諦める魚

 三行くらいでわかる前回の神薙


 蠱物まじものに触れちゃった鯉が、他の四匹にいじめられて仲間外れにされてた。

 凪は仲直りするよう説得した。華凛はボロボロ鯉を撫でてあげた。

 その夜。四匹の鯉が出かけたと思ったら、蠱物を身にまとって帰ってきた。


 〇


 凪side


 俺は学校に遅刻した。うっかり寝坊したからではない。睡眠時間の確保及び疲労回復を目的とした計画的遅刻である。

 鯉の件は昨日の時点で解決したと思っていた。そう思っていなければ遅刻なんてしない。

 

 〇


 華凛side


 三限目が終わり、今は休み時間だった。

 暗雲の如き四匹の鯉たちが、頭上でずっと舞っている気がする。優雅にではない。

 鯉に変化があってから、私の体調は優れていなかった。

 ぞくぞくと悪寒がする。頭はまったく回らない。

 蛍光灯の光。カーテンのはためき。クラスメイトの会話。気に触って煩わしかった。私の感覚はおかしくなっていた。

 でも学校に来てしまった。頼れる人は一人しかいなかったから。

 ……凪君の雰囲気が近くなる。下駄箱に続く外階段あたりまで来たのだろうか。

 もうすぐ四限目が始まってしまう時刻だったから、廊下で落ち合おうと思った。体を机で支えて、席を――――


 〇


 凪side


 教室に向かう途中、華凛のヒレボロ鯉が寄ってきた。オロオロしていた。


「どうした、またハブられたのか?」


 ヒレボロ鯉は、俺の背中を突く。


「早く教室に行けってことか? 分かった、分かったから!」


 静かなざわめきが教室を満たしていた。


「……!」


 華凛が、倒れていた。


 次の授業の教師が「大丈夫ですか」と声を掛けていた。


「ただの貧血です……」


「立てますか」


「凪君……」

 

 華凛は近寄った俺を見た。


「お、俺?」


 ○


「貧血……じゃないよな」

 俺は華凛を抱きかかえて保健室に向かっていた。


「昨晩、鯉達が家を出てしまって……。帰ってきたと思ったら、泥のようなものがまとわりついていて……。それで、私の調子もおかしくなっちゃった……」


 ヒレボロ以外の鯉から、黒いオーラが漏れているのが見える。蠱物だ。


「この鯉のすばしっこさなら、蠱物さんなんて簡単に回避できると思うんだけどな……なんでこうなっちゃったんだろ……。それに蠱物さんって、もっと宿主をじんわり蝕んでいくものだと思ってた」

 」と梵。


「私、このまま……?」


「荒療治なら一つ知っているが……」


「――?」


「鯉の中に潜んでいる、その泥みたいなヤツを追い出せば……何とかなるかもしれない」


「大丈夫かな? 鯉の敏感な感覚は、華凛ちゃんに繋がっているんだよ」


 確かにそうだ。

 試しに一匹を、手の甲でそっと叩いてみる。


「ッ……!」

 華凛はビクリと身を縮めた。


「すまない」


「じゃあ鯉を捕まえて、華凛ちゃんから強制的に遠ざけるとか……?」


 ……俺は一匹の長いヒレを掴もうとしたが、鯉はスルリとすり抜け、華凛の元に戻ってしまった。

 頑張れば捕まえられるかもしれないが、捕まえたところでどうすればいいんだ。


 「……そもそも蠱物さんを引き寄せる原因である私が、こんなことになるより早くに、ここから去るべきだった……」


「……」


 加増に留まり始めて数ヶ月が経った今、白鷹は加増になじみ、パワーアップしてきている。加増の怪奇の量は目に見えて増えている……。見えるの俺と妹くらいだが……確実に、増えている……。


「あ~……どうすりゃいいんだ」


「鯉を、諦めればいいんだよ。華凛ちゃんから鯉を引き剥がすのは難しいけど、それならできる。一発で殺せば、華凛ちゃんも最低限の苦しみで済むと思う」


「梵、それは……、」


「そよぎ? そよぎっていうのね……」


 しまった。華凛は俺のうっかり発言を聞き逃さなかった。


「っ! とだな、それはその……」


「そよぎちゃんはなんて言ったの?」


 梵が女だということ、バレていないか……?


「コイを諦めてよ」

「鯉を諦めれば、と……」


「……一時間、一人で考えさせて。それまでに答えを出すわ」


「ああ」

 

 俺達は保健室に到着した。

 養護教諭にバトンタッチする。

 唯一正気を保っていると思われるヒレボロ鯉は、オロオロと宙を漂っていた。


 〇


 華凛side


 保健室から退出する時に、凪君は後ろを確認した。

 目線の先に私はいない。

 扉を開けて締める。自然体を装ってはいるけれど、その動作の間は一人分じゃない。やはり、〝いる〟のだ。


「……悔しいな。敵わないかな」 


 心の内に秘めた思いを告げることができれば、楽になれるだろうに。


 私に一歩踏み出す勇気があれば――。



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