嫉妬する魚

 三行でわかる前回の神薙


 そよぎ「凪の右手がなんだか冷たいから、息吹法を試してみよう」

 なぎ「キス付き呪術ならみだりにするなよ……」

 華凛かりん(鯉がナニカまじものに触っちゃった……?)

 

 〇


 翌日

 

 寝坊した。

 いつもは先に起きた梵が、俺を起こしてくれていたのだが、今日は俺共々寝過ごした。徹夜続きだから仕方ない。

 遅刻した。

 次の授業がもうすぐ始まりそうな時間だった。廊下に生徒はいない。

 早足で教室に向かう。


「この子、こんな所でどうしたんだろ?」


 教室の外で、一匹の鯉がうろうろしていた。

 うっかり締め出されてしまったのだろうか?

 扉を開けて促してみたが、教室内に入ろうとはしなかった。

 鯉のヒレがボロボロなのが気になったが、先生が俺の着席を待っている様子だったのでスルーした。

 とにかく眠かった。俺は極限まで無駄を削った動きで椅子に座って、頭を伏せた。

 授業が始まる。


 〇


 午前最後の授業が終わったらしい。

 目を覚ました俺は、頭を預けていたせいで痺れた手をグーパーした。蠱物にがっつり触ってしまった右手が気がかりだったが、今のところ異常は全くない。


「凪君ッ」


 華凛が俺の席まで来た。


「気配が減って……多分、鯉が一匹消えてしまったの……」


「消えた? 全部で五匹だっけか」


 一、二、三、四……――華凛の周りにいるのは四匹だった。


「あとの一匹は廊下じゃないか? さっき傷付いていたやつが廊下に居たんだよな」


「えっ傷付いているの?」


「ああ」


 席を立って廊下に向かおうとすると、全身に負荷がかかった。

「……?」

 引っ張られた先――後ろを見る。

 梵が掃除ロッカーに寄っかかって寝ていた。

 起こしたいのは山々だが、華凛の見ている前で、梵を起こすのは気が引けた。

 タイヤ引きトレーニングのように梵を引き摺って廊下に出た。いい筋トレだ。


「ほら、ここにいるだろ」

 俺はしょんぼりした鯉を指さした。


「本当に……?」


「俺には視えているが……」


「うん、いる」

 結局目覚めてしまった梵が賛同する。


「私にはここに鯉がいると感じられない」


 華凛が怪奇の気配を感じられるのは鯉のおかげだ。感じられないというなら、何らかの事情で鯉との〝連携〟が途切れてしまったのだろうか。


「とりあえず触って確認してみるのはどうだ?」


「怪奇に触れるのは誰だってできるし」

 梵が付け足す。


「おいで」

 華凛は、俺が示した方向に向かって手を伸ばす。


 傷付いた鯉は躊躇いを見せたあと、華凛の手にそっと近付き、触れようとした瞬間――

 華凛の周りを泳いでいた四匹が動いた。口でつついたり、勢いよく回った勢いでムチと化したヒゲを浴びせた。「華凛に触れさせまい」と言わんばかりだった。

 怯んだボロボロ鯉は、

「ひゃ!?」

 梵の袴の下に潜り込んだ。


「傷付けたのは仲間かよ」

 華凛の怪奇の気配察知能力は、鯉に依存している。

「となると、華凛がこの一匹だけまったく感知できないのは、こいつらが故意に感覚を遮断している線もあるか……?」


 意外にも、四匹はくるりと回って肯定した。


「なぜこの一匹を追いやる?」

 身振りヒレ振り説明してくれたが、俺はその内容を理解することができなかった。


 「お兄ちゃん早く何とかして……」


 梵に内心謝りつつ、華凛に尋ねる。

「何か思い当たることはあるのか?」


「……」

 華凛は答えに迷っていた。

「その問には答えられないわ。……私から相談しておいて、ごめんなさい」


「……いや別に構わないんだ」

 俺もそよぎのことを言っていないのだから。

「一晩にして悪くなった鯉の仲をどうするか……」


「私が頼んでみるわ」

 華凛は鯉の方を向いた。

「昨日は無理強いをしてしまってごめんなさい。でもどうか五匹で仲良くしてほしいの……」


 ――やはり華凛と鯉の間に何かあったらしい。

 四匹は「どうする」「どうする」と話している気がした。

「どういう事情かは知らないが、ここまで痛めつけたならもう十分じゃないか――」

 俺が説得してから少しして。

 梵の袴の下に隠れていたボロボロ鯉がそろりと出てきた。

 そして群れに加わる。


 四匹がボロボロ鯉の存在を隠すのをやめたのだろう。

「あ……段々と、水の流れが増す感じがする。再開したばかりだからかしら……少し濁っているけれど……五匹目いることをまた感じられるようになったわ」


 華凛が両手を伸ばすと、ボロボロ鯉はゆっくりと近づいた。


「……本当にぼろぼろね」

 華凛は両手で優しく労った。

 華凛は思った。

 ――昨晩、触ってしまったのはこの子なのだろう、と。


○○○


 その夜。


「待って!」


 四匹の鯉は、どこかに行ってしまった。私の声は届かなかった。

 だけど、一匹だけ私のそばに残っていた。傷ついた子だ。

 町に溢れる黒い怪奇の気配が薄れていく。怪奇の存在が消えたのではない。私の近くにいる鯉の数が減ったことによって、察知する力が薄れているのだ。


 明方になって、四匹の鯉は戻ってきたようだった。段々と、怪奇の雰囲気が鮮明になってくる。


「みんな……」


 四匹の鯉の雰囲気はおかしかった。昨晩、件の一匹が触れてしまったものと同じ、泥水のような化け物を身にまとっていた……。

 四匹の鯉は、擦り寄ってきた。

 私は怖くなった。 

 今までこんなこと無かった。私と鯉の間には、いつも一定の距離があったのだ。


「えっ……いやっ! どうしちゃったの……?」


 私は布団の下に潜って、朝になるのをじっと待った。

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