が、禍々しい赤に染まっていく。
ついに、勇者一行が魔王城にたどり着く。
ここまで、どちらも少しずつ主戦力が削られていき、残るは両軍の精鋭数名ずつ。
勇者が率いるは騎士、魔術師、拳闘士、治癒師の四名。
迎え撃つ魔王軍は魔族でも有数の異名持ち、四魔将の『金獅子』、『黒竜』、『緋色の魔女』、そしてラティカの四名。
ラティカは魔力を持たないただの人間なので、物の数には入らない。勇者一行との実力は拮抗していると言えた。
「ラティカ。あなたはこんな戦い、逃げちゃってもいいのよ?」
戦いを前にして信じられないことを言い出す養い親に、ラティカは噛み付くように言い返した。
「私は逃げないよ! ミラロスカが戦うんなら絶対逃げない! それに『銀狼』の仇だって取ってやるんだから!」
それなりに付き合いのあった『銀狼』は、魔王に次ぐ実力と言われる四魔将の一員だった。彼が勇者一行に討たれたことで、元々大嫌いだった勇者に憎しみさえ感じるようになっていた。
争いの最中にいるのだから、誰かが死ぬのは当たり前だ。魔王軍側も、勇者一行の人間を殺している。彼らは元々七人だった。
それでも、知り合いが殺されるというのは耐えがたい苦しみだ。
この上知らない内に大切な養い親を喪うことになったら、きっと気が狂うだろう。
確かに一番非力なラティカだが、弱者には弱者の戦い方がある。
養い親のミラロスカを含め、魔族の者達は圧倒的な実力を持っているために、知略を駆使することが不得手だった。そのためラティカにもできることがあると信じていた。
――勇者は、私が倒してみせる。
やけに赤い太陽が山の合間に沈んでいく頃、ルイス達が謁見の間にたどり着いた。
城内でも激しい戦闘が繰り広げられたのだろう、彼らはボロボロだった。
けれど目は死んでいない。長い戦いになりそうだと思った。
「――ようこそ、勇敢な子ども達。まずは私が相手をしましょうか」
真っ先に進み出たのはミラロスカだった。妖艶に微笑む彼女は一見たおやかな女性に見えるが、意外に好戦的だ。
床まで届く青い髪が、じわりと赤く染まっていく。
ミラロスカが力を振るう時に現れる現象で、これが彼女の異名の由来だった。血にまみれて笑う姿から、とも言われているが。
広い謁見の間で、死闘が繰り広げられる。
ミラロスカの操る幻術は、心を強く保たねばすぐに囚われる。法術を得意とする治癒師が何とか持ち堪えているが、一行が受ける被害は計り知れない。
けれどただ一人、幻惑を逃れた者がいた。
誰より強靭な精神と、清らかな善の心を持つ勇者、ルイス。
聖剣の助けもあったのだろう、彼は一直線にミラロスカへと向かっていく。自らの大切な仲間を幻から解放するために。
「ミラロスカ!」
予想外の展開に叫んだのはラティカだった。圧倒的な力で押し勝つかと思われたが、均衡が崩れる。一角を崩されれば、敵も勢い付いてしまう。このままではまずい。
何より、ミラロスカは大切な養い親だ。
先のことなんて考えられなかった。ラティカは無謀にも、勇者が振りかざす聖剣の前へと走り出す。
振り返ったミラロスカは、僅かに笑ったのかもしれない。
途端、胸が抉られるように痛んだ。その笑顔が消えるところを、見たくない――――。
ラティカの願いは、思わぬ形で叶った。それこそ、両軍にとっても予想外の展開で。
ミラロスカの表情が凍り付く。それに気付いた瞬間、足元の地面が消失した。
『虚』。
それが出現する理由は解明されていない。魔力が溜まって空間が歪んだためとも、異次元へ繋がる穴とも言われている。神が罰した者を飲み込むとも。
ラティカは、謁見の間に突然現れた『虚』に飲み込まれた。
捕まるところもない巨大な常闇。ラティカは死を覚悟した。
ただ奈落へと落ちていく。
「ラティカ!」
養い親の悲鳴が聞こえたけれど、もう彼女の姿は見えない。
ここまで来たというのに、死因が戦死でないことが皮肉だった。ラティカの口元に諦観の笑みが浮かぶ。
その時だった。
突然腕を掴まれ、落下が止まる。
掴まれた腕の先を視線でたどり――やはり最上級の皮肉にしか思えなかった。
ラティカを助けようとしているのが、大嫌いなルイスだったのだから。
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