もう一つの呪術


 三行で分かる前回の神薙


 蠱物まじものにおかされていた男は正気に戻った。

 そよぎは過去に何度か自殺しようとしたが、白鷹しらたかが阻止してうまくいかなかった。兄に会えたのでもうする気はない。


 ○


「凪の右手、左手より冷たい。……気がする」


 蠱物に触れた方の手だ。

 ……そう言われてみれば、そんな気がする。


「蠱物が住み着いたか? 刀をぶっ刺せば出てくるか?」


「それは最終手段かな……。右腕だけ刺しても蠱物さんは別の部位に引越しすると思うから、やるなら全身刺さないと意味ないと思う」


「うーん、とりあえず様子見だな」


「――呪術、試してみる?」


「なにかできるのか?」


「息吹法って言うんだけど……。私が御霊遷しみたまうつしの他に唯一できる呪術」


「ほー」


「手、出して」


 梵は俺の手を取って、呪文を誦する。


「神の御息は我が息、我が息は神の御息なり――――」


 唱え終わると、何度か俺の手にふっと息を吹きかけた。

 最後に、梵の薄い唇が、俺の手の甲に触れた。


「っ⁉」


「――おわり。どう?」


「…………よく分からん。正直変化ないな」


「だろうね。ちょっとした厄除けのオマジナイだから。それも何かが起きる前にするようなやつだし。ていうか私、白鷹が憑いた以降は呪術がうまくできなくなってて……」


 これでもかと、梵はやらなくていい理由を挙げた。

「じゃあやる必要なかっただろ」


「いやあるし。あるもん」


「なにがモンだ。俺達は兄と妹だろ。キス付きの呪術ならば、みだりにする事じゃないだろ」


「ケチ兄。昔の凪だったら受け入れてくれたのに」


「知るか。今の俺は昔の俺じゃないんだ」


「凪は変わっちゃったんだね。私は昔のままなのに……」


 今日の梵はよく感傷に浸っていた。それはもうどっぷりと。


「だから私は今でも変わらず凪のことが――」



「きゃっ!」


 どこからか、女の悲鳴がした。

 夜中に目覚めてトイレに向かう最中、ゴキブリに遭遇して驚いただけかもしれないが、蠱物に襲われた可能性も捨てきれない。一応、周辺を見回っておくことにした。


 〇

 華凛side


 私は、影から凪君の様子を見ていた。

 凪君が男に馬乗りになった際や、右手が疼き出した? 時は、駆け寄りたくなったけど、何とかその衝動を押さえ込んでいた。


 凪君は今、未明の街を歩いていた。

 凪君のことを普通の人が見たら、独語をして深夜徘徊をしている人だと思ってしまうだろう。

 しかし耳をすましてみれば、凪君の独り言は、独り言じゃないことが分かる。理路整然としていて、誰かとの会話であることが分かる。

 ……隣にナニカがいることは明らかなのだ。鯉によって伝わってくる雰囲気がそれを裏づける。

 そのナニカと話している時の凪君は、私と話すときと違って、オドオドしていない。

 私は形容し難い感情に苛まれた。


「……?」

 私の近くに凪君の隣にいるものとは別種の怪奇がいるようだった。あの日にゅうがくしきを境に急激に増えている怪奇だ。

 私はこの怪奇の正体を知りたかった。この際、できる限り調べてみようと思った。

 存在に、意識を向ける。

 私の願いに呼応して、鯉達が動く。

 ……分からない。カタチが曖昧で掴みどころがない。ただ、とても嫌な雰囲気の存在であることは分かる。

 一体これはなんなのだろう。もっと、もっと――

「きゃっ!」

 突然、脳の神経の一束をガツンと掴まれたような不快感に襲われた。

 ベタりと泥がついてしまったような……。

「鯉が……触っちゃった……?」

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